第六章 始まりの点はやがて線に

あの試験の翌日。


 王都学院の中央塔、監視室。


 「……おい、これは本当に“あの瞬間”の記録か?」


 低い声が響いた。記録石に浮かぶ映像を睨む男――レオン・ヴァルハルト。若くして王国魔術局の監査官を務める魔導騎士であり、現王の密命を帯びた存在だ。


 「間違いありません。魔力感知結界が反応し、カイル・グレンが仮死状態寸前に陥ったのも事実です。相手は……例の“ルフェリエル家”の……」


 「妹のほうか」


 レオンは、映像に映るサフィアの“笑顔”に目を細めた。


 「なるほどね。試して正解だったな。こりゃあ……規格外だな」


 その笑顔の裏に潜む、“空白”のような何か。 魔術理論で説明できない、違和感と恐怖の結晶。


 「それと、姉のティアナ・ルフェリエルも入学してきます。本人は極めて優等生型、ただし――」


 「“妹を止められない”と?」


 「……はい。関係者によると、幼少期からサフィアに関する制御の試みはすべて無効化されています。現在も、姉のみが一定の対話を成立させられる唯一の存在かと」


 レオンは無言で頷いた。


 ルフェリエル家――“かつて王家を補佐した、魔術に特化した旧貴族”。 その血統が今、ふたたび表に出てくる意味。


 (まるで、王国の魔術体系そのものが、試されているようだな……)「だが、彼女は――目的地までの“鍵”になる」


 ふと、レオンの指が、記録石の別のファイルを開く。


 その中には、“ルフェリエル姉妹の生活記録”が収められていた。


 そこには、姉ティアナが妹を常に傍で見守る姿と、それとは対照的に、無邪気に破壊された庭園跡でうたた寝するサフィアの映像。


 「……会ってみるか。話くらいは、通じるといいんだがな」


学院・特別審査室。


 「……貴方が、レオン・ヴァルハルト?」


 扉を開けて現れたのは、整った制服に身を包んだ銀髪の少女――ティアナ・ルフェリエル。


 冷静で礼儀正しく、まるで“貴族”の教科書のような存在。 だが、その瞳の奥には、常に何かを案じ、抑えている影が見えた。


 「君に話を聞きたい。……妹の件だ」


 レオンが言うと、ティアナはわずかに息を詰めた。


 「……お願いです。サフィアを……排除の対象として見ないでください」


 「おや、まだ何も言ってないが?」


 「わかります。あなたは“そういう役割”の人でしょう。サフィアが危険だと判断されれば、学院ごと――」


 「それは君の役割だろう?」


 言葉を遮るように、レオンは静かに笑った。


 「君が、彼女を抑え込む役なら……僕は、その“限界”を見極めるだけだ」


 その言葉に、ティアナの指先がわずかに震える。


 (限界……? わたしは……あの子を、守りきれるの……?)


そして数日後、学院の廊下で――


 「おにーさん、さっき“ぼくのこと”、見てたよね?」


 背後から現れたのは、スカートをふわりと揺らして歩くサフィア。


 レオンは、肩越しにだけ視線を向けた。


 「君に興味がある。それだけだよ」


 すると、サフィアはにっこりと微笑んだ。


 「そっか。じゃあ、壊れる前に、仲良くしてね?」


 その微笑みは、何も考えていない子供のようで、同時に何もかも見透かす神のようだった。


◆銀と褐色の双子

学院の訓練場裏、夕暮れ。


 「あなたが……私たちを“使いたい”のね?」


 ティアナの声は、平坦だった。


 薄く褐色の肌に銀の髪――王都では異端とも映る容姿の彼女は、しかし毅然としていた。その隣には、飽きたように空を見上げているサフィアの姿。


 「“パーティー”を組みたいだけだよ。形式上はね。監査官として、君たちの実力を直接見る必要がある」


 レオンの言葉に、ティアナの目が細くなる。


 「ロキ……グレイ・ヴァイパー討伐隊。あなたの本命はそれじゃないわ」


 やはり、ティアナは聡かった。


 レオンは笑みを崩さなかったが、その沈黙が何よりの肯定だった。


 「……私たちは、姉妹でしか動かない」


 「わかってる。君の条件も飲もう。――サフィアの保証は、俺がする」


 ティアナは一瞬、戸惑うようにレオンを見た。その瞳の奥には、微かな不安と、安堵が入り混じっていた。


 「じゃあ、決まりだね!」


 不意にサフィアが声を上げ、レオンの背中に抱きついた。

褐色の腕が首に絡む。


 「おにーさん、うちのティア姉にヘンなことしたら、ぜったいに“ボン”だからね♡」


 「はいはい」


 背後から香る、あの甘い匂いに、レオンは内心でため息をついた。


 (この“怪異”と行動を共にすることになるとはな……)


◆アビュッソスの影

 その夜、監査官詰所にて。


 「……セラフィム師は、生きている。アビュッソスの最奥で、“鍵”の一部として、今も」


 レオンの独白に応える者はいなかった。


 封印が意味するもの。すなわち、王国が裏で支配と抑制の象徴とする“聖域”。 師を助けるということは、一時的とはいえ風穴の開封を意味する。それは、王国に反旗を翻すことと同義だった。


 (だが、あの人を見捨てて、俺が何を守れるというのか)


 グリーンパレスの掲げる「調和と秩序」は、すでに腐っている。 そして帝国が掲げる「魂の解放」も、また破滅に他ならない。


 ――ゆえにこそ、自分自身の正義が必要だった。


◆偽りの大義、真の目的

 数日後、学院中庭にて。


 レオン、ティアナ、サフィアの三名が公式に“監査官特任隊”として編成された。 名目は、ロキ率いるグレイ・ヴァイパー残党の追跡および討伐。


 だが、その裏には――アビュッソスへの潜入がある。


 「……これで準備は整った」


 ティアナは小さく呟いた。


 彼女も気づいている。レオンの視線の先に、“もっと深い闇”があることに。 だが、それを問わないのは、サフィアの存在が全てを左右すると知っているから。


 (レオン……あなたは、どこまで私たちを“信じている”の?)

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