第41話「美の再誕、アトリエの狂宴」

薄暗い部屋の片隅で、藤堂悠は静かに座っていた。窓から差し込む光は、鉄格子によって細かく分断され、彼の顔に影を落とす。ここは、彼が「美術史に刻むべき美」を追求した結果、辿り着いた場所だ。警察署の取調室、あるいは拘留施設の一室。しかし、彼の心は、いまだ夏希の「美」に囚われていた。反省? そんな言葉は、彼の辞書には存在しない。

(ああ、夏希くん……君の美は、こんな場所にあっても、僕の心の中で輝き続けている)

藤堂の脳裏には、あの日の光景が鮮明に焼き付いている。数ヶ月前、偶然ネットで見かけた、男子校の文化祭の歌劇の動画。「亡国の奴隷姫」。ボロボロの布切れ一枚を纏い、ステージに立つ夏希の姿は、藤堂の心を鷲掴みにした。その外見は「可愛い系美男子」でありながら、内面から溢れ出る気高さ、悲しみ、そして再興への強い意志。それは、藤堂がこれまで追い求めてきた「美」の概念を遥かに超えた、「神性」そのものだった。

そして、先日行われた卒業歌劇『ロミオとジュリエット』。その映像は、面会に来たかつての教え子(藤堂に心酔していた美術部員)が、看守の目を盗んで差し入れた小型のデバイスの中にあった。暗がりの部屋で、藤堂はそれを再生する。画面に映し出されたのは、ロミオとして舞台を駆け、ジュリエット(雀堂天音)に「愛している」と叫ぶ夏希の姿だった。

(あの瞳……あの声……。ボロ布一枚で、あれほどの輝きを放つ存在が、この世にいたなんて……そして、あの『愛している』……!)

藤堂は、その動画を擦り切れそうなほど何度も繰り返し見た。特に、夏希が「愛している」と叫ぶクライマックスのシーンは、彼の歪んだ欲望を極限まで高めた。画面の中の夏希に、熱い視線を送り続ける。彼の指先は、画面の中の夏希の輪郭をなぞり、その度に、抑えきれない衝動が全身を駆け巡った。それは、誰にも知られることのない、藤堂だけの秘密の儀式だった。

「君の気高さは、僕だけのものだ……。あの『愛している』も、僕だけのものだ……」

映像を繰り返し視聴する中で、藤堂の夏希への歪んだ欲望(「美の独占」「身体の記録」「奴隷姫への執着」、そして「愛の言葉の所有」)は、さらに発散され、強化されていく。彼の部屋には、すでに数々の裸体アートが並んでいたが、彼の心は、新たな「美の記録」への衝動で満たされていた。

(あの『愛している』を語る君の姿……。それは、僕が描いたどの裸体画よりも、生々しく、そして完璧だ。未来にその美を伝えるためだけに、僕は君を描き続ける。この場所からでも、僕は君を描き続ける)

藤堂は、誰にも聞かれることのない独り言を呟いた。彼の行為が、夏希の身体を「美の象徴」として“記号化”し、芸術の名を借りて「支配」しようとする、独善的な欲望の現れであることに、彼は全く気づいていない。そして、この執着が、誰にもバレていないと固く信じていた。

そして、熱心な藤堂を崇拝する元ヌードモデルの支援者により、彼は晴れて警察署から早く釈放された。支援者は、藤堂の芸術を「真の美の追求」と信じ、彼の釈放のために奔走したのだ。藤堂は、一切反省の色を見せず、むしろ夏希の美への執着を再燃させていた。自宅のアトリエに戻る彼の足取りは、軽やかだった。そこは、彼にとって夏希の美を追求するための「聖域」なのだ。

アトリエに戻った藤堂は、すぐに創作活動を再開した。卒業歌劇の映像を再び再生し、夏希が「愛している」と語ったクライマックスのシーンを擦り切れそうなほどリピート再生する。その映像から得たインスピレーションと、夏希の「美」への欲望が、彼の創作意欲を極限まで高めた。単なる視覚的な美の記録を超え、夏希の「魂」や「感情」をも所有しようとする狂気的な欲望へと深化していく。

彼の指先は、鉛筆を握り、キャンバスの上を滑る。夏希のヌード画15枚が、鉛筆の繊細な線で次々と描き上げられていく。鉛筆画という形式は、藤堂の執着の細密さや、夏希の身体のあらゆる側面を「記録」しようとする彼の欲望を表現するのに適していた。そして、アトリエの中央には、夏希のフルヌード等身大彫刻が一体、創り上げられていく。彫刻という立体的な表現は、藤堂の夏希の「美」を完全に「所有」し、「現実」として再現しようとする究極の欲望の現れだった。

「夏希くん……君の美は、美術史に刻むべきだ。この身体は、日本美術史に残すべきだ。未来にその美を伝えるためだけに、僕は君を描き続ける。この場所からでも、僕は君を描き続ける」

藤堂は、完成したばかりの彫刻を眺めながら、恍惚とした表情で呟いた。彼の行為は、誰にもバレていないと固く信じられていた。彼の歪んだ愛情と、美への狂気的な執着は、決して終わることはない。

一方、男子校では、藤堂の逮捕によって、一時的な安堵が広がっていた。夏希は、保健室の先生・三葉薫のメンタルケアを受け、少しずつ心の平穏を取り戻しつつあった。しかし、彼の周囲の男たちは、藤堂の秘密が完全に終わったわけではないことを、無意識のうちに感じ取っていた。

雀堂天音は、夏希の幸福度データに、藤堂の逮捕後も微細な「解析不能な感情の揺らぎ」が残っていることを記録していた。彼の分析は、藤堂の執着が、夏希の心に深い影を落としていることを示唆していた。

御園絢人は、藤堂の逮捕に安堵しつつも、夏希への恋心から、藤堂の存在が完全に消え去ったわけではないことを感じ取っていた。彼の完璧な笑顔の裏で、藤堂の執着が夏希に与える影響を警戒していた。

生徒会副会長・東雲は、藤堂の逮捕によって学園の秩序が一時的に回復したことに満足していたが、夏希の「未知なる資質」が、今後どのような形で新たな波乱を呼び込むか、冷静に観察を続けていた。

藤堂のこの新たな創作活動は、夏希の「モテ地獄」に、まだ見えない形で新たな波乱をもたらすことを予感させていた。彼の歪んだ愛情と、美への狂気的な執着は、決して終わることはない。それは、夏希の「モテ地獄」に、新たな、そして決定的な波紋を広げようとしていたのだった。

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