第九章 静かな鼓動
グリーンパレスの王、政の帳の内に
王都――グリーンパレス。
――王都学院、極秘監査室。
書き上げられたばかりの報告書に、幾人もの高位魔導師たちが目を走らせていた。レオン・ヴァルハルトによる現地からの調査報告書。それは、今後の王国の命運を左右しかねない内容を含んでいた。
「魔鉱石の採掘現場を確認。明らかに軍事利用を前提とした魔力増幅処理の痕跡がある」
「さらに、封印への直接的な干渉の兆候……“強い魔力”が、風穴の結界に共鳴していた可能性」
重苦しい沈黙が室内を包む。
「そしてこの一節……」老魔導師が指先で紙面をなぞった。王国学院の理事長でもある老魔導師、ミルド・エイベル。リベラル派の代表格だ。
『特筆すべきは、同行者の一人、サフィア・ルフェリエルの魔力反応。
暴走というより、“何か”との共鳴。詳細は不明。だが、共鳴によって“何かの解放”に寄与する可能性がある』
「……黒の階梯のときと同じですね」
一人の女性魔導師が小声で呟いた。
「制御されていない。だが、“応えて”しまう」
「つまり、“兵器”としての適正が高い、ということか」
学長、クライヴ・メルキオールの言葉に、誰もが口を閉ざす。
ミルドはゆっくりと立ち上がる。
「この報告書……陛下に提出せねばなるまい。だが、その前に」
視線が重たく周囲を射る。
「我々学院としては、〈サフィア・ルフェリエル〉の存在を今後の王都防衛の要とすべく、準備を進める。彼女は未だ、制御を知らぬ。だが、それは同時に、どんな“兵装”にも染まるということでもある」
「……同意だ」
「彼女の管理を失えば、王都は内から崩れる」
ミルドは、報告書を巻き、静かに言った。
「王は、国民の安寧を第一とするお方。ならばこそ、学院が先に動く」
――その数日後。王宮、謁見の間。
グリーンパレス国王ジェイド・アルヴェインの手に、一通の報告書が届けられた。送り主は、レオン・ヴァルハルト。
王は年老いた外見とは裏腹に、透徹した瞳で報告文を読み解いてゆき、徐々に表情を曇らせていく。
魔鉱石の密採。軍事転用。風穴封印への干渉。さらには、未確定ながらも“鍵”の可能性――サフィアという少女の存在。
「……これが、グレイ・ヴァイパーの動きか。いや、帝国の意図か」
目を伏せたまま、王はつぶやいた。傍らの近衛長官が口を開く。
「魔導塔の防衛を強化すべきでしょうか」
「当然だ。そして、レオンたち監査隊にはさらなる行動を任せよう。……彼らならば、この真実の淵に辿り着ける」
ミルドはゆっくりと、だがしっかりとした口調で遮るように口を開いた。
「では、サフィア=ルフェリエルの保護については?」
さらに言葉を続けた。
「陛下、我らはもう待つことができません。グレイ・ヴァイパーは確実に風穴の開封に向けて動いています。帝国の影も濃い」
「帝国の影か。……妃、ジゼル=クロエ=ヴィスの名が密かにあがっておるな」
ジェイド王は重く目を閉じた。
「ロキ=ヴィス……あの男がグレイ・ヴァイパーの現指導者だという話もある」
「確証はあります。ただし、帝国は公式には関与しておりません」
「――だろうな。だが、グレイ・ヴァイパーという存在は、元は我らの“外郭”だ。責任は我にある」
ミルドの眉が険しくなる。
「ならばこそ、我が学院は、“正当性”を持って動くべきです。
帝国との共同など、不要。
必要なのは――魔導塔を中心とした国防の再整備。
そして……グレイ・ヴァイパー、もといリベレーターの完全なる討伐です!」
「……お前は、“正義”に溺れておるな」
王の声は、静かだったが、冷えたものだった。
「……学院がどう考えていようと、我が意志は一つ。彼女を“利用”する気はない。だが、“護る”ことは必要だ。
……そのために、我は、帝国との連携の可能性すら視野に入れる」
「……国を守りたい。それが、私の本音だ。
帝国とでも“話す”覚悟はある。民を戦火に巻き込まずに済むのなら、それが第一だ」
「ですが……!」
王はそこで一度、言葉を切った。
「ミルド、耳を貸せ。お前の正義は、清廉だ。だが、“純粋”な正義ほど、戦争の火種になる」
しばしの沈黙が流れた。
「それでも、学院は動きます。……陛下の許可が得られなくとも」
ミルドが一礼し、振り返らぬまま去る。残されたジェイド王は、小さく息を吐いた。
(……ここが、分水嶺だ)
誰もいなくなった謁見の間に、沈黙だけが残された。
王ジェイド・アルヴェインは、巻かれた報告書にそっと視線を落としたまま、長く息をついた。
窓の向こうでは、夕暮れの風が重たく葉を揺らし、遠くから雷鳴にも似た地鳴りが微かに響いた。
まるで、大地そのものが呻いているかのように。
(誰もが自分の“正義”を語る……だが)
彼の心を撫でる風は冷たく、どこまでも孤独だった。
その中で、王はただ一言、誰にも届かぬ言葉を呟いた。
「……護らねばな」
それは命令でも理想でもなく――祈りに近い響きだった。
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