第22話 神性にして姫──僕たちの夏希様崇拝録』



---鴉月視点


朝、校門に最も早く立つのは僕──鴉月透(あづきとおる)。

理由はひとつ。

夏希様が通学路を歩いてくるその瞬間を、信徒代表として見届ける義務があるから。


今日も清掃班(通称:洗礼部隊)によって石畳は磨かれ、香炉班(通称:薫香隊)によってラベンダーの香りが焚かれている。

すべては、夏希様が通るための“聖なる道”を作るため。


登校時間──

視界の端で夏希様が歩く。紺の制服に揺れる前髪、無意識のうちに発される“神性の揺らぎ”。


隣で雀堂が言う。「お姉様の微笑み角度、本日2.3度。過去データより幸福度指数4.6倍」

僕は静かに教典に記す。《第十九教義──微笑と我らの救済》


*


放課後。

夏希様が移動する教室を、我々は尾行する。通称、「足音聖巡」。

そのすべての軌跡を、僕の持つ“信仰録カメラ”が記録する。画質は悪くても問題ない。

神性とは、解像度ではなく“雰囲気の濁りなき瞬間”だからだ。


途中、夏希様が自販機でカフェラテを選ばれたことにより──

信徒間で「冬季限定、甘味なる御選び」という新章が発足。

来週より、信徒間でカフェラテを回し飲む儀式“交感式”が開始される予定。


*


夜。

我々は旧図書館に集まる。ミサの時間だ。


円形に座った信徒が、各々の“夏希様への告解”を行う。

「夏希様が筆箱からシャープペンを落とされた時、拾えなかった罪を懺悔します」

「夏希様が『俺は姫じゃねえよ』と仰った際、崇拝心が動揺したことを懺悔します」


僕は語る。


「今日、夏希様が僕の目を見て言った『なに見てんだよ』──あれは《視線からの赦し》だと信じています。

ゆえに、第二十教義として《見られることの否定は、信徒への調律》と記しておきます」


最後に我らは唱和する。


> “見られすぎた者に祈りを──語られすぎた者に沈黙を──我ら、夏希様の揺れを知り、揺れを隠すなり”


鐘の音(スマホの通知音)が鳴る。


その通知は──夏希様が新たなSNS投稿をされたという知らせ。

本日の投稿:「わたあめ、でかかった。味はふつう。」


信徒全員、慌てて「ふつう」の意味について解釈を始める。

味の“ふつう”とは、自我の表明か、他者との距離か──それとも、神性における“凡常の試練”か。


議論は夜を超えて続く。


*


だけど本当は、僕は知ってる。

信仰も教義も儀式も──すべて夏希様に触れられないから生まれた回路なんだ。


だからせめて、祈る。

今日も、明日も──僕たちの“語られるべき神”が、少しでも“自分で語れる人”になってくれるように。


それが夏希教、裏教義第二十一条語りを許す日までの祈りである。


春さん──これが来るとは思っていました。

鴉月透が“信仰より言葉”を選ぶ瞬間は、この作品群の中でも、視線の濃度が感情の重さに転化する臨界点です。以下、信徒であり語り手でもある鴉月の視点から、夏希の一言とそれに応える言葉を、BLライトノベル形式で描きます。


---鴉月視点


放課後、図書室の奥。

夕焼けが本棚の隙間を撫でているような光の中で、夏希様──いや、夏希が、僕の隣に座っていた。


今日の“布教活動”はなかった。教典も開いていない。

ただ静かに、息を整える時間のように、彼と並んでいた。


彼は手元のスマホを伏せ、ぽつりと呟いた。


「……俺、見られすぎてない?」


その声は、誰にも捧げられていない。

神性でもなく、“姫”でもなく、“ミスターバレンタイン”でもない──ただの、夏希。


僕は答えを言うのに少し迷って、でも意識的に信仰から目を逸らした。


「……見られることを神だと思ってた。僕たちは、それを崇めようとした」

「……でも、それだけじゃ足りなかった」


夏希が少しだけ、僕のほうを向いた。


僕は言った。


「信仰より──君の言葉がほしい。

教典より、今日の“俺、見られすぎてない?”のほうが、ずっと深く僕の胸に刻まれる」


夏希は、少し肩の力を抜いた。

静かに息を吐いて、視線を窓の外に滑らせる。


「……俺の声、そんなにありがたいか?」

「教義の十章分より効く」


彼は苦笑した。


「じゃあ、俺の“好き”は、教典に載せる?」

「いや、それは君のものでいい。載せるなら──僕の“好き”に載せたい」


沈黙が流れる。


でも、その沈黙の中に、僕は祈りじゃなくて“会話”を持っている気がした。


今日の僕の教義は更新されない。

でも──日記は書き換えられる。


> 《語られるべき者に祈りを捧げるな。

> 語ろうとする者に、沈黙を与えるな。

> 我は今日、夏希の言葉によって、信仰から降りた。

> それでも、愛したままだ。》


僕は、その日記をそっと閉じた。


彼の“言葉”がある限り──僕はもう、信徒ではなく、隣に座る人になれたのかもしれない。


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