第八章:潜入

第一節 沈黙の坑道にて――リュカとエレネア


 地表を吹き抜ける風は乾いていた。

 遠くにかすかに聴こえる鉱鳴のような音――それは、生きているはずのない廃坑が、今も脈動を続けている証だった。


 「《エンリル廃坑》。表向きは採掘停止区域……けど、空気の流れが違う。人が出入りしてる証拠よ」


 エレネアが呟くと、リュカは頷き、腰の剣に手をかけたまま視線を先へ向けた。


 「“奴ら”は潜っている。目的は、魔鉱石ではない。……魔鉱石は“供物”に過ぎない」


 二人は坑道の脇を流れる古びた導水路をたどり、岩壁の裂け目へと足を踏み入れた。

 その奥に潜むもの――《灰燼の通り》と呼ばれる、かつての作業区域。


 そこには明らかに人為的に築かれた空間があり、封印装置に似た魔術陣が複数刻まれていた。

 そして、中心部の石床にはまだ消え残る黒い魔力の痕跡。


 「……ここで何かを“試した”のね」

 エレネアが指先をかざし、残留魔素を分析しようとしたその時――


 「ッ!」


 リュカが一歩前に出て、彼女を庇うように立つ。

 奥の影がわずかに揺れた。


 「気配……一体、二体……いや、もっとだ。囲まれてる」


 坑道の天井――そこから、音もなく落ちてくる影。

 まるで昆虫のように張りついていたそれは、厚手の黒装束に身を包み、顔を隠した男だった。


 「リュカ・アルヴェイン……器の随伴者か」

 黒衣の男が囁く。静かな声なのに、凍るような圧があった。


 「器……?」


 リュカの表情がわずかに動く。だが、相手はそれ以上の説明を加えない。

 ただ淡々と短剣を抜き、足音一つなく地を蹴った。


 「来るぞ、エレネア――!」


 次の瞬間、戦いが始まった。


 刃と魔法が交差する地下の静寂。

 狭い坑道の中で、リュカの剣閃が踊るように閃き、エレネアの詠唱が凛として響く。


 そして――


 「こいつら、さっきから……やたら“私”を見てくる……」


 エレネアがつぶやくように言ったそのとき。

 敵の一人が低く呟いた。


 「……“共鳴”が始まったか。器と、鍵と……」


 何かを確信したような、どこか酔ったような声。


 「――もう少しだ。開け、“門”よ」


 それは、まるで“儀式”のような口ぶりだった。


第二節:鍵と恐怖と


 王都の外れ、かつての水道施設跡――そこは今、《グレイ・ヴァイパー》の拠点へと続く隠し通路の入口となっていた。

 かつて地下を走った水流は今は干からび、ただ冷えた空気と薄闇だけが支配している。


 「ここが入口よ。正面から入るには、さすがに無理があるから」

 ティアナが魔導盤を片手に、構造の古図を照らし合わせながら囁く。


 「この地下通路は……表向きには封鎖されていたはず。ティアナ、よく調べたな」

 レオンが感心したように言うと、サフィアがどこか退屈そうに口を開いた。


 「うちのティア姉、調べるのは大得意なの。詰めは甘いけど♡」


 「……それ、いらないわよ」


 三人は小さな口論を交えつつも、暗い通路を進んでいく。

 途中、空気が一変する瞬間があった。薄く漂う魔力、そして気配。


 「止まって」


 ティアナが静かに手を上げると、壁の亀裂から複数の気配が溢れた。

 姿を現したのは、全身を暗灰の外套に包んだ者たち――《グレイ・ヴァイパー》の前線部隊。


 「……また、来たのね」

 ティアナが呟く。

 レオンが小さく笑う。


 「むしろ歓迎されているようで何よりだ」


 だが、その瞬間だった。

 敵の中の一人――以前、白霧の森でレオンたちと交戦した魔導士の男が、明らかに表情を変えた。


 「ッ……おい、あれは……」


 視線の先にいたのは、サフィア。


 「……貴様……あの時の“怪物”か」


 彼の手が微かに震えるのを、仲間の一人が訝しんで見た。

 「おい、どうした。敵は三人だ。魔力の流れは……」

 「違うッ!あれは、“数”じゃない……ッ!!」

 男の叫びが、ただの妄言に聞こえた者は、そこにはいなかった。


 その時、サフィアがくるりと一回転しながら前に出て、指を一本、魔導士の男に向けた。


 「やっほー。……また、遊びに来てくれたんだね?」


 その声は無邪気で、残酷だった。

 男の背中に冷たい汗が流れる。


 (あのときの……“開きかけた扉”は、こいつの魔力によるものだったのか……)


 すでに男の中では、サフィアは“ただの少女”ではなかった。

 今も彼女の魔力の“圧”は、まるで空間の密度そのものをねじ曲げているように感じる。


 「……鍵……まさか、“鍵”だったのか……」

 男の呟きに、背後の仲間が目を見開く。


 「鍵?あの小娘が……?それはまだ報告には――」


 「違う。報告じゃない……“感じる”んだ。ここに、“開く力”があるッ!」


 その叫びを最後に、空間が一気に張り詰めた。

 レオンの声が重く響く。


 「戦闘開始だ。……姉妹、行くぞ」


《動き出す巨塔、ざわめく上層》

 王都学院、中央管理塔――


 結界管理室に響く緊急警報の音が、いつもとは異なる“色”を伴っていた。

 魔導盤の表示が一部、紫と黒を帯び、警告文字列が高速で流れる。


 「これは……っ、グレイ領域からの逆流!?」


 青衣の技術士官が叫び、隣にいた高官が顔を強張らせる。


 「アビュッソスの波動反応……いや、これは……魔導塔との干渉か……?」


 その場に居合わせた学院の副院長セリウス=マーグリフは、即座に対応に入る。


 「警備塔に伝達。結界式階層を一時強化せよ。魔導塔との連結盤、安定させろ」


 「副院長、あの……この異常波形、通常の“干渉”ではありません。むしろ、“呼応”に近い……!」


 セリウスの瞳が鋭く細められた。


 「誰かが……“封印に対する鍵”を、動かそうとしている……というのか……」


 同時刻、王都防衛局本部――魔導塔警備隊詰所。


 「結界構造にわずかな“応力”のズレ。中央塔からの通知により、レベル3警戒へ移行。以後、逐次報告とする」


 淡々と報告を読み上げる騎士。だが、誰もが――心のどこかで、感じていた。


 (これは、“予兆”ではない。すでに“始まっている”)


院長私室

 王都学院 院長執務室の扉が音もなく開いた。


 「……見ましたか、ラグナ=アーヴィス院長」


 副院長セリウスが現れる。

 室内には、老齢の男が立ったまま、中央塔の方向をじっと見据えていた。


 「……感じたよ。“封印”が、呼吸を始めた。まるで、誰かが喉元に刃を突きつけたようだ」


 ラグナの声は穏やかだが、決して静かではなかった。


 「副院長、諸君には警備強化を任せよう。……私は、“古い書庫”に降りる」


 「まさか、“アビュッソス外典”を?」


 「これ以上、手遅れになる前に。知っておかねばなるまい……“本当の封印”が何を抱えているのかをな」


第三節 測量

 (……来る)


 サフィアは、空間の“濁り”を嗅ぎ取った。


 次の瞬間、瓦礫の陰から跳び出した黒影――その殺気を、レオンは咄嗟に防ぎきった。


 「……見えてるのか。……あいつは以前の!!」


 黒影の中に、仮面をつけた男がいた。

 レオンの声に、仮面の男――《グレイ・ヴァイパー》実行部隊の長・ヴァッへが、薄く笑う。

「君らには過ぎた贅沢だと思わないか? だが……今回は“例外”でね。鍵を、確保するためには、多少の危険もやむを得ない」


 「ッ、サフィア!」


 「任せて!」


 サフィアが前に出る。

 彼女の編み込まれた銀髪がふわりと舞い、薄く褐色の肌が淡く光を帯びた。


 「“壊れて”ないけど、壊していい?」


 にこりと笑ったサフィアが、両手を広げる。


 ――瞬間、空気が震えた。


 見えない何かが“崩れた”ような音がし、敵の前衛が一人、呆気なく崩れ落ちた。

 骨が軋み、血が噴き出した。


 「な――!? 今のは……術式を超えた、“圧力”……?」


 敵側の魔術師が戦慄した。

 

 しかしヴァッへは冷静だった。

その瞬間、彼の体が、“後ろへ跳んで”いた。


 回避ではない。反応だ。

 サフィアの術式の構造を、咄嗟に“理解”した上での、完璧な距離取り。


 その目線が、サフィアを捉えている。


 (“見抜かれてる”……? でも――)


 「おにーさん。あの人、戦い慣れしてるね」


 サフィアがぽつりと呟く。


 「……でも、まだ“ぼくのほうが上”かな」


 そう言いながら、地を蹴る。

 一瞬で間合いに入り、空間を歪めるようにして掌から閃光を打ち出す――だが。


 ヴァッへの手には、短剣型の魔具が握られている。魔鉱石の軌道式が浮かび、刃が歪曲する。


 「君の魔力は“反応型”……同時に、感応型か。おもしろい。だが、万能ではない」


 言葉と同時に、足元から魔具が展開される。

 罠式。サフィアが咄嗟に後退する――


 が、すでに背後へも短剣が迫っていた。


 「――っ!」


 光の刃がサフィアの頬をかすめ、血の一滴が宙を舞う。


 レオンが一歩前へ出る。


 「ティアナ、サフィアを!」


 「わかってる!」


 ティアナが瞬間移動の術式を発動し、サフィアを後方へ引き戻す。

ヴァッへはそれを追わない。


 「もう十分ですよ。“鍵”の動きは確認しました。あれだけの魔力……それも“未解放”状態で、ね」


 仮面越しに言葉を落とし、霧のようにその場を離脱していく。


 「報告はロキ様へ。これは……“逸脱”だ」


 静かに、だが確実に、その場の空気が緩む。

 撤退の判断。だが、それは逃げではなかった。


 「……ねえ、ティア姉。今の、ちょっと、ゾクってした」


 「……わかる。私も、あの男の“殺意”に、少し震えた」


 サフィアは、小さく舌を出した。


 「うーん、負けてないけどね。でも、ちょっとだけ、ちゃんと戦ってみたくなっちゃった」


 その言葉に、レオンが静かに目を細める。


 (ヴァッへ――《あれ》だけの魔力を前に、撤退という冷静な判断を取れる男。そして“遊び”は一切なかった)


 彼らがまだ“何か”を隠しているとすれば――


第四節 再集結、そして王都へ


白霧の森での戦闘から数日。十三層・灰燼の通りを目指したレオンたちは、リュカとエレネアの部隊と合流していた。


「……無事でなによりだな、リュカ」

レオンの言葉に、リュカは頷くだけだった。視線の先には、わずかに頬を傷つけたサフィアがいる。


「そっちも、ずいぶん荒れてたようだな」

「……まあね。相手が悪かった。けど、それだけじゃない」


サフィアは空を見上げながら、言った。

「“鍵”だって、ばれちゃった」

「は?」リュカの眉が動く。

ティアナがそれを制し、「後で説明する」と小声で言った。


レオンは、言葉にしないまま、一つの確信を得ていた。

《グレイ・ヴァイパー》は、もう“狙い”を定めている。次は――おそらく、正面から来る。


《幕間 帰還》


 グレイ・ヴァイパーとの初交戦は、痛みを残しながらも、決して無意味な戦いではなかった。

 封印の周囲に漂う魔力のうねり。異様に反応したサフィアの力。

そして、ヴァイパーの動き。

 それらすべてが、何かを示していた――“この地に潜む因果”を。


 監査隊長レオン・ヴァルハルトは、その渦の中心にいる少女たち――サフィアとエレネア――の変化を見逃さなかった。

 とくに、封印の脈動と同調するようなサフィアの魔力の覚醒は、風穴そのものと“何かの鍵”として繋がっている可能性を示唆していた。


 一方で、グレイ・ヴァイパー側も、それ以上の強硬策には出てこなかった。

 むしろ、「鍵がなければ封印は動かせない」と知ったからこそ、連中も“静観”を選んだのかもしれない。


 レオンは即座に判断を下した。

 **「今は深入りの時ではない。まずは、守るべきものを守る」**と。


 ルフェリエル姉妹、サフィアとティアナ。

 そして、ヴァイパー側からも強い関心を持たれていたエレネア。

 彼女たちをいったん王都に退避させ、学院との連携体制を整えることこそが、今取るべき“正道”だった。


 サフィアには、リュカ・アルヴェインを、エレネアには、王家預かりの身分としてティアナとともに学院の監護下を。――


 「彼女たちは危険因子ではない。だからこそ、“制御”ではなく、“理解”が必要だ」

 王宮直属の監査隊長として、レオンはその言葉を最後に残した。


 そして、自身は再び前線へと戻った。

 監査隊の副官を含む少数の部隊を率いて、風穴の周囲に残る“痕跡”と“兆し”の監視を続けるために。


 ――その間、王都では新たな協議の場が設けられようとしていた。

 鍵と器。交錯する血脈と記憶。

 すべては、いずれ一つの扉へと繋がっていく。


そして――舞台は、王都へと移る。

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