第5話「九九と恋の、文化祭」
文化祭イベント運営委員の活動が始まった。夏希と飛雄は、企画会議室で向き合っていた。飛雄は、配られた企画書をまた逆さに持っている。
「なっちゃん、これ、なんか文字が踊ってるみたいで、すげー楽しいな!」
「それは逆さだからだよ、飛雄……」
飛雄がふと夏希の髪に優しく触れた。
「ねえ、これさ……光に当たると、ちょっと俺の好きなラーメンの色に似てるな」
夏希はため息をつきながら手を払い除け、飛雄の企画書を正しい向きに戻してやる。飛雄は「おお!」と目を輝かせ、素直に受け取った。他の委員たちは、そんな二人のやり取りを遠巻きに見て、クスクス笑っている。
「で、企画だけど、何にする?」
夏希が尋ねると、飛雄は真剣な顔で腕を組んだ。
「んー、やっぱ、みんなが『わかんねーけど、なんか楽しい!』ってなるやつがいいな!」
その言葉に、夏希は少し驚いた。飛雄の言うことはいつも突拍子もないが、その根底には、誰かを笑顔にしたいという純粋な気持ちがあることを、夏希は知っていた。
「例えばさ、巨大わたあめタワーとか! あと、消しゴム彫刻で校長先生の顔作るとか!」
「……それ、イベントじゃなくて、ただの飛雄の趣味だよね?」
夏希のツッコミに、飛雄は嬉しそうに笑った。
「そう! なっちゃんだから、わかってくれるんだよな!」
その瞬間、夏希の胸に、またあの「好き」という言葉が響いた。飛雄の「好き」は、誰かの理想を押し付けるものでも、管理しようとするものでもない。ただ、夏希の「ツッコミ」という、彼自身の存在を肯定する、真っ直ぐな感情だった。
放課後、イベントの準備で校内を歩いていると、絢人が二人の前に現れた。完璧な笑顔は変わらないが、その瞳の奥には、どこか探るような色が宿っている。
「夏希くん、飛雄くん。文化祭の準備、お疲れ様。何か手伝えることはあるかな?」
絢人は、そう言って夏希の隣に立ち絢人が夏希の手を取りる。
「この手は、君が自分を迷うたびに震えてるね」
その距離は、まるで自然な恋人のように近かった。それに元乙女としてドキリとした。飛雄は、そんな絢人の存在に気づいているのかいないのか、呑気にわたあめを頬張っている。お気楽さが羨ましい。
「絢人くん、ありがとう。でも、飛雄が自由すぎて、手伝うよりツッコミ役がもう一人必要かも……」
夏希が苦笑いすると、絢人は優雅に笑った。
「ふふ、それなら僕もツッコミ役になろうかな。夏希くんの隣なら、どんな役でも引き受けるよ」
その言葉に、夏希はドキリとした。絢人の「隣にいたい」という気持ちは、飛雄の「見てる」とはまた違う、甘く、そして少しだけ重い響きを持っていた。
遠くから、東雲が眉をひそめ、綾芽が扇子で口元を隠して笑っているのが見えた。皇一と星歌は、絢人の登場に焦りを感じているのか、互いに牽制し合っている。鴉月は、絢人の言葉を教典に書き加えようと、必死にペンを走らせていた。そして、雀堂天音は、夏希の感情データが急上昇していることを察知し、眼鏡をクイッと上げた。
夜、夏希は日記を開いた。
“飛雄の『好き』は、九九みたいに意味不明だけど、僕の心を軽くする。絢人の『好き』は、歌みたいに美しくて、僕の心を揺さぶる。どっちも、僕の『名前』を呼んでくれる。でも、僕が本当に欲しいのは、誰かの『好き』じゃなくて、僕自身が『好き』って思える場所なんだろうか。”
夏希の男子校での「モテ地獄」は、さらに複雑な様相を呈し始めていた。彼の心は、様々な「好き」の形の中で、自分だけの「答え」を探し続けていた。
“飛雄は僕を見て笑う。絢人は僕を見て止まる。
どちらも僕に『好き』をくれる。でも、僕はまだ──僕自身に『好き』をあげられていない。”
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