第37話「愛の言葉、舞台に響く予感」
「愛して──」
あの稽古の日、夏希はロミオとしての言葉を紡げなかった。喉が詰まり、語りが言葉にならなかった。しかし、絢人が台本を超えて語ってくれた「好き」と、天音が「記録不能」としながらも受け止めてくれた「語られる実感」は、夏希の心に深く刻まれていた。日記に綴った「次の稽古では、僕の“愛している”を、少しだけ声にしてみたい」という決意を胸に、夏希は再び舞台へと向かった。
卒業歌劇『ロミオとジュリエット』の稽古は、日を追うごとに熱を帯びていた。特に、夏希と天音のシーンは、綾芽の厳しい指導のもと、何度も繰り返された。
「夏希くん、もっと! その『愛している』は、ただの台詞じゃないわ。ロミオの魂の叫びよ! 君の『好き』を、全てそこに込めなさい!」
綾芽の言葉に、夏希は再び喉が詰まる感覚を覚える。ロミオの「愛している」は、あまりにも重く、そして純粋だった。それは、夏希がまだ自分自身に「好き」をあげきれていない中で、他者に向けられる「愛」を語ることの難しさを突きつけていた。
天音は、ジュリエットとして夏希の前に立っていた。彼の表情は、以前のような完璧な無表情ではなく、微かに揺らぎを見せている。夏希の「愛している」という言葉が紡がれるたびに、天音のタブレットの幸福度グラフは激しくノイズを発する。しかし、天音はタブレットを下ろし、夏希の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「お姉様……僕のログは、まだ『愛している』という感情を完全に解析できません。ですが、お姉様の言葉が、僕の心に『語られる実感』として響いています。それは、データでは処理できない、新しい感覚です」
天音の言葉は、夏希の心を少しだけ軽くした。天音は、データという枠を超えて、夏希の感情を受け止めようとしてくれている。その「解析不能な優しさ」が、夏希の背中を押した。
稽古の合間、絢人が夏希の隣にそっと寄り添った。彼の完璧な笑顔は、夏希の不安を見透かすように優しい。
「夏希くん、無理しなくていいんだよ。ロミオの『愛している』は、確かに重い言葉だ。でも、君がその言葉を語る時、それはきっと、台本以上の意味を持つはずだ」
絢人は、夏希の手を優しく握った。その温かい感触に、夏希はドキリとする。絢人の「好き」は、夏希の喜びを共有し、彼の存在を深く肯定しようとする、静かで確かな愛情だった。絢人は、夏希の「愛している」が、単なる役柄のセリフではなく、夏希自身の「好き」の表現となることを願っていた。
そこに、十河飛雄が、わたあめを頬張りながら駆け寄ってきた。
「
なっちゃん、ロミオの『愛してる』、まだ言えないのか? オレ、なっちゃんの『愛してる』、聞きたいぞ! なっちゃんなら、絶対すげー『愛してる』が言えるって!」
飛雄は、夏希の困惑をよそに、無邪気に笑う。彼の「好き」は、夏希の「結果」や「評価」ではなく、夏希の「存在」そのものを肯定してくれる、真っ直ぐな感情だった。その言葉は、夏希の心を少しだけ軽くする。
校内では、ロミオとジュリエットの稽古の進展が、生徒たちの間で話題となっていた。特に、夏希が「愛している」というセリフに苦戦しているという噂は、様々な憶測を呼んだ。
生徒会室では、東雲が稽古場からの報告を受け、冷静に分析していた。「夏希生徒会長の感情の揺らぎ……。しかし、その『言えなさ』こそが、彼の『未知なる資質』をさらに深める可能性を秘めている」
白玉皇一と愛園星歌は、夏希の「愛している」が言えないという噂を聞きつけ、内心で嘲笑していた。「ふん、所詮は付け焼き刃の『姫』よ。真の愛は、そんな簡単に語れるものではないのだ!」「わたくしこそが、真の愛を語れる『姫』よ!」
鴉月透は、夏希の「愛の失語」を「神性への試練」と解釈し、教典に新たな章を書き加えていた。「愛の言葉の沈黙……これは、第二十四教義『沈黙の愛』として記録せねば……! 夏希様は、いかなる試練であろうと、我らの信仰の対象である!」
保健室の先生・三葉薫は、夏希のメンタルケアの視点から、この感情の揺らぎを優しく見守っていた。「夏希ちゃん、あなたは、もう『守られる姫』じゃない。これからは、あなたの『愛』を、あなた自身の言葉で語るのね。お姉さん、あなたの成長が楽しみだわ」
その夜、夏希は日記を開いた。
> “『愛している』。まだ、言葉にならない。でも、飛雄や絢人くん、そして天音も、僕の『言えなさ』を、それぞれの『好き』で受け止めてくれた。語られることの揺れは、怖い。でも、それを守ってくれる人がいるって、すごく心強い。次の稽古では、僕の“愛している”を、きっと声にできるはずだ。台本を超えて、僕自身の『好き』を、舞台で表現したい。”
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