2-6
両親に記憶のことを打ち明けたら、きっとまた多大な心配をかけてしまう。だからなかなか行動に移すことができないのだ。
目の前に立っている瑠伊が「そうか」と真剣な声で頷く。
「気持ちは分かる。でも俺が夕映の両親だったら、むしろ大事なことを打ち明けてくれないほうが嫌だな。そっちのほうがよっぽど心配だし、そんなに頼りなかったのかって凹む。大事な人に信用されてないって知るのは、堪えるよ」
「違う。二人のことを信用してないわけじゃない。私はただ」
「夕映がやってることは、そういうことだ」
強い言葉で否定されて、心臓がズンと鈍く音を立てた。
確固たる彼のまなざしには、一つも迷いが見えない。
どうしてなの。
瑠伊、どうしてあなたはそこまで気持ちを強く持てるの。
私は、記憶がなくなっていくって分かってすぐ、不安でたまらなくなったのに。
症状は違っているとはいえ、同じ記憶喪失のあなたはどうしてそこまで強くいられるのだろう。
「ごめん、私、無神経だったね」
彼に正論を突かれて、素直に自分が間違っていたのだと痛感する。
「夕映が謝ることじゃない。誰かに打ち明けるって不安だよな……。分かるんだ、夕映の気持ち。でもだからこそ、夕映には後悔してほしくないから」
真摯な言葉を聞いて、思わず身体がきゅっと引き締まる。
いまだかつて、赤の他人で私のことをこれほど思って言葉をかけてくれた人が、いただろうか。
優奈……。
またしてもいなくなった親友の顔が思い浮かぶ。こんなふうに私に本気の言葉をぶつけてくれたのは、彼女以外にいなかった。だから、出会って間もない瑠伊が共感してくれて、真っ当なアドバイスまでくれたことに、感謝しなければならない。
「ありがとう、瑠伊。うん、そうだね。私、両親に話してみるよ」
どんな反応をされるか分からないから、怖くて仕方がない。また二人に余計な心配をかけてしまうかもしれないと思うと足がすくんでしまう。それでも、瑠伊の言う通り、私が本当のことを話さないことで、二人を傷つけてしまうことのほうがよっぽど嫌だと思った。
「よし、そうと決まれば早速行動だな! 善は急げ、だ」
「う、うん。今日、できたら話してみる」
「おう。頑張れ! 全力で応援すっぞ」
ガッツポーズをつくる瑠伊の無邪気な優しさに、思わずくすりと笑みがこぼれる。
「あ、今初めて笑った!」
「え? そう?」
「うん。出会ってから今まで笑ってくれなかったから、俺と会って嫌だったかなーとか思ってたぞ」
「そ、そんなことないよ! でも確かに……笑ったのは久しぶり、かも」
「だろ? って、久しぶり?」
「うん。ここ最近ずっと、記憶障害の症状に悩まされてたから……」
思い返せば本当に、人前で笑うのは久しぶりだった。友達がいない私が笑うとなれば、面白いテレビ番組を見た時とか、家族で団欒した時とか、そういう限られた時間しかない。どちらも最近はすっかりご無沙汰していたし、そもそも記憶のことで、笑顔になるような心境になれなかった。
「そうか。じゃあ俺ってすごくね? 夕映に笑顔を取り戻させたってことじゃん!?」
自分で言うにはいささか恥ずかしい台詞をさらりと言ってのける彼に、またしても笑いが込み上げてくる。
「ほら、また笑った! やっぱり俺すげ~!」
「もう、自惚れすぎ」
テンションがどんどん上がっていく瑠伊に、ふふふという笑みが止まらない私。
湖のほとりを散歩しているカモの親子が、ちょこちょこと歩みを進める姿が、少しずつ進み始めた私たちの関係を示しているようで、なんだか微笑ましかった。
「とにかく、俺たちもう“友達”だよな!」
「ともだち……」
瑠伊の言葉に、ドクンと大きく心臓が跳ねた。
瑠伊に言ってしまった方がいいだろうか。友達はもうつくらないと決めてるって。
でも……だけど。
そんなことを言ってしまえば、絶対に瑠伊を傷つける。それに、分かっている。私だって本当は、彼と、友達になりたいと思っているんだって。
じっと自分の心に耳を澄ませてみる。蓋をして気づかないふりをしていた心の声を、いい加減聞いてあげなくちゃいけない。
いつか失うかもしれないと不安になるのに、止まらない衝動に耳を傾ける。
私は瑠伊と、やっぱり友達になりたいんだ。
「友達に、なってくれるの?」
カモの親子が私たちのすぐそばを通り過ぎる。親ガモに健気についていく子ガモの歩幅は小さい。だけど一生懸命親ガモに歩み寄ろうとしていて、思わず抱きしめたくなった。
「はあ? 今更何言ってんの。そんなの当たり前だろ。むしろ俺のほうこそいいのか? こんな——記憶喪失ハーフ野郎が友達で」
そのあけすけすぎる物言いに、やっぱりおかしくて笑いが込み上げた。
「“記憶喪失ハーフ野郎”ってなに。瑠伊は瑠伊じゃん」
記憶喪失なのは私だって同じ。瑠伊がハーフなのは本当に何も障害にならない。
むしろ、陽の光が当たってきらきら輝く彼のブロンズの髪の毛や、青色の瞳は美しくて格好良い。こんな綺麗な男の子と友達になっていいのかなって逆に不安になるぐらいだ。
——なんて、恥ずかしくてさすがに口にはできないけれど。
それでも瑠伊は、私の言葉を聞いて目を丸くしたあと、ゆっくりと満面の笑みを浮かべて言った。
「ありがとうな、夕映」
心の底から嬉しそうに笑う彼を、愛しいと思ってしまったのはここだけの話だ。
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