第3話 魔王王子、監禁教育は地獄のはじまり

最初の“授業”が終わった夜、王子ライトは石室の冷たい床に身を横たえていた。

身体には、教師エクスの指先の記憶が残っている。耳には、命令語──「跪け」「耐えろ」──が絡みつくように鳴り止まない。


羞恥。混乱。

けれどその中に、確かにあったのは「覚醒」だった。

言葉を口にしただけで、空気が動く。相手が従う。

語った先に、支配がある──その感覚は、恐ろしくも美しかった。


「僕の中に、誰か……いや、何かが宿ったみたいだ」


それは、語りの力。

王子の中で眠っていた“支配者としての語り”が、エクスによって揺り起こされたのだ。


エクスは魔術具越しにライトの姿を見つめていた。

疲れ切った表情の裏に、小さく灯った意志の光。

彼の瞳には、冷ややかな満足が浮かぶ。


「いい反応だ、王子。……なかなか、壊しがいがある」


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そして翌朝。

石室の扉が開かれ、ライトは“実戦訓練”という新たな課題を突きつけられる。


エクスは、数体の下級悪魔たちを前に差し出した。

彼らは、教師の視線だけで静かに跪いた──その仕草がライトを異様に緊張させる。


「命令語を使いなさい。彼らに貴方の語りを刻み込み、支配しなさい」


ライトは戸惑う。

人形に向かって命じるのと、目の前の“生きている誰か”に命じるのでは、意味が違う。


「そんなこと、僕には──」


エクスの瞳が、鋭く刺し込む。


「これは教育ではありません。王となる者が語る責務です。“羞恥”を魔力に変え、語る力を証明しなさい」


震える指先。かすれる声。

けれど、語ってしまった。


「……伏せろ」


──瞬間、下級悪魔たちは頭を地に伏せた。

意思を持った存在が、自分の言葉ひとつで屈服した。


その事実に、ライトの胸が高鳴った。

怖い。でも、気持ちよかった。

震える背中に、冷たい汗と同時に興奮の熱が走る。


「語りが届いた……僕の言葉が、誰かの世界を動かした」


エクスは静かに告げる。


「見事ですよ、王子。あなたの語りは、もう私の指導を越えているかもしれません」


それは賞賛か、それとも煽りか──

けれどライトはその言葉に、妙な満足と、奇妙な胸騒ぎを覚えた。


エクスが自分を育てている理由は何か。

本当に魔王として鍛えようとしているのか? それとも──

“育ててから支配する”つもりなのか。


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ライトの心の中に、ゆっくりと芽吹くエクスへの執着。

それは恐怖と支配と羞恥を混ぜ込んだ、語りでは表現しきれないほど歪んだ感情だった。


語ることは、支配だけではない。

語りの先には、相手の内側に踏み込む快感がある。


そしてライトはもう、“語られるだけの存在”ではなかった。

彼自身の語りが、空間を震わせ、関係をゆがめはじめている。


—教師エクスの過去編:語りの始まりは、堕ちた天使の記憶


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“語らせる者”として冷酷無比に振る舞うエクス──

だがその瞳の奥には、誰にも語られない過去が横たわっていた。


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数百年前、彼は“天の学徒”と呼ばれていた。

まだ天界に属していた頃、語りの美しさと秩序を愛し、“言葉による救済”を志していた若き教導官だった。

だが――


堕天の原因は、たった一つの“教育の逸脱”。

彼は、自分が救おうとした罪人の魂に、語りを通じて“感情”を与えてしまったのだ。

その語りは、命令ではなく、祈りに似た優しいものだった。

だが天界はそれを“感情による混乱”と断じ、彼を教育官として堕とした。


そう、エクスにとって“語りに感情を許す”ことは、堕ちるほどの罪だった。

そして彼を引き受けたのが――ライトの母、かつて天界を裏切った堕天使であり魔王妃でもある、美しき叛逆者だった。


「あなたにはまだ、語りを教える資格が残っている。

語りの構文と感情の境界を、魔界で再定義してみせて」


その時に結ばれた“契約”こそが、ライトの教育の始まりだった。

エクスは命令されたのではない。

彼は、自ら望んだのだ──語りの復権のために。


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ライトはそれを知らない。

彼にとってエクスは、語りで押し潰してくる“圧力の象徴”でしかない。

けれど、エクスが語る言葉には、必ず“感情を排除した構文”が添えられている。

それは、自分が再び堕ちないための、自己制御の鎧。


──だが、ライトの語りは違った。

羞恥に震える声。命令の中に滲む拒絶。

それは、エクスがかつて罪とされた語り方だった。


そして今。

その“罪の語り”が、魔王の資質としてライトに宿りはじめている。


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エクスは、ライトの変化に怯えているわけではない。

むしろ、その“罪深い語り”を育てたいとさえ思っている。

なぜならそれこそが、自分が天界で封じられた“本当の語り”だったから。


ライトに語らせることで、自分は再び語ることができるかもしれない。


「君の語りが美しいと思ってしまう自分が、まだここにいる……」


その独白は、誰にも聞かれず、

石室の奥に、ゆっくりと沈んでいった。


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