6 儀式

同時刻 ― 長野市・旧市街の床屋


佐々木刑事は、鉛のような曇天の下、あの床屋の前に立っていた。


店のシャッターは半分だけ閉じており、中からは電気も点いていないはずなのに、奥のほうで機械音のようなものが微かに響いていた。


(あの婆さんまだ、何か隠してる。絶対に)


彼は深呼吸し、そっと引き戸を開けた。


中は異様に静かだった。剃刀の置かれたガラスケース、黄ばんだ椅子、薬品の匂い――全てが妙に古く、時間が止まったような空間。

床屋には誰も居ない、中へ入ると居住している場所に、小さい昭和の名残りがある茶の間。小さいテレビがあり、ただノイズが映っている。何かが腐った腐臭が微かにしていた。

より奥の、調理場に入る。

「地獄」と例えばは、安直だがその光景。

つんざく腐臭、人間の腕、足が4.5人分は落ちて腐っていた。内臓や肉片らしきもの鍋にあった。

人の気配がし背後でガチャンと鍵の音がした。


老婆が、包丁を持って立っていた。

「お帰りなさいな“呼び手”」


「……は?」


「“顔”を戻すには、“口”がいる。あの子、ずっと待っとるで……」


佐々木が手を伸ばすより早く、老婆が包丁を突き出した。 かすり傷では済まなかった。鋭い痛みとともに、左腕が裂け血が飛び散るる。

「くそっ!」

なんとか後ろに飛び退き、古びた椅子で老婆の腕を払う。

「葵は……自分から“かたち”になったのか!?」


「そうだわな。自ら選んだ“名前”を返すためだに。 お前たちが“忘れた”ものを、彼女は覚えておったんだわな!」


老婆の目が、異様で何かが壊れていた。

いや、元から壊れていたのだ。

佐々木は叫んだ。

「じゃあなぜこんな事を!?」


老婆は嗤った。


「 違う。これは還る儀式。 名を失ったものに、“かたち”を返すだけじゃ」

彼女が包丁を振り上げたそのとき――

店の奥から「コトン……」と木の音がした。

老婆がぴたりと動きを止めた。

「……あの子が、呼んどるで」

その瞬間、店内の鏡が一斉に曇り、音もなく割れた。

破片の中に、白いワンピースの少女の背中が映っていた。



一方その頃 ― 群馬・御巣鷹山 神域跡

森の奥――

遠藤は、秋庭に手を引かれながらも、“地中の顔”から必死で離れた。

「やめろ! 離せ……ッ!」

しかし、何かが足を絡め取るようにまとわりついてくる。

木? 根? いや、これは――無数の長い髪だった。


「秋庭ッ、何なんだこれは!」


秋庭は低く呟いた。


「……2000年前から彼らは“戻ろうとしてる”。 名を奪われ、顔を失った“かたち”たちが、新しい“顔”を求めて」


遠藤の手の中に、いつのまにか一枚の紙が握られていた。


――そこには、古い墨書体でこう記されていた。

次に“かたち”になる者へ。

お前の“顔”は、既に選ばれている

彼は、自分の指先が震えていることに気づいた。

そして、気づいた。


この“物語”の構造の中で、自分が登場人物ではなく、“儀式の部品”であることに。



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