第27話 「先生の秘密、美の記録者」
「ミスターバレンタイン」の称号を獲得し、学園の新たな「総理の資質」を持つ者として注目を集める夏希。彼の日常は、相変わらずの「モテ地獄」に彩られていたが、その心には、自分自身を少しずつ肯定できるようになった確かな光が宿っていた。しかし、その光の裏で、夏希の「美」を独占しようとする、ある教師の秘密の執着が、静かに、しかし確実に深まっていた。
男子校に赴任して数ヶ月。新任教師・藤堂悠は、今日も完璧な笑顔で教壇に立っていた。生徒たちの間では「大学生の男の娘がタイプらしい」という噂がまことしやかに囁かれているが、彼にとって、それはどうでもいいことだった。彼の視線の先には、いつも一人の生徒がいる。夏希。彼がこの学校を選んだ、唯一無二の理由だ。
藤堂の脳裏には、あの日の光景が鮮明に焼き付いている。数ヶ月前、偶然ネットで見かけた、男子校の文化祭の歌劇の動画。「亡国の奴隷姫」。ボロボロの布切れ一枚を纏い、ステージに立つ夏希の姿は、藤堂の心を鷲掴みにした。その外見は「可愛い系美男子」でありながら、内面から溢れ出る気高さ、悲しみ、そして再興への強い意志。それは、藤堂がこれまで追い求めてきた「美」の概念を遥かに超えた、「神性」そのものだった。
(あの瞳……あの声……。ボロ布一枚で、あれほどの輝きを放つ存在が、この世にいたなんて……)
藤堂は、その動画を擦り切れそうなほど何度も繰り返し見た。暗がりの部屋で、画面の中の夏希に、熱い視線を送り続ける。彼の指先は、画面の中の夏希の輪郭をなぞり、その度に、抑えきれない衝動が全身を駆け巡った。それは、誰にも知られることのない、藤堂だけの秘密の儀式だった。
「君の気高さは、僕だけのものだ……」
その衝動に突き動かされるように、藤堂は教師としてこの男子校への赴任を決めた。夏希の隣にいるためなら、教師という立場も厭わない。彼の「奴隷姫」を、一番近くで見守るために。
そして、バレンタインデー。「ミスターバレンタイン」として輝く夏希の姿は、藤堂の創作意欲を極限まで高めた。彼の部屋には、すでに数々の裸体アートが並んでいた。それらは皆、美しく可愛らしい男子生徒をモデルにしたものだったが、その中でもひときわ異彩を放つ作品群があった。
それは、夏希のフルヌードの油絵、10枚。奴隷姫の歌劇での姿を基に、彼の記憶と想像力で補完された、夏希の裸体が描かれている。ボロ布を纏った姿から、その布が剥がれ落ち、内面の気高さが露わになる瞬間。そして、「ミスターバレンタイン」として、老若男女の心を掌握する、その「美」と「人心掌握術」が、藤堂の筆によってキャンバスに刻まれていく。
「夏希くん……君の美は、美術史に刻むべきだ。この身体は、日本美術史に残すべきだ。未来にその美を伝えるためだけに、僕は君を描き続ける」
藤堂は、完成したばかりの油絵を眺めながら、恍惚とした表情で呟いた。彼の行為は、単なる好意や欲望ではない。それは、夏希の身体を「美の象徴」として“記号化”し、芸術の名を借りて「支配」しようとする、独善的な欲望の現れだった。そして、藤堂本人は、この行為が誰にもバレていないと固く信じていた。
夏希は、藤堂の秘密に気づくことなく、日々の「モテ地獄」と自己肯定の模索を続けていた。藤堂が夏希に近づく際、夏希は教師としての親愛の情だと受け止めていた。しかし、藤堂の視線は、夏希の無自覚な部分にまで深く突き刺さっていた。
(僕の『モテ地獄』は、まだ終わらない。でも、僕が僕であること。それが、こんなにも誰かの心を動かせるなら……)
夏希は、自分が「ミスターバレンタイン」として称えられ、その美が「未来に伝えられる」という漠然とした感覚を持つが、それが藤堂の行為と結びついているとは夢にも思っていなかった。
校内では、藤堂の夏希への異常な接近に、一部の生徒たちが違和感を覚え始めていた。
雀堂天音は、夏希の幸福度データに、藤堂との接触時に発生する「解析不能な感情の揺らぎ」を記録していた。彼の分析は、藤堂の行動が夏希に与える影響の深さを捉え始めていた。
御園絢人は、藤堂の夏希への視線に、静かな警戒心を抱いていた。彼の完璧な笑顔の裏で、藤堂への探るような視線が向けられる。
藤堂の秘密の行為は、この男子校の「モテ地獄」に、新たな、そして決定的な波乱をもたらすことを予感させていた。夏希の「美」を巡る戦いは、彼の知らない場所で、さらに深淵な領域へと足を踏み入れていたのだった。
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