祈ってはいけない【怪しいお堂の話】

その子四十路

祈ってはいけない

 二十代前半のころ、仕事の都合で新天地に引っ越した。

 都会は見るものすべてが目新しく、わたしは期待に胸を膨らませていた。


 買い物に便利なスーパー、コンビニ、銀行や郵便局……

 生活圏を探検していたところ、お堂を見つけた。

 八角形の建物で、翡翠色の屋根。きれいにそうじされていたが、歴史のある建造物のようだった。

 なかは無人で、大きな仏像三体と、小さな仏像が無数に置かれている。

 線香から白煙が漂っていた。


 わたしは「ははあ、地神を祀っているのだな」と独りで納得した。

 生まれ故郷では地神信仰が根付いており、いたるところに地蔵や仏像が設置してあった。

 地元住人みなで世話をするのだ。信心深い爺婆を真似て、子どもたちは手を合わせる。そうじをして、花や供物を供える……そうやって受け継がれてきた風習であった。

 特定の宗教や唯一神ではない。精霊や妖怪に近い神秘的ななにか……そういうものを、わたしの地元では祀っていた。

 なので、この土地も似たような風習があるのだろうと思った。


(このたび引っ越してきました。四十路その子です。よろしくお願いいたします)

 線香を供えて、手を合わせる……顔を上げると、違和感を覚えた。


(これは、仏像なのだろうか? それぞれ顔が違う……?)

 なんの仏像なのか、どんな神々を祀っているのか、見当がつかなかった。

 急に居心地が悪くなり、わたしは新居へと足を引き返した。


 あのお堂には関わらないでおこう、そう思うのに、わたしは足繫く奇妙なお堂へ通った。

 花を持参し、線香を上げて、手を合わせた。

 どうしてそんな行動をとったのか、自分でもうまく説明ができない。そうしなければならないという、強迫観念に突き動かされた。

 ちょうどそのころ、過酷な労働環境に、わたしは精神が不安定になり、不眠症と摂食障害に陥っていた。

 その不安を、『正体不明の神仏』にすがって、取り払いたかったのか──

 お堂にいるあいだは心が満たされるのだが、お堂から離れると、また不安になった。


 ある日、お堂に入ろうとすると、先客がいた。半年ほど通って、わたし以外のひとを見たのははじめてだった。

 老婆はわたしを見るなり、鬼の形相を浮かべて詰め寄った。


「あんたのような若い娘さんは、ここに来てはいけない!」


 あまりの剣幕に面食らったが、わたしは地元の風習について語った。そして、このお堂にはなにが祀られているのかと尋ねた。

 老婆は吐き捨てるようにつぶやいた。


「──神なんかいないよ。ここは、若くして亡くなった戦没者の魂を慰める場所さ」


 ああ、だから、仏像の顔がひとりひとり違ったのか。兵馬俑のようだと感じていたのだ。

 戦争遺族の祈りの場所に、土足で踏み込んで申し訳なかったと謝罪した。

 老婆は口ごもる。


「そんないいもんじゃない。このお堂は、男たちの魂を慰めている。軍に無理やり連れて行かれた、若い男たちの魂を。独り身のまま死んじまったから、祟るんだ。だから……遺族は必死で祈る。どうか、悪さをしないでくれって。連れて行かれるといけないから、若い娘は立ち入り禁止にしている。あんたも早く帰りな」


“──間違っても、祈ってはいけないよ。ここに、神はいないんだ”、老婆はそう語気を強めた。了

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