第4話 対抗策
数日後、僕は自宅で古文書の暗号を見つめていた。
呪いの発動条件は、このリズムを実際に何かの音で聞くことだ。
頭の中で再生するだけでは、呪いにはかからない。これは最初からわかっていた。モールス信号として解読した直後に、頭の中でトントンツーツーと全文を唱えたが、僕はいまだに無事だからだ。
この呪いを封じ込めるのは正直不可能だろう。ルーツからして山の湧き水の水滴が落ちるリズムだというのだ。確率的にどうがんばっても自然発生する上、人類が音楽をつくる中でたまたま発見してしまうことも十分あり得る。
滝沢さんは対抗手段をセットにして伝えたらどうかというアイデアを話していた。電車の音で遮るように、たとえば何らかの手段で呪いを無効化できる方法を、セットで伝承に加える。それなら呪いが再発生するたびに、呪いの解明から始めずに済む。
問題はどうやってそれを実現するかだ。これ以上は音楽の専門知識がない僕にはわからないから、この作戦は滝沢さんからの連絡を待つ他ない。
あと僕ができることは、何かあるのだろうか。
ここ数日何度もぐるぐると考えていた同じことをまた考えていると、スマホが鳴った。
知らない番号からだったが、出ることにする。
「もしもし、高橋悠真くんかな?」
「そうですけど」
「石川綾音の父です」
石川さんの父親? 僕になんの用だろう。
「生前は娘と仲良くしてくれたようで、ずっとお礼を言いたかったんだよ」
「いえ、そんな……結局僕は、何もできませんでしたから」
自分でその言葉を言って、唇を噛み締める。
何もできなかったのだ。何も。
なんなら呪いに巻き込んでしまった。僕が演奏さえさせなければ。
僕が殺したも、同然なのだ。
しかしここでそんなことを言うとややこしくなる。呪いの存在もなるべくなら伏せておきたい。僕は沈黙した。
「以前実家に帰ってきた時にね、親子で晩酌したことがあるんだよ。ちょうど二十歳になったところでね。初めて一緒に酒を飲んで、それはそれは楽しかった」
「そうですか。石川さんはあまりお酒が強くなかったイメージです」
「そうなんだよ。娘はすぐ酔ってしまってね。だけどまあ、僕も親バカでね。娘に気になる人や彼氏はいないのかと尋ねたんだよ。そしたら付き合ってはいないけど、気になる人がいるって。それで君の名前を出したんだ」
「石川さんが?」
そんな。
全然気が付かなかった。知りもしなかった。
僕たちはいつだってパズルや暗号に夢中で。
「……そうだったんですね」
「やっぱり言ってなかったんだね。でもね、娘があんなことになってしまって、きっと自分の口で伝えたかったんだとは思うんだけども、どうしても君に伝えておきたくてね」
「……ありがとうございます」
「いや、話していてとても良い印象の好青年だよ、君は。父親として安心した。まあ、今更なんだけどもね」
なんと言っていいかわからなくて、僕は黙る他なかった。
「ところで、私は地元で町長をやっていてね」
話が変わった。世間話だろうか。
「今夜、町で花火大会があるんだよ。知っているかい? 花火というのは今は花火師が一個一個打ち上げるんじゃなくて、機械でプログラムした通りに自動で打ち上げられるんだ」
「そうみたいですね。聞いたことがあります」
「娘の部屋からね、楽譜が出てきたんだよ」
楽譜?
嫌な予感がした。
「娘が作曲したものだと思うんだけどね、短いリズムだけが書かれたものだった。娘はピアノをやっていたからね、作曲も少しやっていたのは知っていたよ。これは娘がつくった最後の遺作かな、なんて勝手に思ってしまってね。でも私は楽器が全然できないんだ。だから花火で演奏することにした」
「ちょっと待ってください、短いリズムの楽譜、ですか?」
「そう。打ち上げ花火なら、同じような爆発の音でリズムを取れるな、と気づいたんだよ。娘は小さい頃から打ち上げ花火が好きでね。今夜の花火大会で、その楽譜のリズムの通りに花火を打ち上げることにしたんだ。きっと良い供養になると思ってね」
僕は絶句していた。
「君にもぜひ見に来てもらいたいと思ってね。当日の連絡で済まないが、もし大学が休みで用事がなかったら、見に来ないかい? 場所と時間は……」
「今すぐやめてください! それは演奏しちゃだめだ!」
僕はスマホを握りしめて叫んでいた。
「……何を言っているんだい?」
「詳しくは言えないんですけど、それは一番やっちゃだめなんです! その楽譜も今すぐ処分してください!」
「……何か事情があるみたいだけど、そういうわけにはいかないよ。もう花火の準備は始まっているからね」
機嫌を悪くしたのか、電話は切られてしまった。
まずい。
花火大会の時間までは二時間を切っていた。場所はここからなら三十分もあれば行けるところだ。
でもどうする。呪いのことをうかつに話すわけにはいかない。そもそも信じられるわけがない。リズムで人が死ぬなんて。
遺品の楽譜は、おそらく石川さんなりに古文書の暗号を解読しようとしてリズムを書き残しておいたものだろう。その時はまだ、誰もこのリズム自体が呪いだなんて知らなかった。
止められなかった最悪のシナリオが頭をよぎる。
よりによって大音量の打ち上げ花火で呪いのリズムを演奏するということは、花火大会に集まった大量の人たちが一斉に呪われることを意味する。いや、音が届く範囲だけで考えたら、もっと広範囲、町全体の人が被害に遭う。
被害が大き過ぎる。なんとしても止めないと。
僕はすぐさま滝沢さんに電話した。
「滝沢さん! 七時からの花火大会で呪いのリズムが演奏されます!」
「なに? どういうことだい」
「花火ですよ! 花火の打ち上げの間隔を、石川さんの父親が遺作だと思い込んだ呪いの楽譜の通りに打ち上げるって!」
滝沢さんは瞬時に状況を理解したようだった。
「高橋くん、なんとしても止めるんだ。脅迫でもなんでもこの際手段は選んでいられない。俺はもう少し研究がある。あとで向かうから先に行ってくれ」
「わかりました!」
「お互いできることを」
電話を切り、僕は急いで身支度をして家を出た。
花火の打ち上げまでは、あと一時間と少し。
花火大会の会場は混雑していた。かなり大きい大会らしく、県外からも人が来ているのだ。
僕は人混みをかき分けて花火の発射地点へと向かいながら、とにかく思考を巡らせる。
花火の打ち上げ自体を止めるにはどうすればいい?
花火の打ち上げ担当の職員を脅迫する。ダメだ。発射が遅れるだけで、僕一人が警備員に対処されたあとに結局遅れて打ち上がる。
プログラムをその場で書き換える。そこまでのプログラミングの知識はない。
何か、何か手はないか。
その時、少し遠くの線路を電車が通った。
そうだ。石川さんのときみたいに電車の音で遮れば……いや、これもだめだ。
あの時はスマホのピアノアプリの小さな音だから打ち消せた。
花火の音量は電車なんかじゃかき消せないくらい大きい。それに都合よく花火の最中に電車が通るとは限らない。
花火の時間は七時から八時の一時間だ。呪いのリズムの短さを考えると、一時間の間にかなりの回数繰り返し演奏されるはず。電車でさえぎるなら、一時間の間ずっと走り続けてもらわないといけない。
鉄道会社に掛け合う? 無理だ。すぐに理解を得て走らせるなんてできない。
必死に頭を回転させながら、とりあえず打ち上げ場所に向かって進んでいくと、大音量の音楽が聞こえてくる。
盆踊りのやぐらのような場所にスピーカーが設置され、てっぺんでDJが夏らしい曲をかけていた。最近の祭りはこうやって音楽を流すこともあるようだ。
これだ! 僕はDJブースに駆け上がると、DJの男の背中にスマホを押し付けた。
「動くな! 言う通りにしろ」
「なんだお前! 何を押し付けてる? まさか銃か!」
男は動揺しつつも、演奏を止めなかった。
「質問に答えろ。この後の花火が上がっている時間、音楽は流す予定か?」
「な、流さない。あと数分で花火が始まるから、始まったら音楽は止める。花火を邪魔しないようにと言われてる」
「だめだ。最大音量で流し続けろ。花火の音をかき消してくれ。じゃないと大変なことになる」
「無茶言うな! すぐに主催者から連絡が来て止められるに決まってる! お前何がしたいんだよ!」
「いいから止めるな! 音量上げろ!」
「何やってる!」
突然背中を掴まれ、やぐらから引き摺り下ろされた。とっさに腕を掴んだDJの男と共に地面に転がると、上から男に馬乗りにされ押さえつけられる。
「不審者を確保! 応援求む!」
「離せ! こんなことしてる場合じゃないんだ!」
警備員に捕まったのだ。成人男性の重い体重をかけられ、抜け出すことができない。
音楽は止まってしまっていた。DJが落ちる瞬間に音を止めたらしい。まもなく始まる花火の音を、聞かせるために。
「くそっ! お願いします! 音楽を流して! 花火の音を聞いちゃだめなんだ!」
「何言ってやがる! おい、DJさん! あっちに避難しててください!」
「あああ間に合わない! 始まる!」
ドン、と大きな音がした。
僕は大きく目を見開いて空を見上げた。
始まったのだ。花火の打ち上げが。
「あ、あ、あ」
終わった。
大きな花火がひゅるひゅると小さな音を立てながら空を昇り、弾ける。
「……え?」
三発目。四発目。
次々と上がる花火だが、爆発の音が、途中から消えた。
なんだ? どうなってるんだ?
視界の端で何かが動いた。
やぐらの上に滝沢さんが居た。
「たき……っ!」
僕は慌てて黙る。滝沢さんが唇に人差し指を当ててこちらを見たからだ。
滝沢さんが何かをしたのか。そうとしか思えない。
大きな別の音でさえぎるんじゃなく、花火の音自体を無音にするなんて。
一体どうやって。
勢いを増して打ち上がる花火だったが、無音で光の輪を咲かせる様子はとても美しく、この世のものではないような気がした。
無事に無音のまま花火が終わり、僕は警備員にこっぴどく怒られてから解放された後、滝沢さんと合流した。
「ありがとうございます。何をしたんですか?」
「逆位相の波をぶつけた」
滝沢さんは歩きながら説明した。
「逆位相?」
「音というのは空気の振動で、波なんだ。波には形があって、それを簡単にここでは位相と呼ぼうか。位相がまったく逆の波をぶつけると、波は消滅する。つまり音が消えるんだ」
「専用の耳栓をつくるって……呪いのリズム自体を打ち消すような音をつくる、ってことだったんですか?」
「まあそういうことだね。ただ何の楽器でそのリズムを奏でるかがわかってないと、逆位相の音はつくれない。元の楽器の音の波形が必要だから。今回は花火の最初の数発をサンプリングして、その場でつくった。最初の何発かの打ち上がるタイミングでテンポを測定したら、あとは逆位相の音を大音量で同じリズムでDJブースのスピーカーから流すだけ。賭けだったけどね」
「そっか、同じリズムってことは、逆位相の音も、聞こえたら呪われる」
「そう。ただ完璧に同じタイミングで流れれば、打ち消しあって何も聞こえない。ノイズキャンセリングイヤホンと同じ原理だよ」
見たところ花火大会に来ていた人たちは発狂していない。花火の音が聞こえなかったのは不審がられているだろうが、そんなのはすぐに忘れ去られるだろう。
僕たちは呪いの拡散を防いだのだ。
その後、石川さんの両親には「石川さんの遺作は三人で曲をつくる途中の楽譜だった。完全版ができたのでこちらを聞いてほしい」と嘘の音源を滝沢さんがつくって渡し、楽譜は回収した。もちろんこの音源のリズムは呪いのリズムから変えてある。
「僕たちはこのリズムを知ってしまっている」
数日後、滝沢さんと二人で川原に集合して僕たちは話していた。
「絶対に演奏されないように、僕の周りにはこのリズムの情報は一切残していません」
「それでいい。逆位相の音をぶつけることが対処法になるのはわかっているけど、突然人間が手を叩いてその場で呪いのリズムを奏でるなんてのはどのみち止めようがないんだ。対処法と一緒に伝えるというのは無理があった」
「北島家のおばあちゃんが認知症になり、孫の拓也が死んだ以上、古文書について伝承と共に正確に受け継いでいくのは僕たちしかできません。でもこのリズムは、情報として残すこと自体が、演奏してしまう危険性と隣り合わせだ」
「悪用の危険性だってある。この前みたいに花火なんかで演奏された日には大パニックだ。やはり燃やすしかない」
「僕もそう思います。では」
古文書と石川さんの残した楽譜を地面に置き、火をつける。
「これで終わります。やっと」
「あとはもう俺たちが墓場までこの呪いを持って行こう。それで終わりだ」
「はい」
滝沢さんは信用できる。この呪いのリズムを世の中に音楽として発表するなんてことができてしまう音大生だが、きっとそんなことはしない。
呪いの被害は僕の親友二人で済んだ。
……なんて理不尽なんだろう。
これは天災だ。自然災害だ。
人が悪意によって人を殺すなんてものではなく、呪いが、ただ増えたいから、広まっていく。
でももう終わりだ。
呪いはもう、広まらない。
滝沢さんと別れ、家に帰ってコーヒーを入れている時だった。
頭の中であのリズムを反芻していた。
モールス信号の形で、頭の中だけで思い浮かべるだけなら呪われない。
だとしても、なぜか頭からあのリズムが離れないのだ。
——違う。
心臓の鼓動が、あのリズムになっている。
「なんでだ! いつ!? どこで聞いた!?」
呪いは終わったはずだった。すべて燃やしたのだ。
パチパチと爆ぜる火の中に放り込み……。
「……火の爆ぜる、リズム」
呪いを振り撒く古文書は死んだ。
しかし呪い自体は死んでいない。
死にたくなかったのだ。
呪いは生き物。死ぬ間際に、僕たちを呪った。
僕たちを核として、再び広がるために。
僕は絶叫しながら部屋中を駆けずり回った。
ノイズキャンセリングイヤホンを見つけると、震える手で耳に押し込む。
ダメだった。このリズムは頭の中で鳴っているのだ。
頭の中の音楽をノイズキャンセリングするなんてできっこない。
僕が呪われたのと同様に、やはり滝沢さんも呪われていた。
自宅から発見された滝沢さんの死体の横には、耳の鼓膜を破った血のついた指揮棒があったという。
僕はまだ自殺していなかった。本当にたまたまだった。
相変わらず頭の中のリズムは止まらず、周りのすべての音がそのリズムに聞こえるが、ノイローゼになりつつもなんとかギリギリのところで正気を保っていた。
絶対にこの呪いを広めてやるものか。
僕で終わらせる。それには死ぬだけじゃだめだ。僕の死体や死ぬ前の行動が呪いのリズムをこの世に残してしまう可能性がある。
部屋に引きこもり、延々とネットや文献で音楽のことを調べた。
そしてついに発見した。
頭の中で音楽がずっと鳴ってしまうのは、実は人間よくあることらしい。
この現象には名前がついていて、イヤーワームと呼ぶ。
耳の中に虫が常に居て音を立てているような、というわけだ。
呪いのリズムも原理的にはイヤーワームの強烈なやつなのかもしれない。
普通のイヤーワームは自然に治ることが多いが、悩んでいる人がいる以上、治療法も模索されていた。
そして二〇二三年、イギリスの大学教授が開発したイヤーワームイレイサーという曲が、イヤーワームを高い確率で消し去ると発表された。
これだ。
僕は藁にもすがる想いで、ネット上に公開されていたイヤーワームイレイサーを聞いた。
「……消え、た」
頭の中のリズムが、消えていた。
心臓の鼓動もいつの間にか戻っている。
呪いの対処法は、あったのだ。まったく別の角度からの研究によって、海外に。
もう大丈夫だ。人類が呪いのリズムを再発明しても、イヤーワームイレイサーがある。
「は、はは」
笑いが止まらなかった。ついに呪いから解放されたのだ。
鼓膜も破らず、自殺もしない。絶対に対処法を見つけるという僕の執念が、呪いに勝ったのだ。
その後、僕は一切音楽を聞かなくなった。
イヤーワームイレイサーがあるとはいえ、人類が偶然また呪いのリズムを発見してしまい、曲に含まれてしまっている可能性はゼロではない。
もう呪われるのは金輪際ごめんだった。
正直、僕が鼓膜を破らなかったのはたまたまだった。周りのすべての音が呪いのリズムに聞こえる状態で正気を保つのは難しい。
今だって、僕は周りの自然界の音がたまたま呪いのリズムになっているんじゃないかという恐怖から、常にノイズキャンセリングイヤホンをつけていた。
呪いには原始的な増えたいという欲求がある。だからこの呪いにかかった者を通して、呪いは自己を広めようとする。
僕が呪いを広める行動を取れなかったのは、本当に音楽が苦手で、リズム感もないからだった。
今ならわかる。なぜ北島家の祖先が、呪いのリズムをわざわざ古文書に残したのか。
そのまま忘れ去ればよかったのだ。なのにわざわざ残した。
呪いが、自己を増やすために、受け継がせるために、古文書に書かせたのだ。
だから巡り巡って、現代にまで呪いは生き残った。
でももうその輪廻も終わりだ。僕で終わりなのだ。現代人の知性は対処法となる曲を生み出した。
まだ怯えて暮らす僕も、いずれはイヤホンを外れる日が来るだろう。お守りで聞いているイヤーワームイレイサーを、止める日が来るだろう。
人類は呪いに勝ったのだ。
「……あれ?」
数日後、心臓の鼓動が、イヤーワームイレイサーと同じリズムになっていた。
終
耳虫 小夜夏ロニ子 @sayaro
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