第一章 疑惑

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 蒲生がもう茉莉まつりが死んだ。八柳やなぎ栞菜かんながその訃報を聞いたのは、ちょうど日本に帰国したばかりのときだった。

 六月、アメリカのシアトルで通っていた高校が夏休みに入り、日本の高校へ編入手続きも済んだあとは目まぐるしい日々が続いた。現地の友人たちが盛大に送り出してくれたのが七月頭のこと。一番の親友であるデイジーとは飛行機に乗る直前までメッセージのやり取りをしていた。もしデイジーではなく、茉莉に連絡していたなら彼女はまだ生きていたのだろうか。そんな後悔に苛まれるほど、旧友の自殺という現実味のない事実に打ちのめされた。

 まさか引っ越してきてすぐ告別式に参列することになるなど思いもしなかった栞菜は、白い棺桶の中で眠る茉莉の顔に言葉を落とした。

「サプライズしたかったのに」

 真っ白な顔はまるで人形のよう。幼い頃の茉莉は髪が長く、おしゃれなシュシュでまとめていた。今はしなやかな黒髪をボブヘアにしていて、蛍光灯の光を反射するほど美しい。

 茉莉は死顔でさえ完璧だった。かわいらしい容姿がそのまま大きくなったようで、これから楽しい恋愛や学生生活、大人になって結婚したり子供ができたり、もしくは優れた才能を生かした仕事で活躍していただろう。でも彼女はもう大人になれない。

 栞菜は鼻腔につんとした痛みを覚えた。目頭が熱くなり洟をすする。

「栞菜ちゃん」

 背後から声をかけられて振り向くと、上品な黒い着物をまとった小柄な女性が佇んでいた。茉莉の母親。小学生の頃はもっと明るく優しい大きな存在だったが、今は娘の死という耐え難い現状に押し潰されそうなくらい脆い。肩より上に切りそろえた髪に白髪がわずかに混ざっている。奇しくも茉莉と同じような髪型だった。

「せっかく栞菜ちゃんが帰ってきたのに……ごめんなさいね、こんなことになって……」

「ううん。そんな……そんなこと、ない、です」

 唐突に日本の言葉遣いを思い出し、ぎこちなく返す。敬語は慣れないが、悲しみに沈む中でも冷静に言葉を探せることに栞菜はひっそりと胸の内だけで自嘲した。

 もうすぐ出棺。茉莉と言葉を交わす間もなく、別れが近づいている。

 葬儀場では茉莉が通っていた青城せいじょう高校の制服を着た生徒が何人かいて、目を腫らしたり涙ぐんでいたり放心していたりしている。女子がほとんどだったが、男子も何人かいた。ほどなくして、生徒たちの集まりは茉莉の顔をひと目見た後、ぞろぞろと帰っていく。

 日本の夏は生きていても溶けそうなほど暑く、外に出た生徒たちは濃紺のブレザーを脱いで夏服姿となっていた。こんな暑い中、ブレザーを着て告別式に訪れる生徒たちを見ながら栞菜はそっと呟く。

「茉莉、みんなに好かれてたんだね」

 当然だ。蒲生茉莉というのは賢く、大人しく優しい優等生。クラスではみんなに頼られ、教師も一目置くほどの存在。誰とでも分け隔てなく仲良く、とくに勉強を教えてくれ、たまに週末には茉莉の家でホームパーティーをする。そこに招待されるのが同年代女子の自慢となっていた。それが栞菜が知る小学五年生夏までの茉莉だ。おそらく高校生になっても同じような環境だったのだろう。

 出棺後、栞菜は葬儀場をそっと抜け出した。手洗いを探す。

 この建物は葬儀場の外は吹き抜けのホールで螺旋状の階段がある。二階の葬儀場から一階へ降りる。ぼんやりと考え事をしていたせいか一段踏み外し、体が嫌な軽さを帯びたことでようやく我に返った。

「あぶなっ」

 柔らかい衝撃とともに声の主を捉える。

 長身の濃紺ブレザー。青白い顔の男子生徒が後ろから栞菜の腕を掴んで支えていた。彼もまた驚いたように栞菜を見ており、腕を引っ張り上げて訊く。

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫……ごめんね」

 栞菜は恥ずかしさで顔が熱くなり彼の顔から視線を下へずらした。青い若葉と白鳩がモチーフの青城高校エンブレム。茉莉のクラスメイトだろうか。

「気をつけて」

 彼は真剣にそう言うと、栞菜を追い越していく。

「お礼、言えなかった」

 栞菜はため息をついた。茉莉の死を今になって実感したのか、降りきってない階段にしゃがんで膝に顔を埋める。

「茉莉。なんで死んじゃったの……」

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