「女の子って、めんどう。」
その一言から始まる早苗の語り口が
とにかく等身大で刺さりました。
群れの空気に合わせきれず
男子とつるむようになった
〝わたし〟が出会うのは──
静かにものを作り続ける少女、由衣。
夏のアトリエ・レインボーで描かれるのは
大きな事件でも劇的な恋でもなく
〝作品〟と〝からだ〟と〝ことば〟をめぐる
ほんの一瞬の出来事。
けれどその一瞬が
子どもと大人のあいだに立つ
〝少女未満〟の心を
まるで色糸を掬うように優しく
そして、鋭く救い上げていく──
息をひそめて見守るうちに
自分の中にもあった
〝守りたいもの〟や
〝言えなかったありがとう〟が
ふっと浮かび上がってくるようでした。
最後の一行で
タイトルの「みつけた日」が
胸の奥でそっと音を立てる――
静かで、でも確かに忘れがたい一篇です。
女子のコミュニティに馴染めない主人公(作家先生御本人?)は、
野球教室の代わりに、水泳教室と、絵画工作教室に通うことになりました。
そこで、無口な少女、水島さんと出会います。
出会うと言っても、片方は女子のコミュニティに馴染めないのと、片方は極端に無口だったために、文字通り『であった』だけにございました。
ただお互い、黙々とそのアトリエにて、モノづくりに励んでおりました。
具体的にお互いの距離が縮まったのは、ある事件からでした。
後から入ってきたやんちゃな男の子と、水島さんとトラブルになったらしいのです。
そこで水島さんに怪我をさせてしまいかけ……
作品を守りたい。その想いにシンパシーを感じたからとのことで、ペンケースを持ち、
何かあったら男の子に投げつけてやろうと、思ったのだそうです。
そこから、この二人の友情の輪が出来上がるのでした。
私が感じたのは……
多分、私もこのアトリエに入っていたら……排除されていた側の人間かもしれないとなぜか思ったのです。
人様の作品で自分語りするなんて野暮は致しません。ただ、
私はその輪には、加われないのだろうな。と。
でもそれでいいのだと、思いました。
通じ合える人間がいれば、通じ合えない人間がいるのは当たり前のことで、
そこで交わったりぶつかったりしながら続くのが人生なのでしょう。
これも、そのような物語なのだと感じました。
ご一読を。
元気ハツラツながらも冷静に物事を観察できる小学4年生・三木早苗の視点を通して、友達という関係性の難しさ、そして「ただの顔見知り」からどのようにして気になる存在へ至るのかを鮮明に描いた本作。
拝読させていただいた後、改めて自分自身の半生を振り返り、友達と初めて会った時のことや、一緒に遊び、喧嘩したことなどを思い出しました。
内向的だったために、自分から「友達を作りに行こう!」としなかった子供時代。
考えれば考えるほど、あいつは友達だったのか、向こうは私を友達と思っていたのか……怪しくなってしまう事態に(汗)
しかし、本作の早苗のように、心が弾むような出会いがあった感覚を思い出して、私には友達がいると自信を持つことができました。
生きる上で大切なことがいっぱい詰まった傑作!
是非ともご拝読ください!!!
・みすみ・さんの『少女未満のわたしたち(「みつけた日」)』を拝読しました。忙しさで出遅れ、一番乗りでレビューできなかったのが本当に悔やまれます。私の心に深く突き刺さる作品でした。
まず素晴らしいのは、少女たちの人間関係の息苦しさと、それを抜け出すきっかけの描き方です。序盤では女子同士の「親友ごっこ」や暗黙の同調圧力が、息苦しいほどリアルに描かれます。その中で主人公が男子と遊ぶ道を選ぶくだりは、幼さとしたたかさが入り混じった等身大の成長過程を感じさせます。
そして物語の核は、アトリエ・レインボーでの由衣ちゃんとの出会いにあります。無口で目立たない同級生が、自分の作品を全身で守ろうとする姿──あの「親鳥のように覆いかぶさる」描写は、静かな勇気と創作への誇りが凝縮された名場面でした。それを脅かす“もっちり5年生”との対立は緊張感があり、白ヤギ先生の機転(手首の診断や防犯カメラのハッタリ)が見事に効いています。
中でも、由衣ちゃんが小さく「ありがとう」と告げるシーンは、守られる側から差し伸べられた初めての心の交流であり、その後に続く手毬の描写──幾何学模様が七色の滝となって流れ落ちる比喩──は、本作全体の温かさと美しさを象徴していました。
・みすみ・さんは、少女期特有の繊細な感情と、友達になる瞬間のきらめきを、鮮やかに切り取る筆致が素晴らしいと思います。