4-5

 それから十日が経ち、期末テスト一日目が無事に終了した。

 優奈の自宅を訪れたあとも、私は瑠伊と毎日放課後に落ち合い、勉強を続けた。

 テスト期間の今日から明後日までは、お互い会わずに自宅で勉強しようという話になっている。

 一日目の三限目の教科である数学Aが終わった頃には、苦手科目が今日のうちに終わったことに安堵のため息を吐いた。たぶん、出来も上々な気がする。苦手なところを瑠伊に聞いてとことん教えてもらった。たまたま、瑠伊と解いた応用問題がテストに出てきた時は、心の中でガッツポーズまでした。


 今日は早めに帰ってまた明日のテストに備えよう——と席を立った時だ。


「綿雪さん」


 クラスメイトに声をかけられて視線を声の方に向けると、後ろに向井さんが立っていた。彼女とは瑠伊とのSNSを見られてしまったあの一件以降、目を合わせるのも気まずかったのに、どうして声なんかかけてきたんだろう。


「なに、かな」


 勝手に震えてしまう喉をなんとか抑え込むようにして声を絞り出した。


「あんた、最近男の子とずっと一緒にいるよね?」


「……え?」


 男の子、と彼女が発した瞬間、頭の中にはもちろん瑠伊の顔が思い浮かんだ。

 向井さんが、どうして瑠伊のことを……?

 瑠伊とはいつも放課後に真白湖か図書館で会っている。向井さんに見られるようなことはなかったと思う。

 だけど、彼女のいう“男の子”とうのが、瑠伊のことだというのは瞬時に察知していた。


「知ってんだよ、私。学校では全然話さないのに、学校の外では隠れてこそこそ男とデート? あんたってやっぱり友達いないでしょ」


「こそこそって……そういうんじゃ」


 べつに私は、瑠伊と学校外で会っていることに引け目を感じているわけではない。単に、出会ったのが校外だったからそうしているだけだ。それに、瑠伊は浪丘高校の生徒じゃないんだし。


 自分なりに反論をしたつもりだが、向井さんにはまったく効かなかったらしい。鋭い眼光に、心臓がキュッと縮み上がりそうだった。


「あーもしかして、あれ? ネッ友とリアルで会ってるってやつ? うわー……それは引くわ。たぶん、クラスのみんなが知ったら引くと思うっ」


 鳥肌の立つ腕を抱きしめるような格好になった向井さんが私を見つめる目は、明らかに侮蔑に満ちていた。


「……いいよ、引かれても」


 どうして自分の口からそんな強気な言葉が出てきたのか分からない。向井さんが、「は?」とこちらを睨みつける。


「みんなにどう思われたっていい。私はただ、瑠伊といたいから、いるだけだよ」


 向井さんの前で初めて、「瑠伊」という名前を口にした。彼女の表情がみるみるうちに引き攣っていく。半開きになった口から「るい」と、吐息を吐くようにしてつぶやかれる。


「あんたって、最低だね」


 以前、未来の記憶で見た内容がフラッシュバックする。

 向井さんに面と向かって「最低」と言われる記憶。

 その記憶を見た直後には訪れなかった未来だったので安心していたけれど、時間が経ってこんなふうに記憶通りになることもあるんだ……。

 私の言葉の、どこをどんなふうに受け取ったら「最低」という評価になるのか分からない。でも、少なくとも向井さんにとって、私は面白くない存在だということは理解した。いや、とっくの前から薄々気づいてはいたんだ。


「……」


 それ以上は私とは会話をしたくなかったのか、彼女はくるりと踵を返して教室から出ていった。

 なんとなく、胸にもやりとした感情が生まれたまま、その日は私も教室を後にした。





 二日後、ようやく期末テストが終わった。


「終わった、終わった!」


 教室じゅうで響く、解放感の喜びに満ちあふれた声を背に、そそくさと荷物をまとめて帰ろうとしていた。今日、三日ぶりに瑠伊と真白湖で会う約束をしているのだ。逸る気持ちを抑えられない。私、こんなに瑠伊と会いたいと思ってたんだ。

 一年三組の中で誰よりも早く下駄箱にたどり着いた。

 下履に履き替えて、いざ、校舎から出ようとしたときだった。


「じゃあ先生、さようなら」

 

 背後から聞き覚えのある声が聞こえて、はっと動きを止める。


「瑠伊……?」


 振り返った先にいたのは、保健室から顔を覗かせた彼の姿だった。

 もちろん、浪丘高校の制服を着ている。学ラン姿の彼を見たのは始めてだった。

 驚きすぎて下履を持ったまま固まっている私に気づくことなく、瑠伊は下駄箱へと近づいてくる。彼が、下駄箱まで姿を現したとき、ようやくばったりと目が合った。


「夕映……」

 

 三日前まで学校の外で一緒に勉強をしていたから、久しぶりという感覚はない。むしろ、今の私にとってはいちばん馴染みのある人物のはずなのに、校内で顔を合わせた彼はまるで違った人のように思える。


「まいったな」


 頭の後ろをぽりぽりと掻きながら、困ったように眉を下げる瑠伊。絶賛混乱中の私は、何が「まいった」のかも、どうして彼が浪丘高校にいるのかも、分からない。

 いや、冷静に考えれば彼が浪校の生徒であるからここにいるのだと分かるのだけれど、突然のことに、思考がショートしかけていた。


「夕映、今日は真白湖じゃなくて、中庭で話さない?」


 瑠伊が私にそう誘いかける。深く考える間もなく、私は「うん」と頷いていた。

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