第40話「檻の中の狂宴、僕だけの『愛』の記録」

薄暗い部屋の片隅で、藤堂悠は静かに座っていた。窓から差し込む光は、鉄格子によって細かく分断され、彼の顔に影を落とす。ここは、彼が「美術史に刻むべき美」を追求した結果、辿り着いた場所だ。警察署の取調室、あるいは拘留施設の一室。しかし、彼の心は、いまだ夏希の「美」に囚われていた。反省? そんな言葉は、彼の辞書には存在しない。

(ああ、夏希くん……君の美は、こんな場所にあっても、僕の心の中で輝き続けている)

藤堂の脳裏には、あの日の光景が鮮明に焼き付いている。数ヶ月前、偶然ネットで見かけた、男子校の文化祭の歌劇の動画。「亡国の奴隷姫」。ボロボロの布切れ一枚を纏い、ステージに立つ夏希の姿は、藤堂の心を鷲掴みにした。その外見は「可愛い系美男子」でありながら、内面から溢れ出る気高さ、悲しみ、そして再興への強い意志。それは、藤堂がこれまで追い求めてきた「美」の概念を遥かに超えた、「神性」そのものだった。

そして、先日行われた卒業歌劇『ロミオとジュリエット』。その映像は、面会に来たかつての教え子(藤堂に心酔していた美術部員)が、看守の目を盗んで差し入れた小型のデバイスの中にあった。暗がりの部屋で、藤堂はそれを再生する。画面に映し出されたのは、ロミオとして舞台を駆け、ジュリエット(雀堂天音)に「愛している」と叫ぶ夏希の姿だった。

(あの瞳……あの声……。ボロ布一枚で、あれほどの輝きを放つ存在が、この世にいたなんて……そして、あの『愛している』……!)

藤堂は、その動画を擦り切れそうなほど何度も繰り返し見た。特に、夏希が「愛している」と叫ぶクライマックスのシーンは、彼の歪んだ欲望を極限まで高めた。画面の中の夏希に、熱い視線を送り続ける。彼の指先は、画面の中の夏希の輪郭をなぞり、その度に、抑えきれない衝動が全身を駆け巡った。それは、誰にも知られることのない、藤堂だけの秘密の儀式だった。

「君の気高さは、僕だけのものだ……。あの『愛している』も、僕だけのものだ……」

映像を繰り返し視聴する中で、藤堂の夏希への歪んだ欲望(「美の独占」「身体の記録」「奴隷姫への執着」、そして「愛の言葉の所有」)は、さらに発散され、強化されていく。彼の部屋には、すでに数々の裸体アートが並んでいたが、彼の心は、新たな「美の記録」への衝動で満たされていた。

(あの『愛している』を語る君の姿……。それは、僕が描いたどの裸体画よりも、生々しく、そして完璧だ。未来にその美を伝えるためだけに、僕は君を描き続ける。この場所からでも、僕は君を描き続ける)

藤堂は、誰にも聞かれることのない独り言を呟いた。彼の行為が、夏希の身体を「美の象徴」として“記号化”し、芸術の名を借りて「支配」しようとする、独善的な欲望の現れであることに、彼は全く気づいていない。そして、この執着が、誰にもバレていないと固く信じていた。

もちろんです、春さん──以下に、藤堂の「美への信仰」が再び他者を巻き込んで動き始める章として、BLライトノベルスタイルで記載します。


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第四十八話:「語りの回収者たち、囚われた美を奪いに」



男子校の裏掲示板の深層スレッド──

とある特定の画像共有リンクと、鍵付き動画ファイルが密かに流れていた。


《タイトル:亡国の奴隷姫【RAW再構成】》

《提供:美術部OG/記録者》

《内容:藤堂悠の油彩と、夏希の演劇・卒業歌劇記録(非公開)》


このスレに集まっていたのは、藤堂がかつて描いた裸体画のモデル──「藤堂美学」に選ばれた少年たちだった。

彼らは今や卒業生、あるいは外部の大学生となっていたが、彼に描かれた時間が人生に埋め込まれていた。


「藤堂先生は──僕たちに“語り”を与えてくれたんだ」


彼らは、藤堂を支配者ではなく、“語りの許可者”として記憶していた。


「奴隷姫を演じる夏希くんは確かに危うい。でも、あの“愛している”は、僕たちにしか分からない感情の記録なんだ。彼を放置するのは、“語りの死”だよ」


スレッド内では密かに「藤堂悠救出計画」が立ち上がった。

それは、警察署の面会制度を悪用し、藤堂が語り手として再び“美の再生”を描けるように仕向ける行動だった。



面会室。

制服を着た元美術部の青年──柳瀬貴晃が現れた。

彼はかつて、藤堂の筆で“風の中の裸体”として描かれた少年だった。


「先生。僕らは、誰もあなたを忘れていません。あの美は、“記号化”なんかじゃない。あなたが、僕たちにくれた“語られてもいい”という確信なんです」


藤堂は、柳瀬の顔を見て、静かに微笑んだ。

その笑顔は、拘束された語り手が再び語る言語を見つけた者のものだった。



同時刻。男子校では、雀堂天音が警察情報と校内情報の整合性レポートを更新しながら、異常な動きに気づいていた。


「……藤堂先生の元ヌードモデル複数名による非公式接触。美術部OGデータ、感情値が逸脱しています。これは……語りの回収波です」


彼は、夏希の幸福度ログに微細な振動が生じていることも確認していた。


「お姉様に、再び“語られる影”が戻ろうとしている……!」



絢人は、夏希の隣で、動画再生ボタンを見つめていた。

そこには、藤堂の手による「夏希の裸体」油絵を模写した元OGの再制作映像が映っていた。


「……この作品が再び公開されたら、夏希くんは“語られる美”に戻ってしまう。それは……君が君を語れなくなることなんだよ」



そしてその夜。

警察署近くの仮保釈署で、数名の署名付き要望書が提出されていた。


《藤堂悠の美術的活動の再開を求める》

《彼は、語ることで世界を記録する希有な語り手です。彼に“再び語る場”を──》



夏希は、保健室で三葉の紅茶を飲みながら、静かに呟いた。


「語られることって……終わったと思っても、誰かがまた語ろうとするんですね」


三葉は、優しく微笑んだ。


「ええ、夏希ちゃん。語りには“回収者”がつきものよ。忘れられない者が、もう一度語らせようとするの。でも、あなたは今、“自分の語り”を持っている。それは、誰にも奪えないの」

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