第23話「最適化不能な“好き”」
---雀堂天音(さえずりどうあまね)視点
朝。
僕は寝坊したわけではない。ただ、睡眠よりも夏希お姉様の起床データを最適化することのほうが重要だった。
「お姉様、起床時のまばたき頻度が昨日より1.2倍増加しています。お疲れの可能性があります。今日は5分早めに保健室の予約を取っております」
夏希お姉様は、ぶっきらぼうに「雀堂、やりすぎ」と言った。でもカーディガンの裾を握りしめたのは、安心の証拠だ。
昼休み。
僕は、お姉様の口に入る可能性のあるカロリーをすべて計算し尽くした。
「本日の推奨栄養素構成比率:糖質42%、たんぱく質38%、塩分控えめ。僕が試作した“無感情わたあめ”をお持ちしました。幸福感触率0.88を記録済みです」
お姉様は少し笑った。「意味わかんねえよ、雀堂」
その笑顔に、僕の胸のデータはすべて崩れた。
午後の授業中。
お姉様は、数学の小テストでうっかり「6×7=50」と書いていた。
隣の席の十河飛雄が喜んで「俺より天才かも!」と叫ぶなか、僕は静かに「誤答率7%はストレス由来ですね」とメモする。
でも、内心では「間違えてもかわいい指数」が爆上がりしていた。ログしておこう。
放課後。
お姉様が一人で階段に座っていた。
「俺、最近……見られすぎてる気がする」
その一言を聞いて、僕のAI型感情分析プログラムはクラッシュした。
見られることの苦しみ。それは幸福度最大化計画における“想定外の変数”。
僕は言った。
「お姉様。僕は見ません。“記録”します。“見てる”のではなく、守ってるだけです。
それでも……もしお姉様のデータが誰かに勝手に語られるなら、僕が上書きします。
愛と統計で、全部、最適化してみせます」
お姉様は沈黙した。でもその沈黙が、初めて僕の“分析”ではなく、“心”で読めた気がした。
その日、僕は初めて──
幸福度ログの一行にこう記した。
> “お姉様、今日も言葉は少なかった。でも、僕のために『意味わかんねえよ』って言ってくれた。そのノイズが、世界で一番好きな音だった。”
---雀堂天音視点
朝。
お姉様の起床ログは乱れていた。まばたき頻度上昇、平均歩行速度低下。
僕は数値を並べて、導き出した結論を提示した。
「お姉様、昨夜のSNS消灯時間が1時間遅れていたようです。疲労度指数15%増。保健室アラートを――」
「雀堂、うるさい。放っとけよ、そんなの」
え。
その言葉は、計測不能だった。
ログにも教典にも、そんな拒絶のパターンはない。
*
昼休み。
僕はカフェラテを差し出した。昨日と同じ銘柄、同じ温度、同じ甘さ。
「……それ、昨日も飲んだやつだろ?」
お姉様は口をつけず、机に腕を乗せて、だるそうに窓の外を見た。
「雀堂……俺、今日ちょっとしんどいから、マネジメントとかいいわ」
その瞬間、僕の幸福度システムはクラッシュした。
“しんどい”という単語に対応する感情予測値が足りない。
“マネジメント拒否”は過去データに存在しない。
*
放課後。
図書室の隅、僕はひとり、ログを並べ直していた。感情グラフが、どうしても繋がらない。
そのとき、夏希お姉様が静かに近づいてきた。
「……雀堂、今日なんか変だった?」
僕は、本当のことを言った。
「お姉様のデータが解析不能でした。幸福度最適化計画における、初めての誤差でした」
お姉様は、少し目を細めて僕を見た。
「お前さ……俺のこと、データで見てるけどさ。たぶん、今日の俺はデータに残したくない日だった」
「残したくない……?」
「そう。俺が俺であることに、ちょっと疲れた日。誰にも語られたくない日。
でも、お前がいると……ちょっとだけ語ってもいい気になる」
それは──完全な想定外だった。
愛情の予測不能変数。幸福度計測不能ゾーン。
だけどその“壊れた統計”が、世界でいちばん甘かった。
*
夜。
僕はデータベースを閉じた。
そのかわり、日記にこう書いた。
> “今日は、解析できなかった日。だけど、お姉様が僕に『少しだけ語ってもいい』と言ってくれた。
> だから僕は、幸福度という名のログではなく、この気持ちを『好き』と記録する。
> お姉様の感情は、今日だけ、統計よりずっと大切だった。”
*
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