第七章 再会、そして沈黙

第一節 必然の邂逅

翠光の大樹亭にて冒険者登録を終えたレオンたちは、さっそく依頼を受けるために掲示板の前に向かった。そのときだった。聞き覚えのある声。


「悪くない。だが魔鉱石が取れる白霧の森には大型な黒犬がいる。そうなると…」


――リュカ・アルヴェイン 忘れもしない。


かつて同じ師のもと剣技に励み、鍛錬を積んだ相弟子であり、観察対象。


レオンは昂る感情を抑えゆっくりと掲示板の人の群れを二、三歩分け入って立ち止まり、低く通る声で目の前の二人に言い放った。


「よう、そこで初心者デートか?」


 時間が止まったようだった。


 群衆が二人をつなぐように場所を開け、レオンが、ゆっくりと歩き出す。


 周囲の喧騒とは裏腹に、二人の間には、長い静寂が流れていた。


 「……久しいな、リュカ」


 その声に、リュカの眉がわずかに動く。


 「……お前か。どうやら、そちらも“冒険者”になったらしいな」


 その皮肉に、レオンは答えない。視線を落とし、エレネアに目を向けた。


エレネアは、一歩だけ、リュカの背後に下がる。

だが、その瞳は揺れていた。


 「……懐かしい顔だ。あの時は確か、黒い外套をまとっていたな。目立たぬようにと」 


「今は目立つように生きてる。あんたこそ――騎士のくせに冒険者とは。」


「俺には、俺の果たすべき使命がある」 

レオンの背後から、サフィアとティアナが歩み出る。

その存在にリュカの眉がぴくりと動いた。(ルフェリエルの双子……か) ただの偶然とは思えなかった。


レオンはエレネアを一瞥すると、ふんと鼻をならし言った。


「まあいいさ、遅かれ早かれ、お前とは決着をつけるつもりだ。今はこっちにも色々と済まさなければならない用があるんでね」

レオンは踵を返し、振り向きもせずに続けた。


「リュカ、また近々会おうじゃないか」


 レオンたちの姿がギルドから去ると、喧騒が戻ってきた。

けれど、リュカの瞳にはまだ、あの背中が焼き付いていた。


 「……知ってる人、だったんだよね?」


 エレネアの声が、どこか怯えを含んでいた。 

レオンのただの言葉遊びにも似た挑発に、彼女の身体は無意識に硬直していたのだ。


 「相弟子だ。剣も、魔術も、同じ人に学んだ」


 「でも……全然、そんな感じに見えなかったよ。まるで、敵みたいで……」


 リュカはわずかに目を細めた。それは、確かに否定できない印象だった。


 「……昔は、違ったんだ」


 その言葉には、どこか懐かしさと痛みが同居していた。


第二節 交錯する記憶

 レオンが立ち去った後も、ギルドの喧騒は戻らなかった。

ざわつきは消えたわけではない。ただ、どこか“距離”が生まれていた。

周囲の冒険者たちが、レオンとその背後の双子の“只者ではない空気”を感じ取ったのだろう。


 リュカは、静かに背を向ける。 その横で、エレネアが小声で訊いた。


「……知ってる人、だったんだね」


 問いではなかった。確信に近いもの。 リュカは短くうなずいた。


「ああ……昔、一緒に剣を学んだ」


 それだけで終わらせるには、あまりに多くのことがあった。 

セラフィム師のもとで過ごした日々。 

互いに拳を交え、競い合い、そして……最後には、決定的にすれ違った。


(“王の剣”になる道を選んだのは、あいつの方だ……)


 リュカの目の奥に、かつてのレオンの姿が浮かぶ。 

真っすぐで、無慈悲なほど純粋だった。 

その剣は“忠義”のために振るわれるものであり、そこに迷いはなかった。


だが今、ギルドで相対したレオンには、明らかに“別の何か”が混ざっていた。 それはかつての仲間ではない。 

目的を帯び、計算され尽くした鋭さ。 その視線には、“今の自分たち”を見定めようとする冷静な意図が宿っていた。


 ――とても、ただの偶然ではない。


 「……やっぱり、私、苦手かも」 エレネアがぽつりと呟いた。


「誰が?」「レオンさんといた黒いローブ女の子のほう。あの笑い方、ぞくってした」


 リュカは答えず、再び掲示板の方を見やった。 だが、意識のどこかでは、サフィアの“あの目”が離れなかった。


(まるで……最初から、すべてを見ていたみたいな目だった)


 黒曜石のような瞳と、気まぐれな笑み。 だが、その奥にあるのは、底のない深淵だ。


「……エレネア」「なに?」「これから、しばらく気を抜くな」


 真剣な声音に、エレネアはまばたきしたあと、笑顔を作ろうとした。

 けれど、うまくいかず、代わりに眉を寄せて小さくうなずいた。


「うん……わかった」


 レオンの登場は、“偶然”ではない。 

おそらく、彼もまた――この《白霧の森》を目指している。 だとすれば、彼が狙っているのは《グレイ・ヴァイパー》の動き。 

そして、自分たちのこともまた、その視野にある。


(あいつは、俺を“監査”しに来たんだ)


 背筋に、かすかな冷気が走った。 それは恐れではない。かつて戦友だった男に、自分がどれだけ見透かされているかという、妙な予感だった。


第三節 グレイ・ヴァイパーの影

 白霧の森――王都から半日ほど離れた霧深き森林地帯。 日の光すら遮る霧の帳が、常に森を包んでいた。


 この森の奥には、古くから魔鉱石が眠るとされる鉱脈があり、時折ギルドを通じて採掘依頼が出される。

 だが、その“定期依頼”に便乗するようにして、ある一団が動いていた。


 ――グレイ・ヴァイパー。


 かつて帝国と密接に関わり、数々の暗殺や破壊工作を行ってきた彼らは、表向き壊滅したとされていた。 だが今、再びその“影”が動き出している。


 森の奥、崩れた祠の地下に、密やかな灯りが灯る。

 空間を浸すのは、青白く脈打つ魔鉱石の光。

 その中心で、一人の男が静かに立っていた。


 フードの奥から覗く眼差し。 紫紺の瞳が、光を反射して不気味な輝きを放つ。

 ――ロキ。

グレイ・ヴァイパーの現指導者であり、元・王国魔術局の異端追放者。


 「……足りないな」


 低く呟いた声は、氷のように冷たい。 彼の足元には、大量の魔鉱石が積まれていた。

 それでも足りない。“計画”を完成させるには、あと数十倍――


「“器”の準備は整ったのか?」


 ロキの背後から、黒い外套を纏った男が、慎重な足取りで近づく。


 「封印術師たちの手で、形にはなりました。ただ、対象が“あの血筋”の少女である以上……強制開封には、やはり魔鉱の増幅が不可欠かと」


 「そうか。ならばなおのこと……今は静かに動くとしよう」


 ロキの指先が、天井に浮かぶ魔術式をなぞる。

 その一瞬、祠の周囲に広がる封印陣が鈍く輝いた。


 「塔の結界は、まだ壊せない。だが、“鍵”の封印を緩めるだけなら……できるはずだ。あとは――」


 彼は目を細めた。


 「“器”の少女が、自ら進んで“境界”に近づいてくれればな」


 そして、その視線は遥か遠く――


 白霧の森へと向けられていた。

 今そこへ、彼の計画に関わるすべての“駒”が揃い始めている。


第四節「それぞれの準備――レオン、姉妹と共に」

 王都・監査官詰所。

 夜の帳が降りた石造りの建物の一室で、レオン・ヴァルハルトは一枚の地図を広げていた。


 それは白霧の森の詳細な地形図。古い鉱山跡や魔物の出没報告、最近の魔鉱採掘依頼の傾向まで記された、軍用レベルの戦術資料だ。

 その隣には、別の羊皮紙――《グレイ・ヴァイパー》の潜伏予測ルートが描かれている。


 「……やはり、動いているな」


 静かに、しかし確信をもってレオンは呟いた。

 魔鉱石の集積。祠跡の異常な魔力反応。

 表向きの依頼の裏で、ロキが何かを進めているのは間違いない。


 「本命は“開封”か……。となれば、標的は――」


 レオンの思考がそこまで至ったとき、部屋の扉が控えめにノックされた。


 「失礼します」


 入ってきたのは、ティアナとサフィアのルフェリエル姉妹。

 制服姿のままの姉ティアナは、落ち着いた表情で手帳を携え、妹のサフィアは黒いローブのフードをふわりと揺らして、まるで散歩のような足取りで入ってきた。


 「準備、整いました」


 ティアナの言葉に、レオンは頷いた。

 魔導局から正式に派遣された“監査官特任隊”として、三人は王国より依頼を受けた体裁をとっている。

 だが、実際の目的は――ロキの動向の監視と、アビュッソスへの接近。


 「これを見てくれ」


 レオンは地図と資料をティアナに示した。

 彼女は眉一つ動かさず、それらに目を通す。


 「……ここ。“白霧の森・西部鉱区跡”。この魔力の偏在――まるで封印式の逆位相」


 「解析が早くて助かるよ」


 レオンは小さく笑ったが、その目にはわずかな緊張が宿っていた。

 傍らで、サフィアがぺたんと椅子に座り込み、地図の上にチョコレートの包みを落とした。


 「おにーさん、どうせボスはもう気づいてるよ? この“におい”……すっごくイヤな感じ」


 「……におい?」


 ティアナが問うと、サフィアはきょとんとしながら指をぴっと空に向けた。


 「魔鉱石のにおい。……それに混ざってる、誰かの“中身”みたいなもの。壊すために集めてるんだよ。きっと」


 レオンとティアナが言葉を失う。


 「……サフィア、それは何の根拠で――」


 「ううん、ないよ。ぜーんぜん。でもね、こういうときって、なんか……背中が“ぞわっ”ってするでしょ?」


 サフィアは、無邪気な笑みを浮かべながら椅子をぐるりと一回転させた。


 「“鍵穴”がゆるくなってるの。誰かが、“こじ開けよう”としてる」


 その一言に、沈黙が落ちた。


 (やはり、“向こう”も動いている。エレネア――君はまだ、自分の役割に気づいていないのだろうな)


 レオンは内心で呟いた。


 「……出るぞ。行動開始だ。目的地は白霧の森、西部の旧採掘跡地」


 立ち上がったレオンの言葉に、ティアナは素早く頷き、サフィアはスカートをふわりと揺らして立ち上がる。


 「おにーさん。ティア姉に何かあったら……ボンだからね♡」


 「ああ、心得てるさ」


 三人は夜の王都を背に、静かに出発した。


 向かう先に待つのは、闇に蠢く“牙”。

 だが、それでも――彼らは歩を止めなかった。

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