第三章 私が選んだ居場所
3-1
その日の夜、家族全員がお風呂に入り、父がテレビでバラエティ番組を見ている頃、「お父さん、お母さん」と二人に声をかけた。
普段なら、テレビを見ている父に話しかけても「ちょっと後でよか?」と後回しにされるのだが、今日は私の緊張した声を聞いたからか、「どうしたと」とすぐにテレビを消してくれた。
「ちょっと二人に話したいことがあって。今、いい?」
台所で明日のお弁当の準備をしていた母も、「なあに?」とリビングに出てきてくれた。
三人で食卓につく。先ほどみんなで夕飯を食べた席だ。父が私の正面に、母が父の隣に座る。まるで面接みたいだな、とちょっとおかしく思いながら、緊張からなんとか気を逸らそうと必死だった。
「突然ごめん。あのね、じつは、ちょっと前から気になってることがあって……」
「気になること? なに、好きなひとでもできたとか?」
「ちょっとお父さん、そういう話じゃないでしょうに」
「ごめんごめん。夕映が改まって話なんて、
父の鋭い分析に、私は頷いた。
「普通の話ではない、よ。たぶん、信じてもらえないぐらい突飛な話。だから話そうかどうか迷ったんだけど……聞いてくれる?」
不安に思いながら二人の瞳を交互に見つめる。今の私は自分より身体の大きな動物に対峙した時の小動物みたいに映っているだろう。二人はお互いに顔を見合わせてからゆっくりと頷いた。
「ありがとう。じつは最近私、ちょっと過去の記憶がなくなってるみたいなの」
「記憶が? なんそれ、初めて聞いたぞ」
父が身を乗り出す。真剣に私の話を聞こうとしてくれていることはよく分かった。
「うん、今まで一度も話したことなかったけん」
引っ越してきてから封印していた方言がつい顔をのぞかせる。母が心配そうに眉を下げて胸に手を当てていた。
「いつから? 確か前に、日曜日に水族館に行ったの覚えとらんって言いよったよね。それ、本当やったと……?」
「うん。症状が出たのはその日からだったと思う」
私は二人に、記憶障害が出始めた時期と、症状の内容についてゆっくりと語った。夕方に瑠伊に話したのとまったく同じ話だ。大丈夫、大丈夫。胸を抑えながら、頭の中で何度も瑠伊の顔を思い浮かべる。それからやっぱり、「大丈夫!」が口癖だった優奈のことも。瑠伊が、私の背中に手を添えてくれているところを想像をして、緊張で速くなっていた鼓動も、次第に落ち着いていった。
二人は心配そうな表情を浮かべていたものの、私の話をゆっくりと受け入れてくれている様子だった。でも、「未来の記憶が見える」という告白をした途端、はっきりと怪訝そうな顔つきに変わる。
「ちょっと夕映、それ、どういうこと? お母さん、よく分からんっちゃけど」
母が当然の反応を示す。父も「うーん」と唸り声を上げた。
よく分からない。
それは私も一緒だ。
私がいちばん、どういうことなのか知りたいと思ってるんだよ。
「ごめん、お父さん、お母さん。私からはこれ以上のことは話せん。だって私にもどういうことなのか、分からんっちゃもん」
つい感情的になって頭が熱くなる。冷静に話していた私が取り乱すのを見て、逆に父と母は熱が冷えたみたいにすんとした顔つきになった。
「そうやね……。ごめん、お母さん夕映の気持ち分かっとらんかった」
「ああ。いちばん困ってるのは夕映やもんね。お父さんたち、何があっても夕映の言葉を信じるけん。夕映がどんなに不思議な症状に悩まされとーって言われても、絶対信じるけん」
父が身を乗り出して私の頭に手をのせる。ゴツゴツとした分厚い手のひらから伝わる温もりに、胸がじんわりと湿り気を帯びたように温かくなった。
「お父さん、お母さん……ありがとう」
話す前までは、覚悟はしていたものの、やっぱり信じてもらえないんじゃないかって不安だった。でも、二人は私の話を真剣に聞いてくれて、絶対に信じるとまで言ってくれた。心の中に巣食っていた不安がひとつ溶けてなくなった。
「やけど、とりあえず病院に行かんことには何も分からんな。お母さん、明日仕事休める?」
「ええ。なんとか職場に掛け合ってみるわ。あなたは?」
「俺もたぶん大丈夫。普段鬼のように働いとるけんね!」
ガハハ、と大きな口を開けて笑う父に、「もう」と呆れつつもほっとした表情を浮かべる母。二人はその場で職場に連絡を入れるためスマホを操作しだした。時刻は午後九時過ぎ。きっと二人の同僚たちもみんな仕事を終えて家にいる時間に違いない。だけど、「報連相は早ければ早い方がよかけん」と、二人は競い合うようにして連絡を入れていた。
私のために、明日仕事まで休んで、病院に行こうと言ってくれている。
その優しさと愛情が嬉しくって、久しぶりに、温かい涙がこぼれた。
瑠伊、ちゃんと言えたよ。
瑠伊が背中を押してくれたから勇気が出たんだ。
だから本当にありがとうね。
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