ニュアンス

上雲楽

隕石

 1


 私は生物部の顧問でもないのに、生物実験室で涼んで、うとうとしていたら、正門に強い日差しにあてられて目立つ折りたたみの白い日傘を見つけて、倉田ではないかと思った。歩き方は、倉田らしくなかったし、倉田と会う約束は来週の、七月末だった。生物実験室は三階で、正門がよく見えた。うとうとしていると、夢と想像と現象がまざって、私が期待しているようなものを体験させるのは、子どものころからよくあることだった。あるいは悪夢でも。

 木曜日は生物部が生物実験室にいないから、静かで、魚やトカゲを見ながら、次の授業で生徒に解かせるためのプリントを作ったりしていた。今は、電子のことについてのテストだった。イオン化したり、結合に役立つ。前にクラスで、電子は計算上ランダムにしか存在しないと話したら、みんなあまりわかっていなかった。詳しく説明するには時間がなくて、みんな、受験に役立つ話をしてほしかった。

 お気に入りの水槽はフグを数匹飼っていて、何匹かは知らないが、気がついたらいなくなっていた。減っていることに気がつかなくても、ゼロと一の間には境界がありそうだが、わからなかった。エビと、貝だけ、水槽に残って、ポンプから酸素を送り続けている。模造の海藻に隠れていそうでもなかった。エビがわしゃわしゃ足を動かして、懸命に沈みにいって、酸素の泡で流されて浮上して、流されて、また沈んで流される遊びを繰り返していた。生きているエビの足の動きは普段見ていなかったな、と思った。エビフライにするときはまっさきに頭と足をはがしてしまうし、エビはもう死んでいる。いつも買う冷凍のエビはすでに頭と足をはがしてくれていて、死んでいる。私はフグに餌をあげてみたかったから、それがもうできないことになってしまって、かなしかった。

 一週間くらい前に国立駅で見かけた花沢みさきを思い出していた。東京方面行きの電車にのっていて、私は話しかけたかったけど、西国分寺駅でどっと降りる人たちに流されて、すぐ見えなくなった。花沢は私が昔いた劇団おぜむの同期だった。私がコロナのときに劇団をやめたのと同時期に、劇団にこなくなって、自殺したと聞かされていたから、たぶん、花沢みさきの妹の花沢こうめだったのかもしれない。

 私は同じく同期の倉田に、昨日電話で、確認したかったけど、その前に近況を聞かれて、私が、演劇部を創設するつもり、と言うと、倉田はびっくりしていた。昔みたいにおおげさに驚いてくれた。私のかばんには、先月リサイクルショップで投げ売りされていた、倉田の若いころのブロマイドを入れている。だから連絡したのよ、と私は言わなかったけど、倉田は、

「でも、篠岡さんがまた舞台に戻ってくれてうれしいです。今も、篠岡さんの映画のビデオ見返していることがあります……」

「私たち、才能なかったからね」

 倉田の声は若々しく、いつから、私は日焼け止めを塗り忘れていたのだろうかと思った。日傘をさして、駅から勤務先の国松学園まで歩く十五分間の坂道で、息が上がってしまって、かつて「女神」という陳腐なキャッチコピーで呼ばれていたことは忘れたいことだったし、思い出せなくなってくる。ただ、どこかの喫茶店で話すだけでもよかったのに、倉田は演劇部の指導協力をしたいと言い出して、それはうれしいことだったし断りたくなかった。学園の許可は必要だが、部員や練習場所を見たいと言った。それも学園の許可が必要だった。どこかの喫茶店で、十年前のようにモンブランとコーヒーで、ノスタルジーに浸りながら、私の決意を固める行為は無駄だから、けっきょく倉田が学園を来訪するべきなのだ……。仕事の愚痴と健康への課題と思い出話が唯一の二人の縁だとはまだ思いたくもなかったし、フグや花沢の話をするには電話ではお互いに時間がなさすぎる……。なぜ、大学を卒業しながら、劇団おぜむを盛り上げ、教員免許をとって、三時間も喫茶店で演劇論や好きなテレビのアニメや、読んだ本の話で、映画を見に行ったあとの時間をつぶせるだけの暇があったのか、思い出せない。都会に二人で電車で映画を見に行って、人身事故で立ち往生していたから、喫茶店にいた。人身事故の起きるたび、いつも乗る電車のルーティンで見慣れた人々が大勢で埋め尽くされて知らない人たちと電車に乗りたくなくて、喫茶店でたむろする。バイト代が、ほぼ一日分、映画と交通費とモンブランとコーヒーで消える……。そう、大学も、劇団も、アルバイトもしていた……。知らない顔の中でおしゃべりすることは普段の舞台と変わりないのでは? 電車という密室で。むしろ、それで、普段のおしゃべりすらパフォーマティブなものになってしまえば、自他ともに「女神」の称号を認めてしまったのかもしれない。電車で、知らない人たちに、愉快なおしゃべりだと、聞き耳を立てられるのは痴漢じみていて許しがたい。

 有名なポルノ映画のリバイバル上映を見たくて、二人で、ハッテン場として知られている映画館に行きたいころもあった。女二人だから平気だろうと思ったし、実際なにごともなく、観客は私と、倉田のほかに、二三人程度だった。もっと臭いと思っていたけど、換気されて、多少カビ臭いだけだった。入場を断れることも想定していたけど、すんなりだった。倉田は行くのをおっくうがっていたけど、私は気にしなかった。観客の男たちは、映画にも私にも倉田にも、もしかしたら他の男にも興味なさそうだった。古いポルノ女優が、汗ばんで、髪がはりついて、叫びながら、乳首を揺らして、男が終わるのを待っていた。官能というより、土着的な儀式のようで、私は、このような身体性を目指したいが、当時求められるのは、神秘的で、汗もトイレも必要のない偶像のようなものだと直観していた。それが演者としての篠岡まひろの限界だと、直接確信したわけではなかったが。もちろん、乳首をさらしたいわけでもなかった。映画館からの出口で、帰りの電車の時刻を確認しようとしたら、SNSで、人身事故のニュースが流れてきて、帰れなかった。喫茶店を探した。道の真ん中で、子どもがさびれた、ハッテン場の映画館をじっと見て、母親に引きずられて、速足で点滅する青信号を渡っていく。振り返った子どもと目線があった。

 私の毛穴がドーランで隠されて、睫毛がアイシャドウで擬態されて、呼吸だけを頼りに、観客から、演者として承認されていた気がする。舞台装置Aではなく……。倉田はいきいきと、劇団の同期の中では幼くみえて、同じ睫毛でも、生命感の隠蔽ではなく、拡大のように見えた。もし、青信号をわたっていた子どもが、私のことを、ポルノスターなのだと思ったのだとしたら、それは一種うれしいことだが、ありえないことだった。舞台照明の熱さを、倉田は汗ばんで着こなせるから、まだ現役で俳優をやれているんだろうな、と思う。それは私が勝手に設けた自身の限界へのいいわけなのだが、とっくに役者をやめた私に倉田がまだ友情(のようなもの)を覚えているなら、心強いし、いろいろ話を聞けそうだった。花沢のことは忘れかけていた。倉田は電話で、

「当然、目指せ全国ですよね。私も高校演劇やっていたんです。それで、部員は? 部室は? 楽しみですね、私、スパルタコーチってやってみたかったの。私たちのトレーナーもスパルタで楽しかったですよね。練習メニューもどうしましょう。脚本も……。国松学園って篠岡さんの母校なんでしょう? きっとみんな頭がよさそうで、いい子なんでしょうね。私、不良を全国に行かせる熱血コーチも楽しそうだと思っていましたが高いモチベーションの子を引き上げる方が楽しいし、楽ですよね」

「たいして勉強しないで、演劇しようと思う不良ばかりだよ、今の入部希望者は」

 倉田が、それはまあ、とうれしそうに笑った。私は家でわかめご飯と魚の煮付けとサニーレタスを食べながら話していた。サニーレタスをちぎりすぎて、すぐ満腹になってしまった。サニーレタスで満足するからだだから、体力がないのだ、と言い訳したくなった。疲れていて、帰って、シャワーを浴びて、ご飯を作って、洗濯して、バラエティ番組を流していたら、すぐに眠たくなる。バラエティ番組で、台東区の国立博物館の隕石を特集していた。私も、子どものころ、何度か見たことがある。隕石はロゼッタストーンくらいの大きさで、似たように日本語が刻印されている。いつ、刻印されたかわからないオーパーツなんですよ、と芸人が紹介していて、くだらないオカルト番組だった。テレビに映った隕石には、


 夏の日に再びめぐりあって演劇します。

 さかなは、死に、日傘が目立ちます。


 と書かれているように見えた。私は倉田に、

「国立博物館に行ったことある?」

「うん」

 それで会話がとぎれて、電話は終わった。テレビではまだ博物館を映していて、特別展の大奥の暮らしとかをもっと見たかった。一番見たいのは、縄文時代の土器だった。職員が、

「昔の人々の考えを、現代に伝えるのが、博物館の義務ですね。昔の考えは隕石のように刻まれていて……ログですね、博物館を通信局にして、みなさんのからだで再生されます」

 芸人が、

「それって、この……『最強女軍団大水泳大会!』ですか? 刻まれた……」

「でしょうね」

「バラシ予定でも?」

「CMのあと、隕石に刻まれたヒミツとは!」

 シャンプーのCMになって、くだらないからテレビを消した。いまさら、魚の煮付けって、魚の死体だな、と自覚して、突き出た白い骨が気持ち悪くて、ラップをした。冷蔵庫に入れた。わかめご飯も、炊飯器にたくさん残っている。サニーレタスは、若干傷んでいるから、早く食べないといけなかった。ドレッシングをじゃばじゃばかけて、味をごまかした。それで満腹になった。

 子どものころ見た隕石はもっと別のことが書いてあった。子どものころは博物館なんて人を教育させる手段にうんざりしていたのに、私は教師になっている。フグを探すのはあきらめて、プリントも作り終えて、あとは小テストの丸つけをして、帰るだけだった。化学基礎だし、簡単だから、ほとんど満点だった。だから、授業時間も持て余して、もっと、電子のたのしいふるまいを教えたかったが、聞いてくれないのはわかっていた。

 生物準備室は涼しいから、出るのが面倒だったら、扉が開いて、演劇部の部長の田山だった。

「部活終わったので、講堂の鍵返しにきました」

 職員室でいいのに、と思ったが、ちゃんとリスク管理できていてえらい。

「今日は?」

「いつもの筋トレと、駐車場の横の資材置き場はもう使えそうです。脚本は探します」

「書かないの?」

「書いてきた二人は、演劇部を立ち上げる『私』演劇だったので、やめにしました。やってもいいですけど、自己言及って恥ずかしいじゃないですか。六人のうち、音響、照明、舞台監督は裏方に絶対配置して、三人劇を探さないと……」

「ネットのサイトで、人数から検索できるよ。URLいる?」

 頷いたので、田山にPCからURLをコピペしてメールを送った。田山のお尻から、着信音がした。田山がスマホを見ながら、

「しかし、寒いですね、ここ」

 と言った。


 2


 夏休みに入って、毎日部活できるようになって、私はたいへんだった。副顧問の武田に半分は任せているけど、休みが少ない。倉田が演技指導にきた日は、私がいた。倉田を一階の来客用の玄関まで迎えに行くと、階段から降りてすぐ、倉田は私に品よくハンカチで汗を抑えながら手を振って、ほほえんでいた。手慣れていた。相変わらず若々しくみえて、学生の一人にみえる、とはおおげさにしても、最近卒業したOGと言われたら納得しそうだった。私も曖昧に笑って、余計なことを言われないように、部員の名前を説明しながら、また二階にのぼって、渡り廊下から講堂へ案内した。倉田はうしろでスリッパをペタペタしながらついてきて、相槌をうっていた。渡り廊下も熱されていて、屋根がついているけど、端の三分の一くらい日差しが入ってきている。無意識に、渡り廊下の日陰側を歩いていたら、湿気をまとった熱風が吹いて、さっきまでエアコンにあたっていた私にはじっとりして気持ちが悪かったけど、倉田は、風があると涼しいですね、と言った。渡り廊下から見える、講堂前の広場の端に植えられた桜の木々も、大きく風に揺れていて、納涼に見えるのかもしれない。でも、講堂内のエアコンの方が、よかった。

  講堂では、六人の生徒が、奥の舞台の上でストレッチしながら談笑していて、もう交友関係ができているらしかった。もっとも、一年生と二年生がそれぞれ三人のうち、一年生と二年生の各二人は同じクラスだった。倉田と私にすぐ気がついて、立ち上がって、大声でがなって挨拶した。倉田は、ほほえみつつ、少し威厳を含ませて、おはようございますと挨拶した。私も少し引きずられて教師ぶって、

「おはようございます、こちらが倉田ちなつさんです。現役の俳優で、月に一度程度、演技指導等をしてくださる予定で……」

 と言おうとするのを、倉田が横目で見て、話を止めた。

「おはようございます。はじめまして。倉田です。篠岡先生とはご縁があって、協力することにしました。あの、さっそくですけど私は楽しく部活ができればそれだけでいいと思うんですね。それで、部としての方針を聞きたいのですが、目標とかはあります? 今年の夏の地区予選は間に合わないけど、春の合同発表会には間に合いますよね。文化祭にもきっと間に合います。もし、そこにフォーカスがあるなら、ハードな練習はいりませんし、やりたい部の活動に、私は合わせるつもりです」

 部長の田山が、緊張した顔で、全国です……と言った。他の生徒も一拍遅れて、同じことを言った。

「そうすると、練習はたいへんかもしれませんね、大丈夫ですか?」

 𠮟られているように、生徒たちがはいと言った。倉田はけっこう露骨に声色を緩めて、わかりました、いっしょに頑張りましょう、エンジョイです、と言って、生徒がくすくす笑った。こういう、誘導尋問も倉田はできたんだな、と私は少し驚いていた。倉田は同期からしたら、天然キャラっぽい見られ方をしていたし、倉田も少し幼いふるまいをして、よろこんでいた。倉田がそういうポジションを確保する動きをしていたと考えて、問題はないし、別に欺瞞というわけでもないが、単に、私が倉田を純粋視しているだけなのだろう。

 ひとまず、全員の自己紹介を終えたあと、三か月後の、十月の文化祭を小目標にすることが決まって、それに向けて練習することにした。そのための、脚本やスケジュールは自分たちで考えておくように、と倉田は言った。私は、ますます、誘導する気まんまんの癖になあと思ったが、生徒が自主的な体で動くことに異存はなかったし、現に動けている。ただし、脚本はまだ未定だったので、倉田の主導でエチュードをすることになった。銀行強盗、とテーマだけ決めた。私と倉田が舞台の下の椅子に腰をかけると、奥の舞台から、こそっと、

「篠岡先生もだけど、二人並ぶとすげー美人……お人形さんみたいって、このことなんだ……」

 と聞こえた。たぶん、一年の阿野だった。倉田はそれを無視して小声で、

「この人数ですし、全員即戦力にしたいですけど、絞って二三人くらい使える子がほしいですね。自主性は問題ないけど、考えすぎる人って、感情表現が苦手な人も少なくないですし」

 私は、そうね、とだけ言った。たぶん、それを見極めるためのエチュードだった。考えすぎる下手くそとは、私のことを言っているような気がしたが、倉田は人の批判など言わない。でも、おぜむ時代は、私が「演技派」だったのだ。倉田が深夜のバラエティにたまたま出て、おぜむが注目されたとき、私が劇団のエースだったと自負している。「演技派」など、ぱっとしない人のための言い訳だが、そのうち「女神」とも言われるようになって、私はどう見られているのかわからなくなった。私にとっては矛盾する形容だったし、観客に演技などわからない、と傲慢になりそうだった。そもそも、なんのために劇団に入ったのかもわからなくなってきた……。倉田は半ばアイドルのようにテレビに出て、深夜のレギュラーも一つあった。深夜のゆるい情報バラエティの椅子に座って、ケーキを食べたり、売れ線商品のランキングの予想をしたりしていた。かわいい色の、流行りのお菓子を食べて、

「おいしいですぅ」

 となごやかに言っていた倉田は、普段話しているときと同じように見えた。私は宣伝は倉田に任せてしまって、テレビには出なかったけど、それが余計に「女神」戦略に乗っかってしまった気がする。こうして、面倒ごとは倉田に押しつけてしまっていたのかもしれない。倉田はもし「女神」だったら、うとましかったのだろうか、ともはや無意味な想像をした。

 十分程度のエチュードを終えて、倉田が小声で私に、どうでした? と聞いた。

「思ったより発声ができている。初対面の大人が席にいるのに照れずに演技したし、はじめてにしては及第点じゃないかな。腰宮は肩に力が入りすぎだったけど……」

「まさか、満足じゃないですよね?」

 私は、どういう意味? とは言えず、もちろん、と返事した。倉田は嫌味を言うような人間ではない。でも、意趣返しかもしれない。

 エチュードの総括は田山が代表して説明して、コメディになったのは想定外だったが、おおむね対処することができたのはプラスだった、基本的な演技力はまだ努力が必要、というようなことを言った。各反省も似たようなことを言っていた。倉田は特に否定しなかったが、全員が話し終えると、

「他には?」

 と言った。生徒たちは黙ってしまって、私も、何を言わせたいのかわからなかった。半ばパワハラみたいだと思ったが、今回は厳密に演技を指導するというより、顔合わせが主目的だったから、そうやって、倉田なりになめられないようにしているのかもしれない。数秒で、なければ大丈夫ですよ、エンジョイできましたね、とほほえんだ。生徒たちはまだ緊張していた。

 ざっくり一時間弱経っていたので、倉田は、今から休憩にすると言った。二三時間程度時間を作るらしい。私は今日の部活はこれで切り上げてもよかった。特にすることがなかった。トイレと言って講堂から出ていく倉田を私は追いかけた。

「トイレの場所わかる?」

 と私が言うと、

「見放しているの?」

 と倉田が言った。

「花沢のことなら、私にもできたことがあったかもしれない。でも、花沢のこうめの方は頑張っているんでしょう?」

「花沢さんの責任ってなんですか? 花沢さんは二人とも頑張っているのに、子どもの演劇はしょせん部活ですか」

「追い詰めろ、と」

「時間意識ですよ……。青春が有限という……」

「だから、倉田にお願いもしている。ごめん」

「やりたいことだったので、いいですけど……。花沢さんも、協力したいって言っていましたよ」

「私たちの第二の青春?」

「そうです」

 案外、花沢みさきが追い詰められたのは、倉田のせいかもな、と悪いことを考えた。単に、コロナ鬱と、中年の危機の組み合わせだと勝手に動機を考えていたが、おぜむの環境で思うところがあったのかもしれない。二週間前に花沢みさきを駅で見て、「元気?」とすぐメッセージを送ったが、未読のままだった。それを見せつけようとスマホを触ると、倉田はトイレに去ってしまった。花沢みさきから返信がきていた。一週間近く前の夜に、ピースサインのスタンプが送られていた。オカルト番組を見た夜だった。予言みたいだから番組を覚えていた。未読無視をしていたのは私だった。私は、「話せる?」と送信した。すぐに「いずれ」とだけ返信がきた。花沢こうめがスマホを触っているのか?

 トイレから戻った倉田に、四人で話せる? と言うと、誰と? と言われた。私は、やっぱり大丈夫、と言った。

 渡り廊下に戻ると、空からいくつかなにか落ちていた。落ちた先を見ると魚で、ファフロツキーズだった。倉田は、ちかごろ多いですね、と言ったが、私ははじめて見た。今日は風が強いせいかもしれない。生徒を呼んで、ファフロツキーズを見せてあげたくなった。ぐちゃっと魚がつぶれて、赤い肉片がコンクリートに飛び散って、鳥が集まってきていた。数十匹は死んでいた。落ちる魚はたぶんもうなくなっていて、最後に落ちた魚を見ることができていた。

「どこで見たの?」

 と私が言うと、倉田は、中野で数回、と言った。ネットニュースにもなりましたよ、と言った。そのうち臭くなりそうで、洗い流した方がいいのかもしれない、先に用務員さんに連絡した方がいいかもしれないが、夏休みかもしれない。

「どうしたらいい?」

「博物館に連絡ですね」

「どうして?」

「これ、ログの再生でしょう? ここが海だったころの……」

「ここ、高台だよ」

「それもそうですね」

 倉田は渡り廊下から乗り出して、下を見ていた。ぐちゃぐちゃの青魚だった。うろこが光って反射していた。逃げ水も見えた。アスファルトがとけているみたいだった。私は、「国立博物館 隕石」と検索した。国立博物館の公式サイトの画像がヒットして拡大した。


 夏の日に再びめぐりあって演劇します。


 と刻まれたままだった。同じ予言のまま、現在は変わることがなかったらしい。私は、スマホを倉田に見せると、


 よみがえることはエチュードです。

 ともだちが、増えて、うれしい。


 ってなに? と言った。下にスクロールして、倉田が読み上げた。

​――​当館に収蔵されておりますこの隕石には日本語が刻印されていると認識されます。その表面に刻まれた、日本語の文字列は、一種の「ログ」として機能し、刻まれた内容に対応する出来事が再現されます。これは、過去の出来事が物理的な現象としてこの空間に再演されることを意味します。この現象は、あたかも時間が逆行しているかのように見えますが、その本質は、この石が持つ過去の記録を、観測者である私たちの現実と同期させることにあると考えられています。この再現された出来事は、再び石の表面に新たなログとして書き込まれます。このフィードバックループにより、日本語の解釈は時を経るごとに変化し、再現される現象も多様性を増していくのです。

​ こういうことですよね、と倉田が言った。私も一応化学教師だから、隕石のプロセス自体は知っていたが、それがなにを意味するのかはわからず、そうね、と言っていた。過去に起きたできごとを繰り返しているにしても、空から魚が落ちてくるのは変だった。なにが、予言のようにフィードバックされたのか、わからなかった。

 国立博物館のサイトのお問い合わせのところに、

「思い出したことがあればこちらへどうぞ」

 投稿フォームとメールアドレスがあった。

「これ、博物館に連絡するの?」

 と私が言うと、

「私は何回かしましたよ、何かはじめてのことがあったら、それは博物館に連絡する必要のない、現在のできごとだけど、それがデジャブだったり、人が覚えているだけのことだったら、ログの再生でしょうね」

「私の記憶に介入されたくないし……」

「もう起きてますよ?」

 講堂から出てきた阿野が、なんか臭っ、と言って、渡り廊下の下を見た。

「うわ、すごい惨劇。さっき、ぼとぼと聞こえたけどこれかあ。先生たちの仕業ですか?」

「そうかも」

 と私は言った。倉田が頷いたので、私は、国立博物館のメールアドレスに、

「東京都の国松学園でファフロツキーズを見ました。私には、はじめての体験でした。洗い流した方がいいですか?」

 と送った。すぐ電話が鳴って、知らない番号からだった。無視して、番号を検索したら、国立博物館からだったから、かけなおした。

「この電話は、今後の参考にするため、録音いたします。ご了承ください……」

 二コールくらいした。

「……もしもし、先ほどお電話いただいて、メールを送ったものですけど……」

「篠岡さんですよね、ファフロツキーズの」

 きれいなトーンの、女の人の声だった。

「どうしてわかるんですか?」

「SNPパターンがIPアドレスとして博物館でアドレッシングされてそろえられているんです。話したいと思ったときは、話せているときです」

「テレパシー?」

「隕石が再生するものごとは、すでに起こることだから、起きたことなんですね、だから、連絡する前に、連絡されることもわかりますね」

「ファフロツキーズも? はじめて見ました……」

「メッセージに見えました?」

「特に」

「そのうちわかりますよ。お元気で。すぐに清掃業者を向かわせますので」

「ありがとうございます」

 それで電話が切れた。私は倉田に、

「メッセージで、テレパシーらしいけど、どういうこと?」

 と聞いた。

「ものごとには解釈しだいという側面もある、という程度のことじゃないですかね」

 阿野が、けらけら笑って、

「それって、演劇ですね!」

 と言った。陳腐だけど、けっこう正確なメタファーだと思った。


 3


 ファフロツキーズが一度気になると、けっこういろいろなところで起こっていると知った。ネットニュースを検索していたら、いくつもヒットして、会員にならないと読めなかったから見出しだけ見た。ニュースになっていたこともぜんぜん気がついていなかった。天気予報でこれからの天気を気にしても、ニュースでこれまでの天気を知ることに興味がなかったから、知らないのも当然かもしれない。武蔵小金井駅で車両が緊急停止したのも、いつも気にしていなかったけど、きっとファフロツキーズのせいだった。おかげで、部活に遅刻してしまう。朝八時に間に合うように国松学園に行くには、早く起きないといけなくて、その時間はまだ涼しいし、帰る夜になっても涼しかった。電車も空いている。こうした日々の暮らしが記録されていて、繰り返されているなら、連日の記録的な猛暑は繰り返しから離れているが、地球史レベルで考えれば平均化されるのだろうか。

 脚本は、エチュードの影響があったのか、家族三人のブラックコメディになった。父と母と娘が、ペットの犬の処遇について話し合って、罵り合いになる話だった。私は笑えなかったけど、文化祭で見せるにはちょうどよさそうだと思った。

「車両の点検のため緊急停車しております。安全の確認までしばらくお待ちください」

 と定期的にアナウンスが流れて、しばらく経つ。遅れることは、田山にメールした。倉田にはもっと早く連絡した。申し訳ないけど、武田にも連絡して、車で向かってもらった。いつの間にか電車は追い越されて、部活をはじめたと武田から連絡がきて安心した。これで部活はまわるし、私がいてもいなくても変わらないな、と子どもっぽいことを思った。ゴールデンウィークがあけた五月の末くらいに、田山と腰宮が演劇部の顧問になってほしいと直談判にきたときはびっくりした。理由を聞くと、演劇経験のある顧問がうれしい、という端的な理由だった。田山と腰宮は二人とも二年梅組で、文系クラスだから、化学基礎を教えているだけの関係だった。私は担任をもっていない。だからか、部活動の顧問くらいは働きなよ、という暗黙の職員室の圧力は感じたし、横にいた武田は、

「ゼロから部活を立ち上げるなんて、熱心でいいことじゃないですか。意欲がある子は伸びますよ」

 となぜか鼻を伸ばしてよろこんでいた。私は、五人以上の部員がいないと、認められないから、と先延ばしにした。部活動としての承認条件はそうだったけど、同好会としてなら、私が顧問になるとだけ言えば、すぐに承認されるはずだった。田山と腰宮はそれで引き下がって、六月の間に、四人、計六人の部員を見繕った。

 武田は、職員室から出ていく田山と腰宮を見送って、

「しかし、『女神』と知ってのことなんでしょうね」

 と言った。私は、ええ、たぶん、と曖昧にはにかんだ。武田は、

「そんなの、野球部の顧問が元プロ野球選手みたいなものじゃないですか、受け継がれる夢ってロマンがありますね。それに、子どもの成長を実感するのはいいものですよ。肥料と水と光でぐんぐん伸びる」

「そうですねえ……」

「協力できることあったら言ってくださいね。演劇経験はないですけど、舞台は見たことありますよ。やっぱり、人の存在感? が強いですね、舞台って」

「そういう存在の押しつけがましさってうんざりすることありません? 私、小学生のころ、声が大きい担任で、苦手で、授業中は絵を描いて縮こまっていました」

「それは難儀ですねえ! でも、声が大きくなくても、スター性はありますよ。顔とか、声質とか、所作とか因数分解しても、まだ、根源的にわけきれないなにか……」

「演劇論はわからないから、教えにくいですよ」

「医者の不養生ですね」

 私は大学時代は演劇論の本ばかり読んでいたから、講義くらいなら頑張ればできそうだった。今となっては、おぜむに入ったから、本を読んでいたのか、本を読んだからおぜむに入ったのか思い出せないが……。おぜむに入った動機も、大学の同期に誘われたからだったり、演劇に興味をもったからだったり、スカウトされたりで、記憶はその時期に都合がいいように覚えていたし、過去のインタビューでも、よくつじつまがあわないことを言っていた。今は、「忘れた」と都合のいい記憶をもっている。忘れてしまえば、人から過去を詮索されても、忘れてしまったからということで、言い逃れできるし、人も、詮索されたくないんだ、とわかってくれた。でも、本当に忘れていた。

 私は電車で退屈しながら、ネットで、「篠岡まひろ」と検索した。たくさんのページがヒットした。Wikipediaの来歴には、

「劇団おぜむからスカウトを受け、芸能活動を開始[要出典]」

 と書かれていた。大勢が編集していることだから、その来歴が今、一番もっともらしいらしい。ようやく電車が動き出して、外に魚が落ちていないか確認したが、外はまぶしくてすぐうんざりした。

 学園にたどりついて、息を切らしながら、部員と武田に謝った。武田は、職員室で涼みながら、文庫本を読んでいた。流行りのミステリだった。私はネットで、犯人だけ知っていた。叙述トリックらしいという話だった。ネットにそのような話は出回りすぎて、武田は楽しめているのだろうかと思った。武田は私を見て、

「倉田さんはもう講堂についてますよ。しかし、月に一度という話だったのに、土曜日は時間作ってくれますね。どうしてでしょう」

 私が頭を下げたのだ、という話になるのは嫌だったが、倉田がなぜそこまで熱心なのかは私にもわからなかった。自分の仕事で忙しいはずなのに。私も、しょせん文化祭準備でしょ、と思っていた。週に六回も部活をする必要があるのだろうかと思っていた。私の在学していたころの国松学園には演劇部はなかったから、どの程度頑張るものなのかもわかっていなかった。文化祭も面倒で、クラスの催しにもろくに参加せず、ちょうど資材置き場の横の階段に座って、文庫本を読んでいた。めったに人がこないし、静かだった。当時の友だち(名前も顔も思い出せない)が、ときどき、その場所にやってきては、私のかわりに焼きそばなどを買ってきてくれて、ちゃんとクラスに貢献しなさいよ、と言った。

「言われたことはやった」

「ひんしゅく買っているの、わかっているでしょ。クラスの空気悪いと、他の人にも迷惑なんだよね。もう少し頑張ってよ」

「焼きそばありがとう」

「五百円」

 私は中学のときから使っている安い財布から五百円玉を渡した。けっこう気に入っていたけど、すぐぼろぼろになって、高校を卒業する前には捨てた。大学の入学祝いに、アウトレットモールで、ブランドの、薄紫の長財布を母に買ってもらった。上品だし、ポイントカードを入れるポケットがたくさんあって、好きだった。薄汚れて、裁縫もほどけて、いつの間にか処分していた。今使っている深い青の長財布は、いつから持っているのか思い出せない……。ファンや知り合いからのプレゼントだったのだろうか、それとも、私の趣味だったのだろうか、それさえわからない。ショッキングピンクのシリコンのがま口だけは、小学生のころからずっと持っている。使っていない。色が嫌だった。

 友だちは私の横に座って、ぼんやりケータイをいじっていた。iモードで、釣りのゲームをやっていた。魚好きなの? と聞くと、別に、と言われた。私は文庫本に戻って、友だちを無視したかった。なにかの小説を読んでいたと思う。退屈な本だったけど、その日かばんに入れているのはその本だけだった。私は退屈しないように、いつもかばんに二冊は本を入れるのが習慣だった。満員電車でひしめきながら、ハードカバーを片手で読んで、たぶん迷惑だった。今はスマホで、電子書籍を読んだり、ネットニュースを見たり、LLMに今日の運勢を聞いたりしている。だいたい忖度して、毎日吉日だから、つまらなくなった。PDFでダウンロードした論文を要約させて、読んだ気になったりもした。古生物のことが多かった。知らない間に、新説がどんどん出ていて、一般向けの啓蒙書では、追いつけなかった。化学教師だけど、先端化学のことは難しくてよくわからなかった。数学が得意じゃなかった。PDFをダウンロードして、要約して、わからない部分を説明してもらって、説明を検索してファクトチェックして、また質問して、自習を繰り返すのには疲れてしまった。古い生き物のことは、たいして知らないから、質問するべきことも思いつかなくて、気楽に読めた。隕石のおかげで昔のことがたくさんわかっているらしい。日本語が刻まれたのは、少なくともひらがなやカタカナのある平安時代以後のはずなのに、どうして人類より以前のことがわかるんだろう。

――それは隕石に由来するログが単に私たち人類の認知機能に合わせて観測しやすくしてくれているだけで、たくわえられた記憶たちはずっとジャイアントインパクトよりあとのことは覚えていますね。そもそも、隕石という形をとっていること自体が、見やすいだけかもしれないです。

 鼓膜がふるえず、通信された。女性の声だった。博物館からだったとわかった。

――うさぎあひる図をご存じでしょうか。私たちはうさぎだったり、あひるだったり、片方を見ようとするけど、隕石の本質はうさぎとあひるが融合したかのように見える図そのものなんです。一側面を見たら、隕石の形をしているし、一側面を見たら日本語が刻まれている。

 ならば、隕石はエイリアンなのか?

――もっと根源的に宇宙的なものじゃないでしょうか。それが、地球や人類を特別視している。案外、隕石と我々は共生関係なのかもしれませんね。正常な過去を記憶する……。

「どうしました? 篠岡先生?」

 と武田が言って、ぼんやりしていることに気がついた。エアコンに冷やされて、ようやく汗も収まってきていた。制汗スプレーの臭いが自分からしていることにも気がついていた。

「その本、流行ってますよね、私も読もうかなと思ったんですけど、犯人知っちゃって」

「でも、犯人はありきたりですよ」

 武田のページはまだ半分もいっていなかった。

「わかったんですか? 知っていたんですか?」

「どうでしょう……。思い出せないですけど、語り手が実は女性で、人物も誤認させていますね。こういうもの、よくあるでしょう」

「様式美ですかね」

「最初からわかって、知らないふりして読むと、いろいろなことがわかったり、わからなくなったりしますね。はじめて読むのに再読しているような……」

「私も図書館で同じ本を何度も借りていることを忘れて、デジャブを感じたりします」

「年をとるとね、物覚えが悪くなりますよ……。人物一覧がないと、誰なのかわからない……。クラス名簿も……。倉田さんはもう部員の名前を憶えていて、さすが女優ですね。ことばを覚えるのが早いのかな」

「そういう人なんです、昔から」

 と私はくすくす笑って、外に出た。倉田は昔から覚えるのが早かった。花沢みさきと花沢こうめは比較的遅かった。早く覚えるように他の人から催促されて、倉田が、よく読み合わせに付き合っていた。よく、花沢みさきの代役で花沢こうめ、花沢こうめの代役で花沢みさきがセッティングされていたから、単に覚えることが人よりも多かった。読み合わせで、倉田の台詞に呼応して、重なるようにふたりで声を出していた。声のキーが姉妹で違うから、不協和音じみているものだった。互いに代役にされがちだったとはいえ、花沢は特に姉妹で似ているようなこともなかった。花沢みさきは鼻が少しまがっていて、花沢こうめはつむじがふたつあった。ふたりしておぜむに入ってきたときは、仲がいいなと思ったけど、そうでもないらしかった。ふたりとも、名古屋から大学を期に上京してきて、別の家に住んでいた。ルームシェアでもしたら、金銭的にも気楽なのに、といったら、ふたりとも、絶対に嫌、と言っていた。姉妹というのはそのようなものなのかもしれない。せっかく姉妹で入ったのに、別人の顔をしているから、二人一役みたいなこともできず、テレビでも、同じ劇団に姉妹なんて珍しいですね、という程度の扱いだった。花沢みさきは、姉妹として扱われることも嫌がって、芸名を考えようとしていた。倉田は、

「でも、姉妹仲いいってのは、ファンもよろこびますよ。一緒に舞台立って、お互いライバルというのもいい関係に見えるじゃないですか」

 花沢こうめが、

「私は別にファンサービスとか考えてないけど、ルームシェアは金銭的に助かるとは思っていたけど、名古屋では、ずっと同じ子ども部屋でうんざりしていた。深夜にレンタルしたアルバムを流され続ける気持ちがわかる?」

 花沢みさきが、

「でもいっしょにレンタルビデオ屋さんに行って、ホラー映画をたくさん借りて、私を見せるのをやめてほしい。悪魔とか地獄とかいけにえとかはらわたとか……」

「あら、なら、花沢こうめさん、いっしょに映画誘ったらきてくれてもよかったのに……」

「映画はひとりで見る趣味なの」

「篠岡さんも、いっしょに映画行きましょうよ」

「いいけど、誘ってくれないじゃない」

「そうでしたっけ」

 いや、これは、当時の私が勘違いしていた。いつも、倉田と映画にでかけて、喫茶店で、あのカットがどうとか、脚本がどうとか、役者がどうとか話していたのだ。なんの映画を見ていたのかはほとんど忘れてしまったが、今覚えているのはそうだ……。花沢みさきと映画を見に行ったことがある気もする。花沢みさきは、映画を見て泣いていた。くだらない、お涙頂戴だと思ったから、私はむすっとしていた。そんな映画を私が見ようとは思わなそうだから、花沢みさきが誘ったのかもしれない。もしくは、映画を見るのは花沢こうめだったから、花沢こうめと見に行ったのかもしれない。でも、ホラー映画ではなかった。きっと「悪魔のいけにえ」の話なら、私も花沢こうめともう少し話せた気がするのに。

 職員室の外は熱気がひどくて、気持ち悪かった。

 渡り廊下では、かたつむりが干からびて死んでいた。季節外れで難儀だな、と思った。


 4


 夏休みの何日目かもう忘れかけていて、小目標にしていた文化祭の日程は着実に進んでいるのに、二学期に入らず、準備している他の部活動もないから、同じところを足踏みしているようだった。運動部は夏の大会に向けてグラウンドを走りまわっているし、吹奏楽部もいらいらさせる同じ個所のミスがなくなって、合奏になっていた。倉田は相変わらず土曜日の午前中に顔を出して、差し入れと、演技指導を行った。私は、誰が舞台に上がる人なのか、関知していない。講堂の座席でうとうとしているか、職員室でうとうとしているか、生物実験室でうとうとしていた。武田も、演技のことはわからないと言って、口出ししなかったから、実質、舞台の全容を把握しているのは、倉田と、舞台監督の腰宮くらいなのかもしれない。

 自分が知らない間に着々と舞台が出来上がっていっていた。大道具も作ってあって、畳を模した黒い平台、ふすまを模したクリーム色のコンパネの中で、動くようになった。きちんとハルシネーションを起こさないように色彩が設計されていて、調べたのか、倉田がアドバイスしたことだった。倉田は、演劇部が盛り上がれば、私が演劇を繰り返すと思っているのだろうか。自意識過剰だが、それしか倉田の熱意は説明できそうになかった。なんせ、私は「女神」なのだから、舞台においておきたいらしい。武田も、

「やっぱり昔が懐かしい?」

 と聞いた。

「私、高校時代は演劇していませんでしたから」

「倉田さんは懐かしいみたいだね」

「そうですね」

「倉田さんに教えてあげないの?」

「私、思うんですけど、同じ台詞をなんども繰り返して、感情らしいことばを言い伝えるのって、自分のからだと向き合ってないと難しいと思うんです。倉田は、一度もからだを疑ったことないと思いますよ。私、いつもぼんやりしていて、曲がり角で肘がぶつかるし、知らないうちに内ももにあざができていたり、熱中症になったのを忘れて嘔吐したり。うまく、連動してくれないんです。関節の動かし方も、人形芝居みたいで、意識して操作してました。『女神』をやめてから、私は、何年も歯医者すら行ってませんから」

「でも、いい歯茎だね」

 当然、歯磨きはしていた。子どものころ、歯茎がぶよぶよして、乳歯が取れるまで歯茎に歯ブラシを押し付けて、血だらけで乳歯を引きちぎってしまってから、永久歯は永遠に保全しようと考えて、フッ素はやったし、一日三分間、歯を磨く、前から順番に磨いているうちに、私の一部がどのあたりなのかわからなくなって、歯茎を傷つけて、出血するまで歯磨きする。口を洗うと、毎日真っ赤だった。鏡を見るたび、ほくろの位置がかわっているようだった。私のほくろなんて、ドーランで隠されていたころは気にしなくてもいいことだった。その意味で、なにも考えずにからだをさらけ出せた『女神』に戻りたいのか? 私が『女神』と関係を結んでいる限り、私のからだは期待にこたえて、倉田や花沢や、おぜむや観客やその他と関係を保つことができたし、私はそれ以上考えないですんだ。教員免許をとったのは、大学時代の、とっくに『女神』と呼ばれていた私にとっての自罰行為のはずだったが、その報いが、今の倉田なのだろうか? 倉田が舞台をコントロールして、文化祭を成功させれば、顧問の手柄にもなる。部員が増えれば、うれしい。私は部員が増えて演劇部が存続できることをよろこばないといけないし、もしかしたら、来年の大会も突破して、全国まで行ってしまうかもしれない。その努力が、篠岡まひろと倉田ちなつによるものだと知ったら、花沢はどう思うだろう……。

 倉田も、花沢は協力したいと言っていた、と言っていた。私はスマホで花沢みさき宛に、

「私、倉田と今演劇部の指導をしているんだけど、手伝ってくれたらうれしい」

 とメッセージを送った。武田に、私は、

「指導する人が増えたら、部費から謝礼を払えばいいんですよね」

「それは、はい。他の部活はポケットマネーとか、保護者会とかってこともあるみたいですけど」

「武田先生は、部活に人生を使うのって、疲れません?」

「もう泣き言? 若いんだから大丈夫だって。ごめん、セクハラかもしれない。でも、今が一番若くて元気なときなんだから、人生経験を積むと豊かになりますね。それだから、教師をやっているんじゃないですか?」

「おっしゃる通りです」

「叱ってませんよ。倉田さんじゃないけど、エンジョイじゃないですか」

 スマホが通知を受信した。花沢みさきからだった。

「いいけど、なにを? 会える? 久しぶりに」

「いろいろ考えることがあって、パンクしそう。今どこにいる?」

「電車(笑)」

「中央線?」

 またピースサインのスタンプが送られてきた。これ以上話したくないという合図なのか?

「武田先生は、全国行けると思います?」

「行きたいと思わなければ行けないでしょうね。でも、部活は部活ですから」

「それは、はい。毎年、繰り返すんですよね、こういう夏を……」

「同じ時間は二度とありませんよ。繰り返されても、過去は厚みを増してやってくる……」

「隕石の話ですか」

「経験則ですね。私も、毎年、毎年、似たような顔の子どもたちが数えきれないくらい入学してきて、同じようなことを伝えて、あたかも三年で忘れてしまうように、卒業して、新しい子どもたちが入学してきて、それが繰り返されていると定められているのは恐ろしい……。毎日、毎日、同じような授業をして、別のクラスでは同じ授業をして、覚えたと思ったら、忘れたように見えて、不登校になったり、生徒会に入ったり、組織単位で子どもを覚えていたのに、毎年、解体されて、誰が誰だかわからなくなって、恐ろしい……」

「私も、顔、覚えられません。歩き方や声には個性がありますよ」

「それは『女神』らしい視点ですね」

 一瞬皮肉かと思ったが、それは私が歪んでいる考えだった。


 5


 町にこびりつくかたつむりの群れは増える一方で、駆除業者に頼んでも、死んだそばから螺旋の内側からぬるりとからだがあらわれてしまう。博物館はマイマイカブリを増やしたかったが、マイマイカブリを見たことのある人は思ったよりも少なくて、隕石のログにマイマイカブリが記述されることはまれだった。それよりは、フランス料理を考えた方がいい、エスカルゴは私も食べたことがあったし、寄生虫さえ気にしなければ、町に食べ物がたくさんあってうれしく思える。ばきばきと季節外れのかたつむりを踏みつぶしながら坂道を歩いて、学園にたどりついて、靴底がねばついている。中庭にもかたつむりは入り込んでいて、アスファルトの熱で調理されている。水道で靴を洗いたかったが、帰りも同じことだった。梅雨が再演されるなら、もっと涼しくなってほしいけど、隕石は地球の運行までは記憶してくれないのか? しかし、私も暑さでげっそりしていたら、梅雨の雨の臭いとか、湿気の感じとか、一年に一度のことだからもう忘れていて、冬になれば、この夏休みも忘れる。

 部活の差し入れでアイスクリームのかわりにかたつむりを用意できそうだった。阿野はよろこんで、他は身をほじくり出すのがグロテスクと言っていた。六人分の差し入れのアイスクリームをクーラーボックスに入れて歩いてきたのに、部員は九人いた。どの生徒が増えているのかわからなかったが、座敷わらしとはそういうものだった。仕方がないから、パピコを分けて食べてもらった。なのに、分けたパピコが一本余った。部員は八人だったらしい。田山が、おいしそうにパピコを吸って、口内出血で、コーヒー味の茶色と赤色が混じっていた。田山が、

「ちかごろ、死んだときのことをよく思い出すんです。珍しく、生きていることを思い出していたら、血が混じってきて、誰の記憶か知らないけど、自分のからだの印象は血だらけらしい。先生も生き返ってます?」

「私は覚えてないけど、知り合いにそれっぽい人がいる。でも、田山は出会ったころから清潔感あったから、そのパピコ捨てなよ」

「もったいないです」

 と言って、チューチュー吸って、どんどん真っ赤になっていった。腰宮がひひひと笑った。腰宮は、

「こいつ、中学のときから、いやしいんです。アメリカンドッグの端っこをなめて、喉に串が刺さったりね」

 えー、それはありますよ、普通に、と他の部員が言った。田山が、

「セルフヴラド公」

 と言って、黙られた。串刺しにしたら、隕石に読み取られてリロードされても、そのまま死に続けるだけなのだろうか。でも、ログの中の位置を参照されるから、無益な死に損かもしれない。また魚がぼとぼとふる音が講堂の外から聞こえてきて、今日の夕食は牛肉がいいと思った。空の魚は新鮮さに欠けていて、再現されてからしばらく経っている。腐っていることもあった。スーパーまで歩いて、いくつのエスカルゴを踏みつぶせばいいのだろうか、食べ物を踏むのには倫理的抵抗があるのだが……。いつか冬になれば、雪の中に氷漬けになった魚を除雪車が押しのけて踏まずに済む日がくるのかもしれないが、東京で雪は少ないし、去年はどうだったのか思い出せない……。なんせ、ファフロツキーズが去年起きていたことさえ覚えていないのだから。隕石のリロードの機会が増えていると思うようになったのは、きっと最近になって、隕石の存在を意識するようになったからだ。これまでも、覚えてないことが、延々と記憶の中で繰り返されて、その矛盾に気がつかないまま、のんびり、テレビを見たりしていて、オカルト番組で、隕石を見た。子どものころに見た気もしていた。なにが、正常なものごとなのか知らないが、隕石は知っている。踏みつぶして、ズボンの裾にはねた、粘着質のなにかが、私を殺戮者だと証明していたり、それを今晩思い出して、いただきますを言うときにますます感謝したりする。ぬめりが靴下の隙間に垂れてきて、そんなところまではねていたのか、と思ったら、私も出血していた。足からだった。田山を見て、いろいろ思い出すこともあったらしい。からだは正直に反応して、痛々しくもみえる。それなら、私に死の記憶があってもおかしくないと思うのだが、胎内記憶さえない私には無理なことだった。生物の発生過程の系統樹の分化をぼんやり思い出して、セフィロトのようだと転倒した考えをもったりする。私がもっとさるに近かったころに、飢えた母に脳を食べられたことも、ねずみに近かったころに、ヴェロキラプトルに食べられたことも、遠い記憶だった。ほとんど他人事だった。私自身としての死をちっとも思い出せなくて、そのあたりの記憶は、記録されないのだろうか? 死んだら、隕石の刻印を読めないから当然だったのかもしれない。目と言語機能を維持するのにはコストがかかりそうだった。

 なのに、花沢が復活しているように見えるのはなぜ? 

 いや、あれは花沢こうめだったに違いない。今でもときどき電車に乗っているのを見かけて、追いかけようとすると、人ごみに紛れて見失ってしまう。つむじを覚えようと思った。花沢こうめのつむじはふたつあったから、それではっきりすることだった。でも、それを隠すためによくポニーテールにしていたから、見てもわからないかもしれない。うしろ姿は短髪だった気がするが、夏だから涼しくしているのだろうか。それで、どうして、花沢みさきか花沢こうめかだとわかったのだろう。いや、昔の知人の歩き方くらいは覚えているものだが……。だけど、その歩き方は確かに花沢みさきのものだった……。

 でも、駅では花沢みさきの歩き方をする人が増えていた。左足の踏み出しが半歩くらい多い。そのような癖が人々に共有されているのは、隕石のせいだと思うのは、なにごとも結びつけすぎだろうか。

 一年生が分けられた半分のパピコを食べていて、年功序列だった。阿野だけ図々しく、パピコを分けずに食べていた。ゴミ袋に入れられたパピコから、血がどんどんあふれてきていた。生魚の臭いがした。私の出血もましてきて、気分が悪くなった。腰宮が、

「先生、いろいろ考えすぎなんですよ。こいつが死んでるのは、自分のせいなんですから。隕石では書いてありましたよ」


 繰り返すことに疲れなければともだちがそばにいます。

 思い出したら連絡ください。


「それをネットで見て、これ、田山のことの予言だなって確信したんです。博物館にメール送ったら、すぐログを再生します、と通信がきて、明日も田山が学校にきた。全身の骨がユンボに砕かれていたのに……。痛かった?」

「うん、火葬されたときもすごく熱かったし、死ぬかと思った。でも、いろいろ人に思い出されているよ、って博物館から連絡がきて、気がついたら電車でうたたねしていた。中央線は混雑するから……」

「朝練、早いよね」

「嫌?」

 私が腰宮を若干にらむと、そんなことないです、と首をふっていた。

 やけに暑いから、講堂のエアコンの温度を下げに、照明室の方まで登りにいった。窓の外がやけにまぶしいと思ったら、太陽がふたつあった。片方はからすかもしれない。こうして、タイムラグを抱えたまま、いろいろなことが繰り返されているんだろうな、と思ったが、どうしようもないことだった。

 帰りの電車までにまたかたつむりを踏みつぶし続けていたら、中央線が電車の衝突で止まっていた。たくさんの人が死んだ。思い出されて、たくさんの人が大破した電車でうたたねしていた。うたたねしている皮膚にむかでが這っていて、皮膚がただれていた。むかではますます増えていって、その中には花沢らしき足もあって、まっかに腫れていた。服が食い破られて、そのたび復元されていた。事故車両で目覚めた誰かが、動画を撮影していて、SNSにアップしていた。私はそれを見ていた。他の人もスマホを見て、うたたねしている人を見守っていた。博物館のテレパシーがないから、これも繰り返されてきたできごとで、すでに起きたできごとだったのか?

 YouTubeで「中央線 衝突事故」と検索したら、さっきみたむかでたちに食われる動画が四年前にアップされていた。むかでの数はYouTubeの動画の方が少なかった。再生回数と比例して、増えているとコメントされていた。でもそのコメントも四年前で、再生数は百四回だった。百四匹のむかでがいるのか? SNSのインプレッションはもっと増えているから、もっとむかでは増えているのかもしれない。

 私は歩いて帰ることしかなさそうだった。かたつむりや、桜の花びらや、ガーネットを踏みつぶしながら、七キロくらい歩かなくてはいけなかった。太陽はまだふたつあった。日没して、ひとつになった。一時間半かけて自宅に帰って、冷蔵庫に食べ残した昨日の夕食の生姜焼きを入れ忘れていたのに気がついた。ラップをはがして臭いを嗅いだら、香ばしい生姜の匂いがした。腐敗臭はしなかった。でも、気持ち悪いから、ゴミ箱に捨てた。今日の夕食を作ろうと冷蔵庫をあけたら生姜焼きが入っていた。気持ち悪いからゴミ箱に捨てた。


 6

 

 電車で歩く人々を注意して見ていた。どれが花沢みさきでも構わないように、スマホを見ないで、頭を見ていた。あまり顔の区別はつかなかった。毎日のように電車にのって、繰り返していた。いくつも、おりていく花沢を見ていた。

 そのときも電車からおりる花沢を見たのはデジャブだが、ただの記憶だった。うしろ姿を追いかけて、西国分寺駅で人ごみをかきわけて、つむじを見ていたら、うしろから抱きしめられて、暑かった。汗がたれて左目に入って、目をとじたら、涙が眼球の表面をうずまいていて、カンブリア紀に光景が豊かにできたことを思い出していた。それが私に実装されていた。

 隕石による私のリロードの頻度はおそらく増えていて、私の閉じたまぶたの裏で魚がのたうちまわって、肉片になる前の意識がゆっくり泳いでいた。私は産卵のための川になって、目に植えつけられた卵が孵化して目になってまぶたの裏を見る。それらの生まれたまぶたの裏の内側の魚は隕石で予言されていて、私はあらかじめ生まれてくるもろもろの生き物を思い出すことができたのだ……。博物館からの通信で、そのままの姿勢を維持してください、と鼓膜がふるえることなくことばが伝わって、魚がよろこんだ。花沢もよろこんでいた。花沢は私のうしろで私を抱きかかえていて、その腕の数は二本だったり三本だったり四本だったりしていた。爪ははがれている部分もあった。抱きかかえが繰り返されて、おぜむの舞台でバックハグされたのを思い出していた。黒いコンパネの上で正座する場面が多い抽象舞台だったから、足が痛かった。本当は正面から抱きしめられるのだが、当時は恥ずかしかったし、気持ち悪かった。他人の心臓の音が直接私をふるえさせることに耐えきれなかったけど、隕石は静止して、ログをアクティブに更新している。だんだん、花沢みさきにうしろから抱きしめられたことと、花沢こうめにうしろから抱きしめられたことがあるのを見ていたのを思い出せてきた。このような思い出しが予言となって、再びめぐりあう機会を与えてくれていた。

「私の名前を言える?」

 と花沢は言った。


 花沢みさき→花沢こうめ


 と刻印されていた。泳ぎ回る光景が直観させてくれたのは、もはや日本語の刻印にすら頼る必要のないたくさんの思い出たちだったが、その考えを日本語で考えることしかできない。英語の勉強くらい、真面目にやっておけばよかった、ロゼッタストーンの解読にいそしめばよかったと思ったが、遅すぎることはない。私は散々繰り返されて摩耗していて、過去の思い出を思い出していることも忘れていたが、隕石がさまざまな思い出し方を思い出させてくれて、うれしさに満ちている。

 三本目以降の腕はまやかしということではなく、花沢みさきと花沢こうめが結合しているのでもなく、花沢みさきと花沢こうめが私の記憶の中でおぼろげであるかぎり、隕石によるリロードが曖昧な部分を曖昧なまま繰り返して、再演している。

 魚の群れで見たら、あたりのコントラスト以外が曖昧になってきて、「女神」がスポットライトの光で目を焼かれて瞳孔がひらいてしまったことばかりだ。鼓膜が、

「ドアがしまります。ご注意ください」

 抱きしめている中年女性らをを周囲は見ないようにしている。

「花沢」

 と私は言った。

「篠岡のその目、なつかしい。私も隕石を見たの。なんて書いてあったと思う?」


 連弾が苦手になることと天気予報は関係しません。

 マンションのエントランスでこどもがカードゲームをしている。


「変だよね、私、ピアノなんてやったことないのに。これが、予言で、ノストラダムスみたいにメタファーばかりでどうとでも読めるなら、予言じゃなくて、解釈でしょう。でも、だんだんピアノ弾けるようになってきたんだ。クセナキスを実演して、爪が割れた」

「本当に弾いてみたの?」

「二人でね」

 私は笑ってみたら、ごぼごぼ喉から気泡が漏れた。爪が割れるのはとても痛そうなことだった。現実と理念の区別がつかないから、クセナキスなど弾いてみようとするのだ。二十本の指で足りるのだろうか……。足りなかったら、再び私の過去とオーバーダビングするように現在を再演するだけなのだろう。多重録音するくらいなら、人差し指できらきら星を弾くのと変わらないが、それで爪が割れてしまっては、かわいそうだった。

 割れた爪を考えてみたら、私も古傷が大雨の日にうずくように爪がぱりっと割れていって、ふにゃふにゃになって握力がなくなりそうだった。

 全身の筋力のほころびが大きくなって、皮膚が外骨格になって、かろうじて電車の揺れに耐えていた。この空間にいる人々が増えたり減ったりしている影を探知していた。この姿勢を維持して、どこに向かうのだろう。終点は東京駅だが……。

「私、会ってみたかった。今どうしているのかな、と思っていたから」

「嘘をつくな」

 と花沢は言って、腕が離れて、私はうしろ向きに倒れた。見上げた先はコントラストしかなくて、それが人影なのかキャリーバッグなのかわからなかった。うごめく影が花沢だと確信して追いかけて、みたかったが、からだが深海にいて、圧力でつぶされて動くことができなかった。電車というビオトープで私がつくりかえられているのを自覚していた。そして、いずれ消える。ただの水面のふるえになって、睫毛だけが、またたいて、感覚器官であることもやめる。そうしたら、爪のことも気にならなくなりそうだった。

 藻のようにふるえるコントラストがまだ私を証明していて、花沢も近くにいそうだった。

 なぜ自殺したの?

 人それぞれでしょうね、理由は。だけど、一般論は、積極的に生きることを肯定する元気がなくなったからじゃないかな。だけど、過去のよみがえりが元気を供給し続けて、私はもう疲れた……。なんども同じことが繰り返されて、私、演劇部のスパルタコーチをしたこともあったの、覚えている? 文化祭に向けてね……。私の文化祭は演劇部がないし、クラスの催しには興味なかったから、エスケープしてた。それって罪?

 うん。

 隕石は罰の再生機構だよ、誰もがプロメテウスになって、からだをついばまれ続ける。私、気持ち悪いし、元気少なくなった。あとは、プロメテウスであることを思い出すか、忘れるかだけ。隕石は思い出させる……。

 うん。

 逃げ場はないよ、私が私でいる限り……。だから、私のことは忘れて。

 うん。たぶん、そのうち忘れると思う。あんまり仲良くなかったし。

 窓の外の陰影は光すら届かなくなってきていた。限りなく深い位置にいるらしい。花沢は安心していた。

「次は終点、東京、東京です」

 とアナウンスが流れた。たくさんの人が電車から出て行って、入ってきた。

 またファフロツキーズのせいで、運休したと、あとから知った。

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ニュアンス 上雲楽 @dasvir

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