[episode02]月影(つきかげ)のオルゴール

部屋の片隅、アオは古びたオルゴールを修理していた。


いわゆるアンティークを好み、どこかで手に入れてきては修繕するのが趣味のようだ。


時折聴こえてくる軋むような音を背に、モモは眠たげに欠伸をする。



「なあ、アオ。今日の“旅先”は?」モモが鼻を鳴らす。



「フユキ・リョウ。四十歳。画家。眠ったまま、もう戻れないらしい」


アオは小さくため息をついた。


「少し、心が重い」



夢の中。


リョウのアトリエは、壁じゅうに未完成の絵がかけられていた。青色ばかりを使ったたくさんの風景画。


中央には、背を向けた少年の絵──その背中だけが、何枚も、何枚も。


青色の風景画の中に溶け込むように置かれている。



「君は──誰だい?」



振り返ったリョウは、アオを見るなり驚いたように目を見開いた。


「……君、夢に出てくる“あの子”に似てるな」



「こんにちは、リョウさん。あなたの“いちばん幸せだった記憶”を、一緒に探しにきました」



「……なるほど。君は死神なんだね。そうかそうか、俺は、…死ぬのか」



静かに頷くアオに、リョウは小さく笑った。


「最後になるなら、もう思い出してもいいかもな。ずっと描けなかった“あの背中”の向こうを」



記憶が開く。



大学時代。リョウは誰よりも色彩を愛し、孤独を愛していた。


そんな彼の世界に、鮮やかに飛び込んできたのが──ハルという名の少年。後輩だ。



「リョウ先輩!また青ばっかじゃないですか」


「うるさい。黙ってろ」



明るくて、まっすぐで。自分には眩しすぎた。



けれどある日、ハルが不意に言った。



「俺、先輩の絵が好きです。いろんな青色が綺麗でさ。描いているところをずっと見てるのも好きで。…それからさ、先輩のことも……きっと、好きなんだと思う。その…特別な意味で。」



リョウは一瞬目を見開いた。自分の作品を好んでくれる後輩。自分のまた、彼の存在に救われていた。


けれど、応えることはできなかった。


彼の言葉を受け入れたら、どうなってしまうだろう。


作品に向き合う気持ちはどう変化してしまうんだろう。



「…こんなこと言われても困りますよね。」


ハルは背を向けてその場から離れてしまった。




それから2ヶ月後。


ハルは留学先で事故に遭い、亡くなってしまった。



「あの背中を、ずっと描いてた。……でも、一度も振り向いてくれなかった」



リョウの声が震える。


「いや、違う。俺が……追いかけられなかったからだ」



アオは静かに、リョウの手を握った。


「その人との思い出が、いちばん幸せだったんですね」



「……あぁ。俺はあの子と過ごしたあの日々が、なによりも……」



夢の終わり。


アトリエに置かれたオルゴールが、小さく鳴り出した。ハルが贈ってくれたものだと、リョウは言った。



「アオくん。ありがとう」


リョウの姿が、光に包まれてゆく。


「もう少し早く……あいつに言えたらよかったな」



「言葉より、想いが届くんです。リョウさんの“青”が、それを証明しています」



リョウは、笑って消えていった。絵の中の少年が、ようやくこちらを向いていた。



月へ戻る道、アオはふと立ち止まる。



「ねぇ、モモ。僕の“いちばん”って、なんだと思う?」



「……案外、まだ始まってないんじゃないか?」



アオの兎耳が揺れる。かすかな笑いを浮かべて


「そうかもしれないね。そのうち誰かの夢の中で、きっと──」



月の夜。


またひとつ、静かな愛が、優しく満ちていった。

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夢うさぎと月燈のバク まむえもん @amaamax

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