9-4

「『白ユリ』って言葉は絶対入れたいなあ。あと、『海』も。でもそれだとありきたりすぎ?」


 それからというもの、私は毎日放課後になると瑠伊の病室を訪ねるようになった。瑠伊は私が来ると、いつもすでにキャンバスに向かっている。集中したいからか、途中で「見せて」と言っても、「もうちょっと待って」と毎回先延ばしにされる。だから私は、スマホで撮影した潮風園芸公園の風景を見ながら短歌を考えた。


 ……が、そうそう上手くはいかない。

 そもそも私は生まれてこの方短歌なんて一度も詠んだことはないのだ。小説を書くのと短歌を書くのではわけが違う。たった三十一音で言いたいことをぎゅっと詰めて、しかも技巧に富んでないといけないなんて、難しすぎる……。


 私がウンウン唸っているのを横目で見た彼は、「そんなに思い詰めなくてもいいって」と笑った。


「上手く伝えようとしなくてもいいよ。コンテストだから賞はつくものだけど、正直俺は入賞するより、夕映とこうして二人で何かをつくることに意味があると思ってるから。いや……過去の俺が、そう思ったはずだから」


「瑠伊……」


 優しい言葉に、考えすぎてカチコチになっていた頭がほぐれていくような心地がした。


「そうだね。あんまり気負いすぎずに考えてみるよ」


「おう。頑張ろう!」


 拳を突き上げる彼が、白い歯を見せてにっこりと笑う。瑠伊はすごいな。目の前には記憶から消えてしまった女の子がいるというのに、きちんと向き合おうとしてくれている。それに比べて私は、瑠伊に忘れられてしまったショックで塞ぎ込んで、情けない。

 でもこれからはまた瑠伊と一緒に、一つのものをつくるんだ。

 心の中でメラメラと青い炎が燃えていく。瑠伊が私に会いたいと言っていると教えてくれた向井さんには感謝しかない。


 

 次の日も、また次の日も、毎日瑠伊の病室を訪れて短歌を考えた。


「せっかく一緒に遊びに行った日のことを詠むから、私たちの関係も分かるような短歌にしたいな」


 ふと思いついたことをぼやく。瑠伊は自分の手を動かすのに必死になっている様子だったけれど、私の言葉に「ほう」と意味深に相槌を打った。


「なあ、思ってたんだけどさ。俺たちってその、友達なんだよな?」


「え? う、うん。そうだけど」


 心なしか、彼の頬が赤くなっているような気がして、なんだか私までこそばゆい気持ちにさせられた。瑠伊はいま、何を考えているんだろう……。


「そう、だよな。いや、もしかしたらその——それ以上の関係だったりして、なんて」


「!」


 それ以上の関係、という言葉を聞いてぼふんと自分の頭が沸騰したように熱くなる。


「ち、違うって! ただの友達だよっ」


 言いながら、ちょっとだけ寂しい気持ちに襲われる。

 私は瑠伊のことを特別な存在だと思っている。だから、本当は友達以上の関係になってみたい。でも瑠伊は——。

 瑠伊は私に対して、つい最近知り合った、知り合い程度の感情しか抱いていないだろう。 


「そうだよなあ。ごめん、変なこと聞いて」


 へへへ、と鼻の頭を掻きながら笑う彼にはどこか切なげな表情がゆらめく。

 瑠伊は、私の記憶を失う前、私のことをどう思っていたんだろう。

 ずっと気になっていた。けれど、その答えを聞くことのできる彼はもうこの場にはいない。だから答えを知ることはできないのだ。


 胸に鈍い痛みを覚えながら、「ねえ」と私は口を開く。


「瑠伊は中学時代の記憶を思い出したんだよね。向井さんのことも……知ってるんだよね」


 向井さんが、中学生の頃に瑠伊に告白をして振られた話をしていたことを思い出して訊いた。瑠伊が失った記憶を取り戻したのだとすれば、向井さんのことも思い出したはずだ。その時彼はどんな気持ちを抱いたんだろう。


「ああ、思い出したよ。そうか。確か夕映って澪と同じクラスだっけ。澪からいろいろ聞いてる?」


「……うん、少しだけ」


 あれが「少し」のうちに入るのかどうか分からないけれど、告白のことなら向井さんから全容を聞いている。


「そっか。まあ俺は、澪のことはやっぱり友達だとしか思えないかな。大切な幼馴染だってことは変わらないけど、告白のこと思い出して気持ちが揺れるとかは、なかった」


 そう言う彼は胸に痛みを抱えているように、眉を八の字に曲げた。自分で気づいているだろうか。向井さんのことは気にしないふりをしているのだろうけれど、心のどこかではきっと、気にしている。


「そうなんだ。中学時代、いろいろ大変なこともあったって聞いたからさ……。何かあったら、いつでも私に話してね——って、私のこと忘れてるのに、そこまで大切なこと話せないよねっ。ごめん」


 彼の力になりたい一心でそう言ったけれど、彼にとって私は向井さんよりもずっと遠い存在なのだと気づいてやっぱり否定する。

 でも……瑠伊は、驚いたように目を大きくくるりと開いて、「ああ」と優しげに微笑んだ。


「ありがとうな、夕映」


 夕映、と呼ぶ彼の声にドクンと心臓が跳ねる。愛しいひとが、私を呼んでくれるその声は耳に心地よい。

 やっぱり瑠伊は瑠伊だ。

 明るくて前向きで、私の大好きな人。

 そんな彼と、この先もずっと一緒にいられたら——。

 二人で手を繋いで並んで歩いている姿を想像する。

 “きみとゆく”

 不意に浮かんだ五音を、ノートに書きつける。

 キャンバスに視線を落として色を重ねていく彼の真剣な表情をそっと見つめながら、また明日、彼と会うことを想像すると胸が躍った。

 

 見えない明日もきみと歩いていくよ。

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