第25話 運命の日①

「こんにちは」


 文化祭も終わり、あとは受験に向けて一直線。私は勉強の合間を縫って、美空さんの元に定期的にお見舞いに訪れていた。私が訪ねると、美空さんは白い顔をほんのりと上気させて、喜んでくれる。


「由梨乃ちゃん」


 わざわざ身体を起こそうとする彼女を制した。見る度に腕は枝のように細くなり、命が削れているのがわかる。


「無理はしないでください。お花、活けてきますね」


 すっかり病院内についても詳しくなった。花瓶を手に水場へ行き、買ってきた花を活ける。


 病室に戻ると、美空さんはベッドに腰掛けていた。「ウチが由梨乃ちゃんと、きちんと顔合わして喋りたいだけやねん」と笑う。


 私はベッド横のサイドボードに花瓶を置いた。冬だから、なかなか色とりどりとはいかないが、最低限の格好はついている。


「今日はお花以外にも、プレゼントがあるんですよ」

「え? なになに?」


 鞄から取り出したのは、膝掛けだ。たまたま覗いた店にあった、手編みのブランケット。七色の毛糸が上手に編み合わさって、まるで虹みたい。


 院内はどうしても無機質だ。花はいつかしおれてしまう。いつも手元に置いておけるカラフルな膝掛けは、彼女の目を楽しませるだろう。


「ありがとう!」


 美空さんの肩にかけてあげた。彼女の頬は赤みを帯びて、何度も摩っている。喜んでもらえて何よりだ。私も笑顔になる。


「ウチが死んだら、棺桶に一緒に入れてもらうわ」


 冗談めかしているものの、本気の響きをわずかに感じ取って、反応が遅れる。「縁起でもない」って、笑って肩を叩ければいいのに、不用意に触れることはできなかった。


「そんなこと、言わないでください」


 かろうじて口にできたのは、真剣な懇願だった。美空さんは遠い目をして、微笑む。


 彼女は、自分の死期を正確に感じ取っている。


 家族には、なかなか口にできない自らの死について、私の前では言葉にする。


 そうやって、心のバランスを取っているのだと思う。死ぬことへの恐怖、生への執着。明るく振る舞うのは、家族の前で見せる空元気の練習なのだ。


「せやね。大地のデビュー、見届けな」

「そうですよ」


 まだ諦めていないことにホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間、美空さんはにやにやと私を見る。


「それに、由梨乃ちゃんと大地がお付き合い報告に来てくれるのも待っとるしな」

「なっ」


 私の片思いは、美空さんにはバレバレだった。そして密かに応援してくれている。私はいつも、「外村くんはアイドルだから無理です」と逃げるのだが、その度に彼女は、唇を尖らせる。


「それはあいつの都合やんか。由梨乃ちゃんが大地に好きや~言うんは、自由やろ?」

「まぁ、そうなんですけどね……」


 けれど告白したからには、「お付き合いしたい」「恋人になりたい」というのが本音。


 そう考えて、自分の意識の変化にびっくりした。


 恋を自覚したばかりの頃は、手が届かない人を好きになってしまったことに、絶望していた。釣り合わない自分を恥じ、これから彼が出会う特別な女の子を妄想しては、うじうじしていた。


 彼には好きな人がいる。そうはっきりと聞いた。いつか好きだと言えたらいいね、と私は逃げたけれど、もしかして、その相手は……。


 浅ましい願望に過ぎない。なのにありえないと言い切ることができないのは、今日もポーチの中に眠る、口紅のせい。


 美空さんは、私の妄想を肯定する。


「大地も由梨乃ちゃんのこと、絶対好きだって。言うだけ言うてみ? な?」

「でも私、外村くんを困らせたくないですし……」


 彼女の言葉が正しかったとして、なんとも思っていない相手に告白をされるよりも、困るに違いない。お互いに気づかないフリをしたまま高校を卒業して、アイドルとただのファンになる。私が何も言わない方が、平和なのだ。


 美空さんは黙っていたけれど、小さく溜息をついた。そして薬の副作用のせいか、うとうとし始める。


「疲れちゃいましたね。私、もう帰りますね」


 今にも眠りに落ちてしまいそうな美空さんは、最後にぽつりと言った。


「……ウチも、こんな身体じゃなかったら、恋、してみたかったなあ」


 私はぐちゃぐちゃになった感情を抱え込み、押し殺した。


「おやすみなさい」


 小さく声をかけて、病室を出る。そこで外村くんと出くわす。


「田川さん」

「外村くん……残念。美空さん、ちょうど寝ちゃったの」


 忙しい合間を縫って見舞いに訪れた彼は、情けなく眉を下げた。


「最近、いっつもそうなんよ。姉ちゃん、俺と話したくないんかな」

「そういうわけじゃないよ。さっきも、外村くんのこと話してたし」


 不在の場での噂話を気にして、彼は「悪口?」と聞いてくる。私は人差し指を立てた。


「女同士の秘密」


 気取って言えば、肩を落とす。そんな反応が面白くてつい笑ってしまう。


「あ、どうぞ。私は帰るから」


 スッとよけると、外村くんは少し悩んだ末に、「いや」と首を横に振った。


「また今度、起きてるときに来るわ。今日は俺も帰る」

「そう?」


 外村くんは病室をちらっと覗いて、寝息に合わせて布団がわずかに上下しているのを見届けた。おやすみ、の声を投げかけ、静かにドアを閉める。


「ほんじゃ、行こか」


 外来の診療時間が終わっているせいか、バスの乗客は多くはなかった。


 先に乗り込み、二人席の窓側に座る。すると、彼も続いて隣に座ったので、ぎょっとする。


「ほ、他の席も空いてるよ?」


 小声で提案するも、頑として譲らない。


「俺はここがええ……田川さんは、嫌なん?」


 首を傾げて問われれば、ぶんぶん首を横に振るしかない。私が拒絶できるはずもない。


 バスが発進した瞬間、揺れて触れあう腕と腕。厚着の季節でよかった。これが夏だったら、素肌同士が触れたかもしれない。


 隣を意識しないように、単語帳を取り出した。外村くんは、三つ目のバス停を過ぎたところで、話しかけてきた。


「受験するとこ、決まったん?」


 夏の日に、やりたいことがわからないと泣いた手前もあり、彼には、きちんと言っておかなければならない。一度本を閉じて向き直る。


「うん」


 文化祭が終わってから、自分のやりたいことを両親に話した。


 自分ひとりで完結する仕事よりも、周囲と協力して、大きな物事を成し遂げたい。仲間と喜びを分かち合えるような仕事がいい。自分が楽しんで、お客さんも楽しませることができる、イベントを作り上げる仕事だ。


 文化祭以前は、淡々とひとりでできる仕事が向いていると思っていた。けど、そんなの思い込みだった。私の言葉に他の人が意見をくれて、また新たなアイディアが生まれるのは面白く、やりがいのあるものだった。


「お母さんの説得も、なんとか上手くいったよ」


 そう言うと、外村くんは「そっか」と、安堵して肩の力を抜いた。


 上手くいった、というよりも、母が前向きに諦めてくれた、というのが正しい気がする。


 父の事前の説得、私の懸命な懇願を聞き、母は深く溜息をついた。


『本当に、私とはまるで違うのね』


 あなたの好きにしなさい、という言質も取った。完全なる和解とは言えないが、大学進学について母からの障害は、一応なくなった。


 しかし、具体的な志望校の話を進めると、今度は父が難色を示し始めた。


 滑り止めには、母推薦の女子大。それから都内の私立大学をいくつか。けれど本命はというと、大阪の大学だ。


 家から通える距離にも、多くの大学があるのに、わざわざそんなところに行く理由はない。


 生田先生にもそう言われた。同レベルの大学の資料をいくつも渡されたけれど、私の意志は固い。


 隣に座る外村くんを見つめる。


 彼の生まれ育った街を、私はよく知らない。だから、自分の目で見てみたい。


 そんなわがままが許される、最後の時間が大学の四年間だ。向こうで就職することを考えればいいんじゃないか、と父は譲歩したが、私は譲らなかった。それだと、街の空気を味わう余裕はないだろう。


「ん?」


 視線に気づいた彼が、訝しげな声をあげたが、私は「なんでもない」と、首を振った。


 合格してからじゃないと、格好がつかないから、今は言わない。


 沈黙した私たちを乗せて、バスは走り続ける。




 大掃除も年末の買い出しも免除された私は、おとなしく自室で受験勉強に励んでいた。ドタバタと三人で出かけていったが、弟は不満そうにしていた。


 来年は智之の番だよ、と口には出さずに見送った。


 ひたすら赤本と向き合っていると、スマートフォンが音を立てた。すでに二時間が経過していて、ちょうどいいから一息入れることにする。


 メッセージは、綿貫さんからだった。


 すでに推薦で都内の一流大学に進学を決めている彼女は「すごい人!」と、写真を送ってきた。若い女性を中心に、行列が出来ている。


「そっか。行くって言ってたもんね」


 事務所主催のカウントダウンコンサートだ。男女合わせてたくさんのグループが出演し、民放でも中継される。去年までは興味がなかったけれど、今年は見るつもりだ。


 外村くんはコンサートには出演しない。まだ高校生だから。しかし、客席で見学はする。綿貫さん曰く、カメラもわかっているから、そこを時折抜いてくれるんだとか。


 なんと返事をしたものかな、と考えていると、追撃が来る。


『来年は一緒に来ようね』


 来年の今頃、私は大阪の大学生になっているだろうか。そして、外村くんはデビューしているだろうか。


 彼の出演した学園ドラマは、クリスマス前に最終回を迎え、外村くんの演技はおおむね好評だった。


 ヒロインに選ばれない、俗に言う「当て馬男子」は、メインヒーローよりも人気が出るパターンがある。原作からその傾向にあったが、外村くんが演じた関西弁の青年は、視聴者の心を打ち、「三上ロス」なる言葉が流行っているくらいだ。


 社長の「一年以内に結果を出せばデビューも考える」という言葉にふさわしい活躍だと思うが、果たしてどんな決定が下されるのか。


 この間、美空さんの元に、年内最後のお見舞いに行った。


 ちょうど体調のいい日で、外村くんも一緒に、起きている時間に会うことができた。テレビを見るのもしんどいというお姉さんだったけれど、弟の活躍は見逃さない。ドラマの録画を休み休み再生していた。


 彼女が元気なうちに、どうかデビューが決まるように。


『うん。そのためにも絶対合格しなきゃね!』


 綿貫さんにもまだ、自分の本命校がどこなのか伝えていない。


 知らせたのは、千里子だけ。彼女もAO入試で進学を決めていて、私の話に、「やりたいようにやるしかないじゃん」と、背中を押してくれた。


 合格したら、ちゃんと言わないとな……綿貫さんは、私が大阪に行くのを、寂しいと思ってくれるかな。


 いや、「遠征のときは泊めてね!」と、ホテル代わりにされそうだ。


 失礼なことを考えていると、スタンプとともに、激励の言葉が返ってきた。


『由梨乃なら、絶対大丈夫!』


 自分の名前が表示されているのが新鮮で、思わず指で画面をなぞった。


 由梨乃と、彼女から初めて呼ばれた。驚くとともに、くすぐったい気持ちになる。


 外村くんを介して繋がった私たちが、本当の友達になれた。ううん、本当はとっくに、もうひとりの親友だと感じていたけれど、呼び方が変わるって、やっぱり大きな変化だ。


『ありがとう、かれん』


 私も綿貫さんの……かれんの名前を呼び捨てにして、返信する。きっと彼女の方も、むずむずと悶えているに違いない。


 外村くんのこともいつか、「大地」って呼べるようになるのかな。


 スマートフォンを閉じて、背伸びをする。


 そろそろ勉強、再開しますか。晩ご飯、紅白の時間までしっかりやらないと。


 その前にお茶を淹れてこようと、私は席を立ち、キッチンへと向かった。




 紅白歌合戦を見終えて、即行でテレビのチャンネルを替えた。


 母は疲れたと言って寝てしまったし、父は慣れない日本酒のせいで、うとうとしている。弟はゲームに夢中だ。


 東京ドームからの中継が流れ出す。テレビ向けに司会を担当するのは、ベテランタレントの男女ふたり組だった。軽妙でこなれたトークとともに、グループの代表曲をメドレーで繋いでいく。


 私でも知っている曲が多くて、自然と身体が揺れた。ゲーム画面を見ていた智之も、いつの間にか釣られて顔を上げている。


 クルーの中でも、瀧口藤馬くんのように、すでに成人している人は、先輩たちのバックについて踊っている。普段、男のクルーは男性グループ、女子は女子にしかつかないけど、今夜はお祭り騒ぎ。


 ペンライトの波の中にいる、かれんのことを思う。楽しんでるかな。座席、よくなかったって来てたけど。


 私は客席が映らないか、気を張っていた。だが、なかなかカメラが彼を抜いてくれない。最後まで紅白に出ていたSTORMが、会場に辿り着いて姿を現してもなお、外村くんの姿は見えない。


 日付が変わるまで残り三分を切ったところで、画面の端に残り時間が表示された。


『十、九、八、七……』


 大きなトラブルもなく、ステージ上に全員が集合して、大きな声でカウントを始める。


『三、二、一、あけましておめでとー!』


 歓声とともに射出される、キラキラの銀テープが宙を舞った。コンサートのことを思い出していると、智之の「あけおめ」に、反応が遅れてしまった。


「ああ、うん、おめでとう」


 それからすぐにテレビに視線を戻す。とにかく明るくハッピーな曲調は、新年の幕開けにふさわしい。とにかくきらびやかで、めでたい雰囲気である。


 テレビ中継の時間も、残り十分。


 STORMのリーダーが中央に立つ。客席がざわつき、ペンライトが不規則に揺れる。


 マイクを持ち、「しーっ」とジェスチャーすることで、さざ波のように会場は静まる。彼は持っていた封筒から紙を取り出して、まっすぐに前を向き、言葉を発した。


『瀧口藤馬』


 心当たりがない様子で、「前に」と言われ、首を傾げながらSTORMリーダーの横に着く。


 それから三人、続けてクルーの名前が呼ばれた。同じく不安そうな顔をして、前へ出てくる。


『それから……外村大地』


 ここで初めて、客席にいた外村くんの顔がカメラに抜かれた。「俺?」と自分を指さし、どうしたらいいのかわからずに、戸惑っている。さすがに壇上に行くわけにも行かず、その場で立ち上がり、一礼をする。


 五人の名前を呼んだリーダーは、ぐるっと彼ら、そして客席のファンを見回したのちに、にやっと笑った。


 しん、としていた会場に向けて、叫ぶ。


『以上五人、+1star《プラスファスター》。今年の春、CDデビューします!』


 サプライズ発表に、静まりかえっていた観客席が爆発する。呼ばれた五人も、寝耳に水だったようだ。


 ぽかんと呆けていた彼らの顔に、じわじわと喜びが広がっていく。唇を震わせ、メンバーと抱き合っている。あの夏の日のコンサートで、中心にいた五人だ。


 四人は、客席にいる外村くんのところに走った。年上の仲間たちにもみくちゃにされた彼は、笑いながら、泣いていた。


「ゆり姉?」


 そして私の目からも、涙がこぼれ落ちていった。


 自分の、そしてお姉さんの夢を、彼はようやく叶えることができるのだ。小学校五年生、十一歳の頃から七年。「美空さんが元気なうちに」というタイムリミットを背負っていた外村くんにとっては、非常に長い時間であった。


 最後にお見舞いに行ったとき、年末年始は家で過ごせそうだと、東京の家は初めてだと、美空さんは笑っていた。


 弟が夢のスタートラインに立ったこの瞬間を、彼女も自宅で見守っているに違いない。


「これ」


 智之に差し出されたティッシュをありがたく受け取って、涙を拭き、鼻を噛む。コンサートの中継は、熱狂の内に終わった。


 私は外村くんに一刻も早く「おめでとう」を伝えたかったけれど、忙しいだろう。


 朝起きてから、メッセージを送ろう。


 私はソファの父を起こし、寝室へ促した。弟もあくびをしながら自分の部屋に戻ったため、リビングには誰もいなくなる。


 電気を消して、私も自分の部屋に戻り、ベッドに寝転んだ。けれど、興奮で眠気がさっぱり訪れない。文面を考えようとスマホを握りしめるけれど、何度も打っては消しを繰り返しているうちに、いつの間にか寝落ちしていた。


 結局、送信することができたのは、「あけましておめでとう。それから、デビュー決定も本当におめでとう。これからもずっと、応援しています」という、ありきたりなメッセージだった。


 既読はついたけれど、外村くんからの返信はなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る