第22話 彼がアイドルをする理由②

「それで、なんで私がひとりで、あなたの見送りに来なきゃいけないの?」


 土曜日の早朝、スマートフォンの着信で起こされた。電話の主の名前を見て、寝ぼけ眼もすぐさま覚醒する。


 外村くんからの着信だ。


 ドキドキしながら出たところ、「おー。俺俺。大地じゃのうて悪かったな」と、悪びれもしないのんきな声が私の機嫌を急降下させた。


 昨日は外村くんの家に泊まると言っていたが、まさか彼のスマホを勝手に使って連絡してくるとは。


 土曜の駅は、人でごった返していた。長身で派手な金髪の男は、その中でもよく目立った。出会い頭に開口一番、憎まれ口を叩いた私に、内野は何の反応も示さなかった。


 初対面のときよりも、ちょっと軟化した態度に、拍子抜けする。それどころか彼は、新幹線ホームへの入場券を買ってくれた。財布を取り出そうとする私に、「かまへんかまへん」と、大阪のおばちゃんみたいに、手を振った。


 コーラ一杯のお金を取ったくせに、ずいぶんと短期間で成長したなあ。


 新幹線の時間までは、かなり余裕がある。待合室の椅子に座らされて、一個離れた席に腰を下ろした。


 肘を膝について手を組んで、彼は顎を載せた。こちらを見ないけれど、言葉は私に向かって吐き出される。


「その……あんたのおかげや。ありがとう」


 彼の横顔を、まじまじと見つめてしまう。校門の前で捕まったときには、鬼か悪魔かと思ったのに、今は普通の男の子の顔だ。


 外村くんもだけど、芸能人だからって、全然特別じゃない。テレビや舞台というフィルターを通さなければ、私たちは同世代の若者だ。強がったり、弱音を吐くことだってある。


「俺、大地に嫉妬してたんや」

「嫉妬?」


 内野は「せや」と相づちを打ち、外村くんがいかに、関西で圧倒的な人気を誇っていたのかを語った。


 そしてそれは、観客だけじゃない。同じステージに立っていた仲間たちもまた、外村くんに魅了されていた。自分だけじゃなく、周りを輝かせる外村くんに、憧れていた。


「そんなあいつのシンメになれて、誇らしかった。同時にプレッシャーも感じとった。こいつん隣で、俺は踏ん張れるんかって、毎回毎回、冷や汗もんやった」


 だから最初、彼が東京に移籍したと聞いたときは、少し安心する気持ちもあったかもしれない。これでもう、悩まされることはない。


 けれどすぐに、外村くん抜きの芸能生活に、張り合いがなくなった。元々熱心にレッスンに参加するタイプではなかったが、外村くんという監視係兼ライバルがいたからこそ、なんとか頑張ることができていた。ひとりになってしまったら、内野はすべてのやる気をなくしてしまった。


「俺の悪い噂ばっかり、聞いとったやろ?」


 否定できない私に、内野は力なく笑った。


 綿貫さんから聞いていた内野海里という人物は、素行があまりよろしくなかった。それこそ、彼女が心から憎む匂わせ女たちと会って遊んだりしているタイプだった。


「それもこれも、ぜーんぶ、大地がおらんくなって何もかもがおもろなくなったからや」


 大きく腕を振り上げて、背伸びをした。


「大地のせいにしとったけど、ちゃうかった。全部全部、俺が弱かっただけや」

「内野、くん」


 初めて名前、呼んだやん。


 へらりと笑ってから、彼は自分の拳を見つめる。その目には、決意の色が見えた。外村くんと同じ、アイドルになるという目標を見据え、揺るがない瞳。


「俺が甘ちゃんやった。あいつは、俺の世話係やない。特別なライバルや! ぜってー負けへん!」


 シンメではないとは言わなかった内野に、私は笑った。


「……それは、私じゃなくって本人に言ってあげた方がいいと思うけどな」


 彼越しに、駆けてくる姿が映っていた。


「人と会うって、田川さんかい!」


 地団駄を踏む寸前で思いとどまったらしい。本気で怒っているらしく、怖い顔をしている。


 あわあわする私をよそに、内野はにやりと笑った。そして、一個座席を挟んだ私に手を伸ばすと、ぐっと肩を引き寄せた。


「わ、わわ!」


 ち、近い! なんだかいい匂いがするし!


 別になんとも思っていない。アイドルとしても、もちろん異性としても。それでも、ふわっと香水のいい香りが至近距離から漂ってくれば、ドキドキしてしまうのが人間というもの。


 真っ赤になって固まっている私をよそに、内野は外村くんへ挑発の言葉を吐いた。


「嫉妬するくらいなら、男らしくせぇよ」


 嫉妬? なに? どういうこと? 誰が誰に嫉妬してるって? さっきの話の続き?


「あの、離して……」


 牙をむく外村くんと、優越感に笑う内野の間に挟まれて、弱々しくお願いをすることしかできない。ハッとした外村くんが、ようやく引き剥がしてくれて、人心地つく。


 内野は笑ったあとに、立ち上がった。


「んじゃ、俺そろそろ時間やから」


 あとはそっちで、話つけぇ。


 ひらひらと振り返らずにに手を振り、唖然とする私たちを置いて、彼は待合室を出て行った。残された私は、開いた口が塞がらない。我に返るのは、外村くんの方が早かった。


「田川さん! 大丈夫やった? 何もされてへん?」

「う、うん。びっくりしちゃった……」


 内野の触れていた肩、それから髪に外村くんが触れる。上書きされているみたい。内野に抱き寄せられたときよりも、胸がドキドキと高鳴った。


「そそそ、外村くん」

「ん?」


 すんすんと鼻をひくつかせ、内野の残り香までチェックする外村くんは、頭のネジがどこかへ飛んでしまったのかもしれない。


「は、恥ずかしいから!」


 ようやくやめてくれた彼は、私の真横の席にどっかりと腰を下ろした。


 こんなところを写真で撮られたら、その上、前回SNSに投稿された写真と同一人物だと知られたら、本当に、私の素性まで暴かれて、炎上してしまうかもしれない。


 幸い、土曜の駅に集う人たちは、自分の目的に忙しく、誰もこちらに注目していなかった。


 外村くんは、私の目を見た。


「田川さん。ほんま、ありがとう」


 今日は朝からイケメンに、よくお礼を言われる日だ。


 思わずクスリと笑うと、顔にはてなマークを貼りつけて、外村くんは首を傾げる。


「あの人も、私にお礼を言いたかっただけなんだって」

「海里め……」


 憎々しげな物言いの割に、表情は穏やかだった。元相棒――いいや、彼らにとってはお互いに、今でも相方なのだ――に自分の気持ちを伝えて、すっきりした。諦めでもなく、我慢しているのでもない。自然な顔に、私の目は引き寄せられる。


「田川さんがおったから、海里ともちゃんと話そうって気になった。応援してくれる人に、いつまでも心配させてたらいかんよな」


 昨日の今日で、ふたりとも一回りも二回りも大きく成長したようだった。ますます私とは遠くなってしまうことに、息がちょっと浅くなった。


 でも、そんなの表に出したら、彼の迷惑になる。


「田川さんは、俺らの救世主やな」


 なんて、ドラマでもなければ一生耳にしないセリフを恥ずかしげもなく言えるのが、彼らしい。


 そして外村くんは、私に微笑みを向ける。


 転校初日、私が人混みに紛れて目撃したのと同じ顔だ。ふわりと微笑んだそこから、暖かな感情が次々に弾け、広がって空気中に混じりゆく。私だけに向けられた笑顔に、言葉にできない「好き」の気持ちがせり上がってきて、苦しい。


「救世主ついでに」


 声が掠れていないだろうか。


 手は震えていないだろうか。


 私はちゃんと、笑えているだろうか。


「外村くん。文化祭、一緒に出ようよ。やれるだけの準備はしてきたし、先生たちにも許可はもらってる。あとは本当に、あなたの意志だけなの」

「俺は……」


 逡巡するのは、一般生徒の安全を危惧しているだけではない。余命宣告を受けている姉の手前、自分だけが楽しんでもいいのかと考えているのだろう。


「外村くんと参加できる、最初で最後の学校行事だから。お願い。私が、あなたと一緒にいたいの!」


 告白まがいのことを言った。そう自覚したのはすべて言い切って、肩で息をし始めてからだった。


 ああ、なんて恥ずかしいことを。穴があったら入りたいくらいだ。


「あの、私、じゃなくて、その、私たち、が……」


 しどろもどろになって俯く私の頭に、優しく触れる手。もう二度と、こんな風に触れてくれないと思っていた。


 驚いて顔を上げると、外村くんは微笑んでいる。


「わかった。最後にとびっきりの思い出作って、土産話にするわ」

「本当?」

「俺が嘘つくように見えるんか?」


 さあ、どうだろう。演技の勉強もしているんだから、上手そう。


 からかうようにそんなことを言えば、なぜか外村くんはしょんぼりした顔をして、盛大に肩を落としたのだった。



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