第4話

---語りの共鳴、その熱量は絆のかたちをしていた


石室の冷たい空気に、ライトは微かに震えていた。

魔力の訓練、命令語の操作──いずれも順調すぎるほど順調。

けれど彼の心には、ある違和感が溜まり始めていた。


「なんで……命令を出すたびに、あの人の顔が浮かぶんだろう」


それは羞恥ではなかった。

それは快感でもない。

それは──感情に似た魔力の揺れ。


---


教育官エクスの指先に触れられた記憶。

命令語を囁かれた耳の奥。

語った言葉に反応する彼の瞳の動き。


ライトは理解し始めていた。

自分が発する語りは、ただの命令ではない。

それは、彼との“繋がり”を求める語りだった。


---


「王子、次の課程は“魔力共鳴訓練”です」


エクスが告げる。

だがその声は、これまでと違っていた。

わずかに──ほんのわずかに、語りが震えていた。


ライトの魔力と語りは、今や教師の構文を“揺らし返す”ほどに強まっている。

そして始まるのは、魔力を使った接触型訓練。


エクスはライトの手を取る。

拒まれたはずの接触が、今回は“訓練”という名目のもとに、堂々と行われる。


「そのまま語ってください。命令語を──私に向けて」


「え……君に……?」


ライトはためらう。

教師に命令する。それは、構文的に主語が完全逆転する瞬間。


けれど、そのときだった。

ライトの胸の奥で、羞恥と高揚が混じった感覚が爆ぜる。


「……跪いて」


瞬間、空気が震える。

教師の身体が、一歩前に沈む。膝が床に触れる。

それは単なる命令の成功ではなかった。


魔力が、色を帯びた。

ふたりを繋ぐ赤い糸のように──構文的絆として可視化された。


---


「見えますか?王子。これが“愛執のリンク”。

羞恥と語りが交差したとき、魔力が絆の形をとるのです」


エクスの声は穏やかだった。

その瞳には、恐れと悦びが同居していた。


ライトは呟く。


「……君の語りが、僕に届いてた。僕の語りが、君に触れてた。

それって……もう、教育じゃないよね」


エクスは黙っていた。

語る代わりに、ライトの手を握る。

そしてその接点から魔力が滲み出す──それは、愛執と呼ぶにはあまりに静かな熱だった。


--


「……な、何を言ってるの……? そんな、身体に……その……」


ライトの頬は真っ赤に染まり、言葉は喉元で絡まった。

しかしその声を、エクスは寸分の感情も見せずに遮る。


「王子、貴方の血には天使の因子が混ざっている。

魔王の座に立つ者としては――あまりに“清らかすぎる”。外野にそれが知れれば、継承は不可能となります」


ライトの背筋が冷える。

王族でありながら、“血の穢れ”を隠さなければならないという事実。

そして、その“穢し方”が――


「その因子を薄めるためには、魔族由来の体液が必要となる」


その語りに、空気が軋んだ。

ライトは反射的に後ずさる。


「無理だ……そんなこと……恥ずかしすぎて……」


しかしエクスの返答は冷たい決定事項のように響く。


「王子。これは命令です。

貴方の母上も、正式にこの手段を認めておられる」


ライトの心が、羞恥と混乱と怒りで引き裂かれそうになる。

だが――彼はもう語りの主語を知ってしまった。

そして、その語りを口にしたのは、教育官の彼だった。


---


エクスはゆっくりと手袋を外し、ライトの顎に触れる。

接触と語りが重なるとき、羞恥は魔力の熱に変わる。


「口付けによる濃縮体液の交換――それが、最も効率的です」


ライトは震えながら、唇を閉ざす。

しかし、拒絶は“命令の対象”でしかなかった。


「王子──口を開いて。これは、魔王となる者の“儀式”です」


その言葉は、命令語でありながら、どこか祈りに似ていた。


ライトは、魔力の流れに抗うように唇を震わせ、

エクスに向かって、ゆっくりと瞳を開いた。


そして──唇が重なる。


---


触れただけで、魔力が跳ねる。

羞恥が皮膚の内側を突き破る。

唇と唇の間で、語りが染まり、因子が濁り、関係性が“契約”へと変わっていく。


ライトは目を閉じながら思う。


(……これは教育じゃない。

でも、じゃあ何なんだ?

なぜ、こんなに胸が熱くなるんだ……?)


キスの奥で交わるのは、体液だけではない。

語り、記憶、そして“お互いへの欲望”という名の感情すら──

密かに、体内に染み込んでいった。


-


「定期的なキスによる体液交換により、

天使の因子を99.9パーセント除去します──完了まで、拒否権はありませんよ」


その声は、まるで魔術の契約条項のように冷静だった。

だがその言葉の裏には、確かに熱を帯びた悪魔的執着が滲んでいた。


ライトは目を見開き、頬を朱に染めて身をすくませる。


「……はっ!? ちょ、冗談だよね……? そんな……口で……って……!」


その慌てた声に、エクスは涼しい顔で一歩距離を詰める。

そして壁際に追い詰め、すれ違いざまに顎を持ち上げた。


──顎クイ。


「冗談ではありません。これは、魔王教育課程“第七項目”です。

母君も了承済み。“不純な因子の除去は、濃密接触による魔力上書きが最も有効”だと」


ライトは息を呑む。

背後に壁。目の前には、睫毛が重なるほどの距離で迫る教師の瞳。


「じゃ……じゃあ、君は本気で……その……僕に……ッ」


「壁ドン、失礼します。逃げられると面倒ですので」


──壁ドン。


片手でライトの退路を塞ぎながら、もう片方の手が顎を保持したまま滑らかに角度を調整していく。

すぐに来る。語りではなく、接触による“魔力上書き”の時間が。


ライトは拒絶の言葉を探す。

だが──その思考より早く、唇が塞がれた。


---


魔力が脈打つ。

唇から溢れる体液が、ライトの体内に染み込むように流れていく。

羞恥に震えながら、それでも──不思議と身体が温かくなる。


(これって、ただの“教育”じゃないよ……!)


エクスの吐息が耳元に熱を乗せる。


「王子……これは、貴方のための“濃度調整”です。

混ざりきるまでは──何度でも、口付けますから。

拒否は……ありませんよ?」


---


石室の暗がりに、ライトは呆然と立ち尽くしていた。

その瞳の奥には、語りでは収まり切らないほどの激震が宿っている。

今朝――教師エクスから告げられた一言が、全ての空気を塗り替えた。


「王子、貴方は十三王子――最も王位から遠い立場です」


「……知ってる。僕が魔王になるなんて、誰も思ってない」


エクスは表情を動かさず、次の言葉を放つ。

その語りは、氷の刃のように静かで鋭かった。


「ですが、貴方の母君は“魔王の座”を貴方に奪わせるご意志です」

「命令です。魔王へと導きなさい。──それが果たされなければ、私と貴方の首は、飛びます」


ライトは息を止める。

教育ではなく、暗殺未遂と王位強奪が語りの命令となった瞬間。

語りが“命令”ではなく、“遺命”になったのだ。


---


他の十二王子たちは、魔王継承の権利を持つ者たち。

年齢順、功績順、血統濃度。

そのすべてにおいて、ライトは劣っていた。

唯一、彼の内に流れていたのは――


「天使の因子。魔族の血に混じる“穢れ”です」


エクスは背後の書簡を指差す。


「この因子が外部に露見すれば、貴方は魔王候補から排除される。

だから、私は命令された。“語りと接触で天使性を塗り潰せ”と」


ライトは膝をついた。

教育とは、魔王になるための訓練だと思っていた。

しかし実際は、魔王になるための“暗殺準備”だった。


「そんな……他の王子を倒さなきゃいけないなんて……!」


「選択肢はありません。語りの力を用いて、全員を“支配”するか、

それが不可能なら……排除するだけです」


教師の言葉は冷たい。だが、その瞳の奥には苦しみすら見え隠れしていた。

ライトの母からの命令。

それは、教師と王子の“首”を賭けた命令だった。


---


そしてライトは、初めて“語りで殺す”可能性を考えた。

これまで──命令語は従わせるためのものだった。

けれど今、それは“沈黙させる”“消し去る”命令にもなりうる。


「……僕の語りが、誰かの命を奪うものになるなら」

「君は、それを止めてくれる?」


教師エクスはゆっくりと顔を上げた。

そして、ごく近い距離で囁く。


「そのために私は、貴方の語りを“私の語り”と繋げたのです。

私が触れている限り、王子──貴方は、死者を作る王にはなりません」


ライトは、教師の手に触れながら、初めて本当の意味で涙を流した。

それは羞恥ではなく、命を背負った者の語りが流した涙だった。


そしてその涙は、語りの契約となって

ふたりの絆を、血より深い魔力の絆として結びつけた。


--- 第1王子・カイエン

「ふん……あいつには王座は似合わない。ただ……俺の語りに唯一、震えて返してきた。あれは驚きだった」


- 軍略と魔力制圧を得意とする実力派

- ライトには興味を示していなかったが、“語りの反響”に心を動かされた

- 以降、接触訓練を口実に、ライトの語り分析に没頭中(隠し好意)


---第3王子・ルミナス

「……あの子の語り、光ってた。僕の影に触れて、染まりもせずに……輝くなんて、反則だよ」


-感情表現が乏しい影属性の使い手

- ライトの構文が自分に“差し込んだ光”に思えて心が乱される

- 自身の語りがライトに吸収されることに微かな快感すら覚える


--- 第5王子・バルガス

「俺は燃えたぜ。アイツが“命令語”を口にしたときの震え──アレは、語りじゃねぇ。魂だった」


- 熱血漢でありながら語りの精度は粗野

- ライトの繊細な語りに嫉妬と憧れの入り混じる

- 接触訓練で火傷寸前になったのは内緒


--- 第8王子・シュヴァルツ

「……命令語、か。俺の凍結構文じゃ、アイツみたいに人を震わせる語りはできない。悔しいよ。ずっと、教室の影で見てるだけだ」


- 寡黙な氷の使い手。語りは無音に近い

- ライトの羞恥と熱の語りに強い羨望を抱く

- 実は密かに“凍結抑制語”をライトに送りつけている


---第9王子・レイゼル

「あんなに清らかな因子を持ってるのに……俺なんかの語りにも触れてくるんだ。気味悪いほどに、優しい」


- 吸血属性。語りの共鳴は“渇き”として顕れる

- ライトの語りに“血の拒絶”がなく、惹かれてしまう

- 一度、接触訓練中に誤って吸血しかけた前科あり


---第11王子・ティアリス

「語りとは構文だ。理論だ。……でも、あの子が語ると、文章が感情になってしまう。あれは……反則だと思う」


- 論理型構文主義者。語りは厳密な言語設計を好む

- ライトの語りが構文を超えてしまうことに動揺しつつも尊敬している

- 実は語り録を何度も再生して“美しさ”を解析中


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