第24話 文化祭で夢を見る②

 一般開放がスタートすると、用意してあった着ぐるみを外村くんと金子くんに着せ、看板を持って校内を練り歩く。


「う、うさみちゃん。見える? 大丈夫?」


 ウサギの着ぐるみで、よちよち歩く外村くんの介助は、私の担当だ。手を繋ぎ、なかのひとがバレないように、うさみちゃんという仮名で呼ぶのは、少し恥ずかしかった。


 ちなみに金子くんの方はくまおくんで、綿貫さんがついている。美少女に先導される着ぐるみの方が目立つだろうという計算である。


 声を出すと台無しなので、外村くんはもこもこの手で、ぽんぽん、と私の手を叩いた。


 大丈夫そうだ。それでも視界は狭いし、歩きにくいことは間違いないから、しっかりフォローしなきゃ。


「それじゃあ、一生懸命宣伝しようか!」


 私らしくないテンションで、拳を振り上げる。


 どうせ着ぐるみなんだから、自由に遊んでくればいいとみんなは言ってくれた。でも、外村くんは「俺はお客さんやない!」と、強く主張した。しっかりと宣伝係を務める気、満々である。


 各教室の前は華やかにデコレーションされている。さすがに中に入って、「焼きそば売ってまーす」というのははばかられる。展示や室内の模擬店にお邪魔することなく、廊下から覗くにとどまった。


 本当はあれこれ見て回りたいはずなのに、我慢させている。


「うさみちゃん、楽しい?」


 聞けばまた、手をぽんぽんと叩かれる。ぐっと強く引き寄せられ、「心配せんでええよ。めっちゃ楽しんどる」と、囁かれた。


 これが生身の状態だったら失神していた。ただしそこは、うさみちゃんの外見である。肉厚な着ぐるみが壁となって、かろうじて正気を保っていられた。


 赤くなった顔は、狭い視界では見えないことを願って、やんわりとうさみちゃんを押しのける。


「じゃあ、外行こうか」


 出入り自由な文化祭とはいえ、不審者が侵入するのは困る。玄関には一般客にパンフレットを渡す受付があり、基本的に男の先生が常駐している。


 ちょうど、担任の生田先生が駆り出されている時間だった。


「先生、焼きそば食べましたか?」


 話しかけると、先生がこちらを向いて、ぎょっという顔をした。頭の大きな着ぐるみのどアップだったので、それも無理はない。


「あ、ああ。ここの係が終わったら、行くよ」


 うさみちゃんと私を交互に見て、ひらひらと手を振る。


 玄関から外に出ると、うちのクラスの焼きそば屋台の看板も見えてくる。


 恐れていたような、外村くんファンの暴走もないようだ。中に入ってきてはいるのだろうけれど、彼が文化祭にこっそりと参加していることを知っているのは、基本的にはうちのクラスだけ。


 他のクラスの生徒は、「不参加」という知らせを受け取ったところで終わっている。誰に聞いても、「今日はいません」と返ってくるだけだ。ある程度探索したところで、諦めて帰ってくれるだろう。


 屋台に顔を出せば、「うさみ~」と、出迎えてくれるクラスメイトたちの笑顔。


 うさみちゃんは表情が変わらないけれど、彼らに手を引かれて顔の角度が変わると、嬉しそうな感じが伝わってくるから不思議だ。


 頭がずり落ちたら騒動になるので、後ろから支えてあげる。


「そんじゃ、宣伝してきてくれよな!」

「任せておいて。ねぇ、うさみちゃん」


 手を振る彼を引っ張って、私たちはビラ配りをして、文化祭を大いに盛り上げるに一役買ったのだった。



 焼きそばとラムネを二人分買って、こっそりと特別教室棟に急ぐ。


 ちなみにラムネは千里子のクラスで、急激に涼しくなった影響により、ほとんど売れておらず、午前中にも関わらず叩き売りされていた。


 過ぎ去りし夏そのものを封じ込めたような瓶を見ていると、夏休みの思い出が、胸の内に鮮やかに蘇ってくる。


 コンサート。それから彼の本音を垣間見た、外村くんの弾き語り。全部、彼にまつわる思い出だ。


 地学準備室のドアを、うっかりいつもの調子で開けてしまって、固まった。中にいた外村くんは、なおさら驚いただろう。


「ご、ごめん!」


 勢いよく謝って、それから廊下に戻る。今、目に映り込んだ光景を打ち消そうと目を瞑っても、瞼の裏から消えてくれない。顔が熱い。瓶を両頬に当てて、冷まそうと試みたけれど、ラムネの方が温くなりそう。


 着ぐるみは暑いし、重い。ずっと着用していると、秋とはいえ熱中症になってしまう。早めにビラ配り兼校内探索を終えて、ゆっくり落ち着くことのできる秘密基地に戻ってきた。


 そして私はお昼ご飯を買い出しに行って、外村くんはお着替え。結構時間がかかったから、もうクラスTシャツに着替え終わったと思っていたのに!


 内側から、控えめなノックの音がして扉が開く。そろそろと隙間が広がっていって、ばつが悪そうな外村くんの顔が覗いた。彼の頬も、少しだけ赤みを帯びている。


「ほんとにごめんね……着替え中に」


 着ぐるみの中は、想像以上に地獄だったようだ。そのままクラスTシャツを着るわけにはいかず、汗を拭き、しばし涼んでいた。そしてアンダーも替えようと上半身を完全に晒したところに、うっかり突入してしまったのだ。


 発展途上の肉体は、手足の長さが目立つが、うっすらと盛り上がる胸板や腹筋が、きれいだったな……いやいや、忘れなきゃ!


 耳が赤くなっている彼に気づかなかったフリをして、「焼きそば! と、ラムネあるよ!」と、買ってきたものを押しつけた。


「おー。ありがとう」


 嬉しそうに外村くんは、ラムネをぐびぐびと飲んでいく。


 清涼感のある炭酸水は、青春を体現している。ぼんやりと眺めていると、視線が気になったのか、「ん?」と、こちらを見てくる、彼。


 なんでもないと首を振り、私もラムネを一口。しゅわりと弾ける泡と、カラコロ転がるビー玉は、初恋の音がする。


 焼きそばで腹ごしらえも完了し、外村くんはいよいよ、帰るための準備を始める。


 まさか帰宅時も、うさみちゃんでいるわけにはいかない。マネージャーさんの車で送ってもらうけれど、駐車場に向かうまでの間にパニックになったら、最後の最後で台無しになってしまう。


「なあなあ、似合う?」


 そこで私たちが考えたのが、ずばり、「木の葉を隠すなら森へ」作戦だった。


 外村くんひとりだけ、サングラスをしたりと変装していたら、悪目立ちして、勘づかれてしまうかもしれない。だから、クラスの男子で手の空いている人に協力してもらい、似たような仮装の集団を作り上げることにした。


 小道具はすべて、百円ショップなどで各自用意した。サングラスとカツラはマストで、あとは自由。


 外村くんはハート型のサングラスに、真っ黄色のアフロのカツラをかぶって、ふざけたポーズを決めていた。どんなにイケメンであっても、絶妙にダサい。


 似合うといえばディスってる風になりかねないから、私は曖昧に笑って拍手をすることでごまかした。


 本当は明日も参加したいだろうに、私たちのカンパでは、着ぐるみ二体の一日レンタルが限界だったのである。


 最後に口紅を塗って、変装は完了する。他の男子が買ったり借りたりしたものを見せてもらったが、赤や紫、茶色などの発色がよくどぎつい色で、仮装にぴったりの代物だった。


 外村くんが新品のリップを開けるのを見守る。


「お願いあるんやけど」

「なに?」


 自分のゴミの後始末をしてから、アフロ頭の彼に近づくと、口紅を渡された。コーラルピンクは、仮装のためというには、可愛らしすぎる。


「鏡忘れてもうたから、塗ってくれん?」

「え」


 鏡なら持ってる……と言いかけて、身だしなみ用品などが入っている、彼曰くのドラえもんのポケットたる私の鞄は、集合場所の教室に置きっぱなしになっていることを思い出した。取りに行く時間はない。


「なぁ、早く」


 柔らかく、けれど有無を言わさぬ強制力を持った言い方でせかされて、慌てて蓋を開けて、ルージュを繰り出した。


 その様子を見届けて、外村くんは目を閉じた。うっすらと開いた口は、まるでキスを待っているかのよう。


 思わず、呼吸を止めてしまう。再び細く吐き出す息の音が、はっきりと聞こえるほど、地学準備室は静かだ。


「田川さん」


 催促され、私は震える指先をどうにかコントロールして、コーラルピンクを塗していく。


「で、きた……よ」

「ん。ありがとさん」


 黒いレンズの向こうで、目が細められた。彼の唇が柔い珊瑚色に染まり、パールが光っている。倒錯的で、ドキドキする。その口から出てくるのが、いつも通りの関西弁であることに、安心した。あんなに怖がっていたのに、安堵するのもおかしな話である。


 準備万端の外村くんは、立ち上がり、満足げに背伸びをした。


「ほんま、ありがとう。文化祭出れて、本当によかったわ」

「ううん……私がやりたくてやったことだし。それに」


 これまで、誰かの言うことを聞き、愚直に動くだけだった私が、初めて中心となった。


 高揚感は、外村くんのコンサートを客席から見ていたときに近い。けれど、小さな、そして確かな達成感は、見ているだけでは味わえなかった感覚だ。


 傍観し、言われるがままになるのではなく、自分が動き、人を動かすこと。


 夢の端っこを掴めた気がした。


「それに?」


 聞き返してくれた外村くんに、私は微笑み返すだけ。言葉にするには、まだ淡すぎる決意だったし、彼よりも先に、伝えなければならない人がいるから。


 私の顔に、前向きな拒絶を感じ取ったのだろう。外村くんは、気にした様子もなく、「そっか」と言った。


「そろそろ時間や。みんな待っとるな」

「あ、待って。リップ」


 まだ私の手の中にある口紅を返そうとした。


「ええよ。あげる」

「え?」


 去り際に、彼は振り向いた。


「田川さんに似合いそうな色やから、それにしたん。もらっといて?」


 一瞬、何を言われたのか理解できずに固まっている隙に、外村くんは出て行ってしまった。我に返ったときには、すでに姿形もなくなっていて。


「私に似合う色って……」


 ドラッグストアで買える、何の変哲もない安価な口紅。匂いつきのリップクリームがせいぜいの私にとって、初めて手に入れるコスメになる。


 蓋を開けて、くるくると回す。出てきた紅は、さっき外村くんに塗ったから、少しだけ削れている。


 そっと唇に近づけてみる。触れるか触れないか、ギリギリのところで止める。


 私に似合う?


 男の子からの初めてのプレゼントが、好きな人からだという幸運を噛みしめつつも、やっぱり疑問が頭から離れない。


 何とも思っていない女子相手に、化粧品をプレゼントしたりなんて、する?


 しかも店頭で、色を見ながらああでもないこうでもない、悩んだってことでしょう?


 ねえ、外村くん。いったい、何を考えているの?




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