第23話 文化祭で夢を見る①

 あっという間に文化祭前日になった。


 先生が明日の注意事項を説明しているけれど、生徒はそわそわして、あんまり聞いていない。こういうときに注意をするタイプの委員長ですら、「配布されたプリントがあるんだから、それでいいだろ」という顔をしている。


 生田先生がチラチラとこちらを窺ってくるけれど、私は何も気づかなかったことにして、背筋をピンと伸ばし、話が終わるのを待つ。


「……それじゃあみんな、明日から二日間、節度を守って楽しみましょう」


 話が終わったと判断した日直が、食い気味に「きりーつ」と号令をかけた。


「礼!」


 不揃いな「さようなら」を背に浴びて、先生はしずしずと職員室へ戻っていく。


 なんかちょっぴり可哀想かな。高校生活最後の文化祭なんて、担任教師を取り囲んで盛り上がるもの。それが取って変わられて、面白くないのかもしれない。


 そのままバラバラに帰るかと思いきや、みんな一斉に着席した。そして私は、クラスメイトたちの視線を一心に受けている。


「私?」


 自分を指さすと、文化祭実行委員が教卓を親指で示して促した。みんなの前に出て、ぐるっと見回すと、彼らの目がきらきらと輝いている。


 舞台に立つ外村くんは、こんな感じなのかな。


 期待の籠もった熱視線を送られると、プレッシャーも感じるけれど、心の内からやる気や元気がみなぎってくる。


 ごほん、と咳払いをする。笑顔のクラスメイトたちに見守られ、私は声を張り上げた。


「皆さん! いよいよ明日は文化祭本番です! このクラス全員で、高校生活の一番の思い出にしましょう!」


 うおお、という雄叫び。盛り上げるために指笛を吹く男子。割れんばかりの拍手に、同じ並びにある教室から出てきた先生が、何事かと覗き窓から顔を出した。


 他のクラスはやっぱり、受験もあってあまり熱心ではない。だからこそ、これだけ熱気に満ちているうちのクラスが異様に映る。


「それじゃ、今日はみんな、早めに帰って明日に備えてください! 夜遅くまで残るのはナシ! 不安な人は、友達にモーニングコール頼んで寝坊しないようにね」

「わかってるって」


 解散を告げて、一目散に教室を出て行くのは、クラス一番のガリ勉男子。他意があるわけではなく、彼は朝が弱いため、真っ先にモーニングコールを金子くんにお願いしていた。


「んじゃ、田川さん。明日もよろしくぅ」

「うん。また明日ね」

「あなたが寝坊するんじゃないわよ」


 と、ギャルの友人たちと連れ立って出て行く綿貫さんは、私に忠告をしていく。


「そこまで子どもじゃないよ」


 コンサートのときだって、むしろ早起きしたくらいだ。明日は五時起き確定である。


 受験で分断されていたクラスが、ここにきてひとつになっていることに、ワクワクした。


「田川さん」


 その中心人物が、最後に声をかけてくる。


「外村くん」


 ドラマの撮影以外にも忙しい外村くんは、明日の昼過ぎまでの自由時間を確保している。マネージャーさんに無理を言って、車で迎えに来てもらう手はずもととのえていた。


 私は彼に、頭を下げる。


「ありがとう。外村くんが参加を決めてくれたから、すごくいい雰囲気になったよ」


 情熱は、伝播する。最初は私の胸に宿り、それからクラス全員に行き渡った想いが、明日ようやく爆発するのだ。


 外村くんは突然の私からのお礼に、面食らっていた。瞬きを何度か繰り返した後に、「ちゃうよ」と、首を横に振る。


「うちのクラスまとめとるんは、田川さんやろ。こっちこそ、ありがとう」


 そうかな?


 私は結局、外村くんと一緒に文化祭を楽しみたいという、自分の欲望だけで動いて周りを巻き込んだだけ。


 もう少しだけ話していたかったけれど、タイミング悪く、外村くんのスマートフォンが着信を告げた。


「うわ。もう行かんと」


 メッセージは仕事関係だろう。じゃあ、と手を振る彼の後ろ姿に、私は大きな声で念を押した。


「明日の集合時間はー?」

「七時半! 六時半に金ちゃんに電話してもらう!」


 即答に、私はにっこりと微笑んだ。


 最初に時間を伝えたときには、「なんでそんな早いん……」と、げっそりしていた。ロケ仕事でもないのに、早起きしたくない……という、本音が顔に出ていた。


 それでも、彼にはこの時間に来てもらわなきゃいけなかった。




「大地、駅についたって」


 金子くんがスマホを振りながら、教えてくれた。私は外村くんと直接連絡を取ることができるのだが、公的には金子くんを窓口にしておかないと、露見したらまずい。


 もしかしたら私のスマホにもメッセージが届いているかもしれないが、確認することなく、金子くんに頷いて、私は外村くんを迎えに行った。


 十月も半ばを過ぎて、ようやく冬服がちょうどいい季節になってきた。早朝は肌寒いくらいで、やってきた外村くんは、学ランの襟元をしっかりと留めていた。


「おはようさん」


 途中からあくび混じりになったのを見られたことを恥じて、口を閉じる。突っ込むのは無粋で、私は微笑んで、「それじゃあ、早速行こっか」と、彼を促した。


「行くって、どこに?」


 てっきりまっすぐ教室に向かうと思っていた彼は、私が逆方向に進んだので、首を傾げた。


「ついてくれば、わかるよ」


 それほど広い校舎ではない。行き先が第一体育館だとピンと来た外村くんだったが、理由までは、見当がつかない様子だった。


 文化祭一日目、開場前の早朝。体育館ステージでは二日目に行われる演目のリハーサルを行う予定になっていた。その時間の一部を、お願いして空けてもらった。交渉を手伝ってくれたのは、生徒会と繋がりのある委員長だ。


 基本的におとなしい生徒が揃ったうちの高校である。イレギュラーな事態は、先生たちからも、生徒会の面々からも歓迎されない。


 しかし、想定される質問や駆け引きの材料など、あらゆる準備をして立ち向かった結果、割とあっさりと許可が下りた。ステージ企画が例年より少ないことも勝因だったが、一番は書記を務める二年生の女の子が、外村くんのファンだったことだ。


 外村くんが文化祭に参加できないということは、学校中の噂で持ちきりになっていて、私たちの話を聞いて、すぐに味方になってくれた。


『その代わり、私も傍で見てていいですか? 手伝います!』


 キラキラした目で見つめられて、つい可愛いな、と思ってしまった。そんな彼女には、今日の照明係を務めてもらうことになっている。


「さあ、どうぞ」


 扉を開ける。広い体育館、真正面の舞台上には、クラス全員が勢揃いしている。私に親指を立てる金子くん。いい感じに身体が暖まっているのは、一目瞭然だった。


 驚いて固まる外村くんの背中を押して、並んだパイプ椅子の一番前のど真ん中に座らせてから、私は壇上に向かった。


 三列になって、男女で別れている。ソプラノ、アルト、テノール。ピアノを弾くのは、教育大学への推薦が決まっている女子だ。幼稚園の先生になりたくて、ピアノを猛練習しているから、ぴったりの役割だ。


 そして私は。


 彼らの前にある台座に乗る。たったひとりの観客に向けて、一礼をする。頭のてっぺんに、ライトの熱を感じた。


 顔を上げたときに目に入った外村くんの表情は、ぽかんと間の抜けた、なんとも言えない顔だった。


 くすりと笑ってから、気持ちを引き締めて、クラスメイトたちに向き直る。譜面台に載せた楽譜はふたつ。一曲目の楽譜を開いて、私がスッと手を挙げて構えると、みんなは肩幅に足を開き、スタンバイOK。 


 小さくカウントして流れ出した前奏は、外村くんの先輩にあたるSTORMの大ヒット曲だった。合唱曲アレンジの譜面が出ていたので、そのまま使った。


 外村くんの感情の動きはわからない。でも、きっと喜んでくれている。目の前で大きな口を開けて歌っている友人たちの顔が、明るいから。


 一曲目が終わって、パチパチと拍手の音が響いた。外村くんと、それから手伝ってくれた後輩。たったふたりの観客だけど、大きく聞こえる。彼らが一生懸命、私たちに想いを伝えようとしているからだ。


 でもその拍手、もう一曲のために取っておいてほしい。


 私はぐるりと見渡して、再び手を挙げた。


 まさか二曲目をするとは思っていなかったのだろう。金子くんと目が合うと、にやりと笑って顎でしゃくって合図してくれた。


 あいつ、めっちゃ驚いてるぜ、と。


 ソプラノの端に立つ綿貫さんは、大きく頷いた。


 絶対に成功させるわよ、と。


 伴奏の子に合図して、流れ出すメロディー。


「これは……」


 小さな呟きも、それが外村くんの言葉ならば、私は聞き逃さない。


 二曲目は、あの日もらった彼の歌だった。ひとつの旋律だった曲を、二声のシンプルな合唱曲に編曲してもらったのだ。


 みんなに見せたときの反応を思い出す。夢中になって読み込んで、楽譜が読める人は足でリズムを刻み、小さな声で口ずさんでいた。


『いい曲……』


 誰かが呟いたのを皮切りに、外村くんの才能を絶賛し、熱狂するクラスメイトたち。


 このとき初めて、外村くんは本当に、仲間としてみんなに受け入れられたのだと思う。


 私たちは、なんだかんだと言って、彼のことを芸能人とひとくくりにして扱っていた。外村くん自身、アイドルである自分と周りとの間に、線を引いていたこともある。


 彼の作った曲は、私たちに共通の悩みを綴っていた。私が外村くんの弾き語りを聞いたときに抱いた、「これは私の曲だ」という感想は、クラスのほぼ全員に共通した。


 外村くんもまた、同じ悩みを抱える青年に過ぎないのだと、瞬時に理解した。


 見えない壁。小さな石ころ。向かい風が強く吹き、誰が敵かもわからない日々。夢なんて見つからない。でも、ここにとどまることはできない。


 そんなときには、夜空を見上げて。一番星は北極星じゃない。それでも僕らを導く、淡い、儚い輝きなんだ――。


 最後の長いビブラート、盛り上げて盛り上げて、そして止める。


 達成感で胸がいっぱいになるが、外村くんは、はたしてどんな顔をしているのか。好きにしろと言われたが、勝手に編曲をしていいとは言っていない、と怒られるかもしれない。


 指揮台を下りて、礼をしようとした私の目に映ったのは、外村くんがはらはらと、瞬きもせずに泣いている姿だった。


「外村くん!?」


 慌てた声に、彼は初めて、自分の涙に気がついたようだった。頬に触れ、「あれ? なんで俺……」と、呆然としている。


 私はステージを下りて、彼の元へ走った。


「あの。もらった楽譜、見せたらみんないい曲だって言ってくれたから……ボツになったって言ってたけど、私たちはみんな、この曲が好きだって伝えたくて、勝手に合唱曲にしちゃったんだけど、嫌だった?」


 外村くんは首を横に振り、涙を拭って笑った。全身で「嬉しい!」を表現するように立ち上がり、私の手をぎゅっと握る。


「ありがとう。俺、自分の作った曲がこんなんなると思わんかったから、めっちゃ嬉しい!」

「外村くん……」


 彼は私から手を離し、ステージの上のクラスメイト全員に、頭を下げる。


「ありがとう! みんな!」


 声を張り上げると、クラスメイトは全員、笑顔だった。


「こっちこそ、いい曲作ってくれて、ありがとう!」

「いつかテレビでも、この曲聴きたい!」


 体育館の扉の向こう側には、生徒会ステージリハにやってきた部活の面々が、ちらほらと姿を現し始めている。書記の子は、「あと一曲なら」と、指を立てた。


 私は外村くんをステージに上げた。


「もう一回、外村くんも歌おう!」


 主旋律を歌い上げる彼の声は、やっぱり素人の私たちとは一線を画していて、一人でも負けずに目立っていた。マイクを通さない歌声に、私は指揮をしながら、涙腺が刺激される。


 みんなの笑顔は、外村くんのコンサートと重なった。楽しい、嬉しい。そんなポジティブな感情が、ぐわっと押し寄せてくる。


 アイドルじゃなくても、私は、私たちは、それぞれのステージで輝いて生きていける。そうにちがいない。


「ありがとう」


 歌が終わって、複数の子からお礼を言われる。


 外村くんからならわかるけれど、どうしてみんなに感謝されるのか理解できずにいると、「この三年間で、一番楽しい!」「みんなで文化祭に出れるのは、田川さんのおかげだから」と、私はそういうキャラじゃないのに、ぎゅっとハグしてくる。


 戸惑いながら綿貫さんに目を向けると、うんうんと頷いている。私はおずおずと、抱きついてくる同級生の背中に、腕を回すのだった。



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