第十一章 風の導き
王立魔導学院・西門。朝靄の中、冷たい空気が張り詰めていた。
馬車の前に並ぶのは、リュカ・アルヴェインを先頭に、サフィア、ティアナ、エレネアの三人。そして、学院から随行する魔導士四名。
彼らを見送るために、ラステ・カロン卿が一人、静かに現れた。
「これより、現地に向けて出立されるとのこと。学院として、また査問部筆頭として、心より敬意を表する」
ラステ卿は淡々と、だが丁寧に言葉を紡いだ。その口調には、厳格な立場を貫く者の誇りと、わずかな温もりが感じられた。
「……特例として、君たちに一つ、託したいものがある」
彼は懐から、一冊の古びた手記を取り出す。
重厚な革表紙に刻まれた意匠――赤と黒の織りで描かれた三日月と星。“煉の月印”。
「君たちの母、ルシアナ・ルフェリエルが残した記録だ。……学院の保管庫にあったが、閲覧が許されるのは“血縁者”に限られる」
「内容には注意して読んでほしい。……中には、君たちにとって重い真実も含まれる可能性がある」
ティアナは驚きながらも受け取る。
手記の表紙には、**赤と黒で織られた三日月と星の意匠――“煉の月印(れんのげついん)”**が記されている。
ティアナの眉が僅かに震えた。
(……これ、どこかで……)
――そう、エレネアのローブの胸元に刺繍されていた紋様。まるでそれを写したかのような印。
背筋が、薄く凍った。
「……あなたが、これを?」
「本来ならば、学院記録部の許可を要する。だが――今回は、私の一存で処理しておく」
「……そんなことをして、大丈夫なんですか?」
ティアナの問いに、ラステ卿は一瞬だけ口元を緩めた。
「問題があれば、私が対処する。それが“例外”を許す代償というものだ」
その場の空気が、ぴんと張り詰める。
学院関係者が顔を見合わせ、ひそひそと声を交わす。
「……ラステ卿が、あの人が、あんな発言を……?」
「彼が“特例”を認めたなんて、聞いたことがない」
ざわめく声が、すぐに静まる。ラステ卿は、それらを無視するかのように、出発する一人ひとりに視線を向けた。
ラステ卿はティアナへ目線を合わせて、膝を曲げ、
「君は常に、“姉”としての責任を背負い続けてきた。その献身は見事だ。しかし――必要以上に一人で抱えるな」
ティアナは一瞬だけ目を見開き、しかしすぐ、深く頷いた。
ついで、ゆっくりと優しくサフィアへ視線を向けて、
「感情を抑えることが大人ではない。“制御”とは、“否定”ではないと、君に教えてくれたのは――君自身だった」
サフィアは少し口を開きかけたが、言葉が出ず、ただ俯いて微かに頷いた。
そして一呼吸置き、言葉を選ぶようにエレネアへ
「君の過去は、まだ謎に包まれている。しかし、それは君が誰かを否定する理由にはならない。
“恐れる力”は“知らぬ力”だ。――恐れず、見届けよ」
エレネアは目を見張り、そのまま静かに頭を下げた。
そして敬意と親しみを込めた柔らかな口調で、リュカへ
「殿下。――かつての王家にも、あなたのような方がいればと思うことがあります」
「それは誉め言葉と受け取っていいのかな、ラステ卿?」
「……ご自由に。だが、行動でそれを示す覚悟があると、私は信じております」
二人は無言で視線を交わし、やがてリュカが笑みを浮かべた。
出発の合図が鳴る。
馬車に乗り込む一行を、ラステ卿は最後まで見送った。
霧の向こう、学院の高塔が徐々に遠ざかっていく。
馬車の中――
「……ねえ、ペンと紙、少しだけ貸してもらってもいい?」
サフィアの隣で、エレネアが小さく尋ねる。
馬車の揺れの中、彼女は膝の上に羊皮紙を広げ、筆を走らせた。
(親愛なるガルマおじいちゃん、
この手紙が届く頃、私はまた新しい旅路に就いています。
ルフェリエル姉妹のサフィアさんと、ティアナさんと、そして心強い仲間とともに。
まだ私は、自分の魔力のこと、何ひとつわかっていません。
でも――少しずつ、自分の輪郭を見つけつつある気がするのです。
カヤック村の空気、風の音、焚き火の匂い……
今も思い出すたびに、あたたかくて、胸が痛くなります。
どうかお体を大切に。
それと、今も剣の手入れは続けていますか?
――私は、大丈夫。
だから、どうか、ガルマおじいちゃんも。
また、会えますように。
愛をこめて
エレネアより)
手紙をそっと封じ、ポケットに仕舞ったとき、彼女の目に――決意の光が灯っていた。
《カヤック村――風の声が届く場所で》
朝露の残る小道を歩いて、ガルマは村の外れの郵便受けへと向かった。
山の斜面に抱かれたこの村では、手紙一つが貴重な情報源であり、心の糧でもあった。
木箱を開けると、中には二通の封書。
一通は――見覚えのある、か細くも力のこもった筆跡。
もう一通は――濃い青の封蝋と、王国選抜部隊の紋章。
ガルマは、まず私信をそっと開いた。
***
ガルマおじいちゃんへ
私は、王都でティアナさんとサフィアさんに会いました。
最初は戸惑ってばかりで、心も言葉も固まっていたけれど……
今は少しだけ、自分の力を信じてみようと思っています。
それは、ふたりが私に“居場所”を与えてくれたから。
本当の意味で、私はもう一度、生まれ直すのだと思います。
その覚悟を、どうか見守ってください。
ガルマおじいちゃんの健康と穏やかな日々を、心から願っています。
――エレネアより
***
ガルマは深く息を吐き、静かに目を閉じた。
彼女の文字には、震えと共に決意があった。
迷いを抱えながら、それでも進もうとする意志が――確かに宿っていた。
続いて、もう一通の封を開く。
その内容は、彼の心をざらりと撫でてきた。
***
【至急・機密指定】
ガルマ殿
我々、
現地防衛力の再編にあたり、貴殿の再召集を要請いたします。
かつて《炎の叡智》と謳われ、王国を支えたその手腕を、今再び――。
指揮官代理:ヴェイル・マルシェン
***
その名は、かつて共に剣を交えた者の名だった。
老いてなお現役に留まる、王都近衛の猛将。軽々しく筆を取る男ではない。
ガルマはそっと手紙をたたみ、立ち上がる。
戸棚の奥から、埃を被った木箱を取り出した。
箱を開くと――黒鉄の鍔(つば)が光を弾いた。
柄に巻かれた布は少しほつれていたが、重みは昔のままだ。
風が、吹いた。
窓の外の枝葉を揺らす音に混じり、微かに聞こえる。
――呼ばれている。
それはエレネアの声ではない。
だが確かに、彼の中に響くものがあった。
「……剣を振るうのは、守るためだ」
「あの子が、進もうとしているなら……私は、その道を拓こう」
ガルマは、腰に剣を佩き直した。
その動作は、もう何年も繰り返してきたように、自然だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます