さよならの旅

 このシェルターも、最初はたくさんの人がいた。荒野を当てもなく歩いて小さな四角いガレージを見つけた時はトウキと抱き合って喜んだし、その地下に人々が暮らしていることを知って涙を流した。当てもない旅の途中、一滴の涙だって惜しかった僕らは世界がこんなことになってもまだ泣いていなかったのに。


 けれども食料には限りがあって、スペースにも限界がある。一人、また一人と姿を消した。他のシェルターを探しに出た者、食料をとりに行った者、自ら口減らしに去った者、気が触れてしまった者。時々、急に地下で亡くなってしまう人もいて、そういう人はガレージの外に出しておくとたった一晩で跡形も無く消えていく。


 正気でいる方が難しい閉鎖空間はそのうち僕ら二人だけになって、そのころになってやっとここがまだ旅の途中だったのだと気が付いた。


「あのサボテンが枯れたら出ていこう」


 そう言いだしたのはトウキだった。世話好きな婆さんが可愛がっていたサボテンは、こんな世界にもかかわらず小さな花を健気に咲かせていて、凛と伸ばしたトゲに矜持を持っている。


 婆さんが消えたのはもうずいぶん前だけど、よく昔話をしてくれるから好きだった。僕らが生まれるずっと前、この近くはとても栄えた場所だったと。こんなガレージと比べ物にならないくらいの大きな建物があって、緑豊かな木々が生えている。川には水の上を行く船が通り、空に鉄の塊が飛ぶ。五階建てのマンションに住んでいた婆さんは、よく隣人に花束を贈っていたらしい。


 過去の話のはずなのに、未来の話を聞いているみたいな気がして僕はよく婆さんの近くにいた。


 トウキは環境の話よりも技術の話に興味があったようで、婆さんを可愛がる爺さんの話を聞いていたように思う。ガレージにあるマシンも爺さんのものだ。

 婆さんのサボテンが枯れたら、爺さんのマシンで旅の続きに出よう。


 その提案はいまよりも過酷なものなのにひどく魅力的に思えて、僕はサボテンを少し風通しの悪いところに移動させた。

 そこからは荷造りの日々だった。

 宝物ばかりのシェルターを歩き回って、話したこともない人の写真を拾う。


「ねえ、これいるかな?」

「ロキが持っていきたいのなら」

「そんなこと言ってたらこのシェルターごと持っていきたいよ」


 持っていける荷物は僕とトウキで一つのリュック。僕がウロウロとシェルターを徘徊してはガラクタを拾ってくるのを見て、彼はまるい猫目を三日月にした。


「羽付きの帽子があったよ」

「それなら被っていけるかもな」

「ヘルメットの代わりにしよう」


 拾ってきた羽付き帽子をトウキにかぶせると、なぜだか妙にしっくりきた。彼自身も気に入ったらしく、その場でくるくると回った後に恭しくお辞儀をして見せた。

 シェルター内が小さく振動して、落ちていた小さな木のコマがカラリと揺れる。


「砂嵐か?」

「多分そうだろうね」


 シェルター内をくまなく歩きまわった僕らは、思い出話に花を咲かせながら砂嵐が過ぎ去るのを待った。

 みんなで暮らした日々も悪くなかった。色々な人がいて、その分争いもあったけれど、誰もが皆、きっと旅の途中だったのだろう。僕らがここから出れば、先に出ていった誰かに会えるかもしれない。


 サボテンはたぶん、ここのすべてを見ていた。僕らの食糧が付きかけた日に、痛そうなトゲはそのままにして枯れているのがわかった。


 かき集めた荷物は決して軽くはないが重過ぎはしない。

 リュックに入りきらなかった思い出は、深いポケットの中にしまい込んでガレージに上がったのがついさっきだ。

 よく見ると所々錆びたマシンは、大きな音をたてて唸り始める。


「ねえ、これ本当に大丈夫?」

「俺が信じられない?」

「世界に信じられるものなんてないよ」


 見当違いな返事を聞いたトウキが、まるい目をさらに丸くしてから肩をすくめた。


「間違いないね」


 ガレージの扉を開くと憎々しいくらいの太陽光が飛び込んでくる。羽付き帽子を被ったトウキがマシンにまたがって僕を急かす。


「旅立ち日和だね」

「ずっと旅の途中だったんだよ、俺らは」


 少し錆びたマシンを撫でて、トウキの後ろにまたがる。

 思いのほかスムーズに走り出したマシンは、僕たちを運んでいく。あれは錆びていても爺さんの憧れなのよと婆さんが教えてくれたのを思い出して、トウキにつかまりながら振り返るとガレージがどんどん小さくなっていった。


「ここに来た時と逆の景色だ」

「俺の代わりに見ててくれよ、振り向けないから!」


 大声でそう言いながら真剣にハンドルを握っていたトウキの羽付き帽子が小さな羽根で飛び立って、僕らのずいぶん後ろに落ちた。

 吹き荒れる風の中に知らない過去の景色を見る。

 悪くない。悪くないよ、今のこんな世界も。


 荒野を行く旅はずっとずっと、たぶん僕たちが息絶えるその日まで途中のままだ。ガタガタとお尻に伝わる振動だって、いつの日か思い出になるはずだ。

 トウキが何かを叫んでいたけれど、風にさえぎられて何も聞こえない。


 けれども、覗き見た彼が笑いながら涙を流していることだけはわかった。

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血液の揺らし方を知らない僕たちは 入江弥彦 @ir__yahiko_

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