第21話 彼がアイドルをする理由①
『もうバス乗った?』
短い文面を、ゆっくりと指でなぞって味わった。
まさか、連絡先を交換することになるなんて。
両手でスマホを持ち、感慨にふけっていると、さらに震えてメッセージの着信があった。感動している場合じゃない。返信しないと。
『乗ったよ。終点でいいんだよね?』
学校に行くフリをして、そのまま駅からバスに乗った。「駅に着いたら具合悪くなって」という私からの連絡を、生田先生は不審がらずに受けてくれた。学校側と軋轢があるとはいえ、私が嘘なんてつくはずがないと、信用してくれている。騙しているのは心苦しいが、どうしても行かなければならなかった。
あのふたり、仲直り一歩手前までいったかと思いきや、全然だったもん……。
昨日の帰り道でのやりとりを思い出す。
内野が突っかかって外村くんが軽くいなす。逆に外村くんがムキになって詰め寄るも、内野がにやにやと取り合わない。最初はじゃれているのかと思っていたけれど、次第に険悪になり、外村くんが柄の悪い関西弁になっていくのを見て、慌てて止めた。
行く場所が場所だけに、今日もあんな風にやり合われたら大変だ。
もちろん、彼らがきちんと仲直りしていたとしても、私はついていくつもりだった。
外村くんの本心を、知りたい。これまで隠してきたことを、言わなきゃ進めないと決意した彼の気持ちを受け止めたい。
バスに揺られる道中、スマホが何度か震えた。
現地集合とはいえ、不測の事態が起きることは十分考えられた。私と連絡を取る手段がないと、不便だという話になった。IDの交換を躊躇する外村くんに代わり、内野が手を挙げた。
『俺は気にしとらんから、交換しようや』
いや、私が嫌ですけど。
お断りしようとした私より先に、外村くんが、「海里はあかん! 田川さん! 俺と交換しよ!」と、スマホを出した。あまりの勢いに、内野がドン引きしていた。
ひょんなことから手に入れた、外村くんの連絡先。雑談をするためのものじゃないから、既読がついただけで、それ以上のメッセージはない。
着信したのは、綿貫さんからのメッセージだった。
『今日休みなの? 大丈夫?』
朝礼が終わり、一時間目の授業までの合間の時間に送ってきたメッセージに、心が痛む。
『大丈夫。月曜には行けるよ』
彼女と金子くんには、私と一緒に外村くんシフトで動いてもらっていた。今日は、通常の文化祭準備を手伝ってほしいとお願いする。ついでに、思い出した。
『そういえば、例のあれ、できたんだよね? どうだった?』
『サイコーよ! 今日の放課後、みんなに聞いてもらうね』
『じゃあ、放課後だけちょっと顔だそうかなあ』
私も聞きたいし、クラス全員にお願いするなら、私が頭を下げるのが筋だと思う。
準備にだけ参加しようとする私の言葉に、綿貫さんは「?」というスタンプを送ってくる。
やばい。ずる休みがバレちゃう。
私はそれ以上の返信を控えた。スタンプが連打されているのは感じるが、無視。
ごめん、綿貫さん。必ず外村くんを文化祭に参加させるから、それで許して。
そして三十分後。
『次は、大学病院前。次は、大学病院前。終点です』
アナウンスに、私は背筋を正す。
外村くんが指定した待ち合わせ場所に、辿り着いたのだ。
病院には、あまり縁がない。あまりに立派な建物に、なんとなく怖気づく。
制服姿のままで立っているのは目立つ。じろじろ見られているような気がして背中を丸めていると、思いっきり後ろから叩かれた。
「っ!」
「おはようさん、ゆりのん」
女子に対する行為とは思えない馬鹿力に、振り返って「そんな風に呼ばないで!」と、文句を言うこともできない。
いつまで経っても「おはよう」の返事がないことに、内野は多少いらだっている。つーん、とそっぽを向いた私の耳に、至近距離から大声で文句を言おうとしたところで、「何しとん」と、冷たい声が投げかけられる。
「だ、大地……」
「海里。お前、昨日言ったこと忘れたんか?」
ここまで怒りを露わにする外村くんは、珍しい。
「昨日って?」
私と別れた後で、また何か喧嘩をしたのだろうか。
気になって尋ねると、ぴたりと外村くんが動きを止めた。ぎこちない動きで私を振り返ると、「……いや、田川さんとは関係あらへんから。な?」と、笑ってごまかした。
なんか変なの。内野は怒られたことなど忘れたように、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべているし。絶対何かあったに違いない。
私のじとっとした目を、外村くんは受け流した。
「俺らんことはどうでもええんや。それより……」
急に真剣な面持ちになった彼につられて、病院の出入り口を見上げる。
好き好んで訪れる場所じゃない。院内は独特の雰囲気だ。塵ひとつ落ちていない廊下は、ピカピカに磨かれている。汚れた靴で歩いたそばから、モップで磨かれて形跡が消されていくようだ。
近所の個人病院とは違う。清潔そのものの匂いしかしない。ナースステーションにも病室にも、花が飾られているのに、少しも香りは漂ってこなかった。
当たり前だけど、外では軽口を叩き合っていたふたりも、沈黙している。足取りも心なしか重く、後ろをついていく私も、外村くんのペースに合わせ、自然と歩みが遅くなる。
今日の目的地が病院だと聞かされたとき、まず疑ったのは、外村くん自身が何らかの病気に冒されているのではないか、ということだった。焦って誤字だらけのメッセージを何度も送りつけてしまったが、返答は「俺は元気や」との素っ気ない一言のみ。
通い慣れているらしく、看護師や入院患者には、顔見知りが多い。
特におばあちゃんたちからは気に入られているようで、「大ちゃん、学校は上手くやってるのかい?」と、気さくに声をかけてくる。
「まあ、ぼちぼちな。おばちゃんらも元気?」
「元気じゃないから入院してるのよ、やぁねえ」
談話室には明るい笑顔が弾けている。手を振って彼女たちの前を通過した外村くんは、次第にまた、無表情に変化していく。
そして、とある病室の前で立ち止まった。
部屋番号のプレートのみがついた無機質な扉を、外村くんは一度深呼吸して、開けた。ことさらに明るい声を作って呼びかける。
「姉ちゃん。起きとる?」
若い女の人が、ベッドに寝ていた。ゆっくりと身体を起こそうとする彼女に、外村くんはそっと近づいて、補助をした。
「ああ、ありがとう、大地」
しっかりとした声だった。にこやかに礼を言った後で、彼女は私たちの存在に気がついた。目が合って、軽く会釈する。さすがの内野も、借りてきた猫のようになっている。
「友達?」
「ああ、うん。クラスメイトの田川さんと、あと大阪時代のツレや」
「俺んこともきっちり紹介せんかい!」
大阪人らしいノリが炸裂し、内野が思わずツッコミを入れた。彼のシャツの裾を引くと、何もわかっていない様子で、「なんやねん!」と、牙をむく。
「ここ、病院なんだけど」
「あ……」
しまった、という顔をする。しゅんとして「ごめんなさい」をする仕草は子どもっぽい。
彼女は気にした風もなく、カラカラと声を上げて笑った。元気そうに見えるけれど、やっぱり顔色は青白い。
この人が、外村くんのお姉さん。
まじまじと観察するのも失礼で、私は彼女の目ではなく、手元を見た。爪は淡い桜色に塗られていて、殺風景な白い病室の中で、そこだけパッと華やいでいる。
いつだったかの帰り道、家族の話をしたことがあった。楽しそうにしていた彼が、自分の姉の話になると、途端に表情を変えたことを思い出す。
彼女を少し見ただけで、わかる。これは一時的な入院ではない。長く病院にいることで染みついた空気が、全身から伝わってくる。
だから、あんなに切なそうな顔をして、姉の存在だけをほのめかしたのだ。
「田川由梨乃です、初めまして。外村……大地くんに、お世話になっています」
「やぁだ。大地がお世話されてる側やろ」
母親と同じ評価を下す彼女に、思わず笑ってしまった。この姉弟は、どちらも母親似らしく、おおらかな表情変化が特徴的だ。
「そっちは海里くんやろ? DVDで見たことあるわ。実物は断然、かっこええなあ」
「っす」
褒められて嬉しいのに、ぶっきらぼうな態度を取っている。私には、ぐいぐい来たのに、年上のお姉さん相手には、多少可愛いところもあるものだ。
お姉さんは「大地の姉の、
「せや、大地。あんた、売店行ってプリンやら飲み物やら、買うてきてくれん? この部屋何もないから、お客さんのもてなしもできんわ」
「え? や、俺は……」
私たちを残していくことに、外村くんは困惑した。しかし、「買うてきて」と、強く言われて、渋々彼は病室を出て行く。
去り際に、私には気遣わしげな、内野には「変なことすんなよ」と牽制する視線を送ってきた。
売店は地下にある。美空さんはあれこれと注文をつけていたから、どんなに急いでも、一分やそこらでは帰ってこられない。
外村くんがいなくなったのを確認して、美空さんは「ちょっと、横になってもええ?」と、言った。気配りが足りなかった。私は慌てて、「どうぞ」と頷くと、ホッと彼女は息を吐き出した。
ベッドに横たわった彼女は、じっと私たちを見上げる。
「ごめんなあ、海里くん」
「え?」
唐突な謝罪に、内野は虚を突かれた。
「あの子、君になんも言わんといなくなったんやろ? ウチは止めたんや。せっかく大阪で人気あるんやから、こっちで頑張りやって。高校生やもん。ばあちゃんだっておるし、独り暮らしだってなんとかなるやろって言うたんだけどね」
外村くんが東京へ引っ越してきたのは、美空さんの転院に合わせて、父親が東京への異動願いを出したからだった。
彼女の表情は豊かで、悲壮感はないものの、「どのくらい悪いんですか?」なんて、デリカシーのないことは聞けない。
ほんまシスコンで困るわぁ、と茶化すように言った彼女は、ふと真面目な顔になる。
外村くんが、そういう顔をするときは、すべての感情を手放そうとしている気がする。けれど、美空さんの場合は逆で、すべてを受け入れるものだ。諦めるのではなく、抱え込む。
それが外村くんの弱さであり、美空さんの強さだ。
「大地は優しい子や。せやけど、自分がどう思われるかってことには、無頓着なんや。優しいから、傷つく」
なんとなく、わかる気がした。
私は、コンサート会場で悪意をぶつけてきた二人組のことを思い出す。それから、彼の載った雑誌を、自分の自慢の道具としてしか扱わなかった同級生のことを。
直接でも間接でも、外村くんの芸能活動について貶したり、彼自身の価値を認めなかったりする言葉を、耳にすることは多い。
彼は全部受け流して、笑うのだ。心が磨り減り、傷が出来て血を流そうとも、気にしていないフリで笑う。
それが、彼の追求する、アイドルのあり方だから。
「由梨乃ちゃん」
「は、い」
「ありがとうね。大地、あなたの名前は出さへんけど、ずっと話しよったんよ」
何でも持ってる、ドラえもんみたいな子。コンサートに初めて遊びに来てくれた友達。自分の作った曲に、心から涙を流してくれた子。
美空さんの口から語られる、外村くんの私への形容は、全部事実ではあったけれど、過大評価も多分に含まれている。すべてがすべて、純粋な善意じゃない。多少の下心はある。
「ずっと、大地と仲良くしてあげてほしい」
私は、曖昧に頷くことしかできなかった。
ずっと、は無理だ。だって、卒業したらそれっきりだ。交換した連絡先だって、消さなければならない。
「私は……ずっと、外村くんのファン、ですから」
振り絞った言葉に、美空さんは微笑んだ。
「大地はいい子と友達になったんやな」
彼女の差し出した手を、私は取る。骨と皮だけの小指に、自身の小指を絡ませる。彼がアイドルである限り、ファンとして支えていくことを約束した。
コン、と軽いノックの音がして、外村くんが顔を出す。
「姉ちゃん。牛乳プリンなかったから、フツーのでええ?」
「ええよ。どうせウチが食べるんやないし」
「はぁ?」
美空さんは自分の分としてお茶だけ備え付けの小さな冷蔵庫に入れさせて、あとは持って帰って分けるように指示した。
「もう疲れたから寝るわ。大地も帰り。あと、ガッコはちゃんと行きや?」
「姉ちゃん」
「ほら……海里くんも由梨乃ちゃんも、大地のこと、よろしく」
話をしながら、うつらうつらし始めたお姉さんに、外村くんの表情が揺れた。
「わーったよ。行こか。海里、田川さん」
先導する彼の後を追い、私は最後に病室から出る。振り返って、
「あの……私、美空さんとも仲良くしたいです。また、お見舞い来にてもいいですか?」
と、投げかける。
寝返りをうち、横向きになってこちらを向いた美空さんは、微笑みを浮かべた。小さく頷いたのを見届けて、私は会釈をし、病室の扉を閉めた。
外村くんは無言で突き進み、談話室のソファに腰を下ろした。幸いなことに、先ほどまでとちがい、誰もいない。皆、リハビリや検査の時間なのだろう。
まるで彼自身が病人かのように、げっそりとした顔を両手で覆う。
私は内野と顔を見合わせる。聞きたいことは山ほどあるが、外村くんが話し始めるのを待つしかない。一分にも満たない沈黙の時間が、数分にも感じられる。
ぐるぐると悩んでいる様子だった彼が、重い口を開いた。肩に入っていた力が抜けていく。
「アイドルになりたかったんは、俺やない。姉ちゃんの方や」
ぽつりと話し始めた言葉に、息を飲む。
美空さんは、幼い頃から虚弱体質で、入退院を繰り返していた。
彼女が夢中になったのは、テレビの歌番組で歌い踊る、きらきらしたアイドルたちだった。
録画した番組を繰り返し再生し、見よう見まねで歌い、身体を揺らす。
将来は、〇〇ちゃんみたいな、アイドルになりたい!
自分の病状もわからないままに口にした将来の夢を、彼女の両親は、どんな気持ちで聞いていたのだろう。
成長していくうちに、容姿の問題ではなく、芸能人になるには人並み以上の体力が必要だということを知った彼女は、夢を捨てた。どころか、大好きだったアイドルのCDを聞くこともなくなってしまった。
「姉ちゃんの代わりに、俺が日本で一番のアイドルになったる! そう思って、小五のときに事務所に履歴書送ってん」
五つ年の離れた姉のことを、外村くんは慕っていた。
「俺、姉ちゃんが歌うの大好きやったんや」
虚弱体質を理由に、夢を諦めると決めた美空さんは、それでも時折、無意識のうちにメロディーを口ずさんだ。その声に耳を傾けてきた外村くんは、
「自分がアイドルになれば、きっと姉ちゃんはまた、テレビを見る。元気になってくれる」
そう思って、アイドルを志した。
「海里とふたり、大阪でメイン張ったやんか。あんとき、ようやくちゃんとほんまもんのアイドルになれたって思った。でも、違たんや」
大阪での人気のピーク、絶対に数年のうちにデビューできると確信したその矢先、去年の秋の初めのこと。
体調もよく、しばらくは通院のみで大丈夫だと太鼓判を押されたはずの美空さんが倒れ、救急車で運ばれた。
心臓が、もうもたない。限界を訴えている。
医師は良心に、余命を重々しく告げた。移植しか方法はない。適合する心臓が奇跡的に見つかっても、美空さんの体力が問題になる。
外村家の人々は、セカンドオピニオンを得て、東京へとやって来た。
心臓の権威と呼ばれる医師であれば、あるいは。
藁にもすがる思いで転院した。最初は母親だけが上京する予定だったけれど、父の会社で東京の新規事業立ち上げがあり、そのメンバーを募集しているという話があり、どうにか父親も上京できた。
それで、お前はどうする?
家族はみんな、外村くんがどれだけ努力をして、関西クルーでの地位を確立したのかを知っていた。だから、彼自身に選択を委ねた。
外村くんは、最後まで迷った。
「姉ちゃんが元気なうちに、俺がデビューするとこ見せたかった。せやから、社長や部門長に直談判したんや」
俺をすぐにデビューさせてほしい。どんな批判にさらされても構わない、姉に自分の晴れ舞台を見届けてほしい。
理由をすべて話したうえで、社長の判断はNOだった。大阪では人気があると言っても、いち地方だけの話だ。全国区のテレビ番組などにもまだ出たことがなかった外村くんを、特別扱いするわけにはいかない。事務所は慈善事業をやっているんじゃない。商売だ。
落胆する外村くんに、社長は条件を出した。
「東京へ来いって。一年以内になんや結果出したら、デビューさせたるって言われたんや」
彼は内野の顔を見上げた。情けない顔をして、けれど目の力は強くぎらついて、怖いほどだ。
社長の言葉はすなわち、大阪にいては決して早期でのデビューを望めないことを示していた。東京と大阪の研修生の間には、埋められない溝がある。仕事量も環境も。
その事実に、内野も気がついたようだった。若干青ざめた表情で、無言で外村くんを見つめている。
シンメとして、ふたりでのデビューを何年かかっても勝ち取るべきか。
姉の余命が一年弱と聞いて、彼は決意を固めた。
「俺は海里たちよりも、姉ちゃんを取った裏切りもんや」
何も言わなかったのは、関西クルーからのデビューは難しいという事実を突きつければ、仲間たちがひどく動揺すると思ったからだった。
実際、今初めて聞かされた内野の反応を見れば、明らかだった。最も実力がある中心メンバーである彼でさえ、これだ。他の後輩たちであれば、絶望してやめてしまう子もいるかもしれない。
「俺は、大阪のみんなが好きなんや。だから、がっかりさせて、その絆が、夢が壊れるんが怖かった。そんなら俺ひとりが悪者になって、その恨みで結束が強くなるんなら、それでええと思った」
「大地……」
呟きとともに、内野の拳に力が入った。
そして。
「ばっ……かじゃねぇの!」
溜めに溜めて、罵倒した。関西人は確か、バカって言われるのが嫌なんじゃなかっ
たか。嫌がる方の言葉を選んだあたり、彼の怒りの本気さが伝わってくる。
さすがに病院ということもあり、殴りかかることはなかった。内野は抑えた声量で、外村くんを責める。
「お前ひとりが悪者になったところで、そういう、なんや、ほんまにデビューできんのかいなって、変な空気は、みんなわかっとる! それでやめる奴は、勝手にやめたらええわ!」
「海里」
「お前に見捨てられたっちゅーことの方が、あいつらにはでかいんや! 俺がどんだけ……っ」
内野は声を詰まらせる。泣きたいのを我慢しているのだ。
「どんだけ……っ」
外村くんは、「ごめん」と柔らかく謝り、立ち上がって、彼の背を叩いた。その瞬間、涙腺が決壊した内野の肩を、ぐっと抱き寄せて、泣き顔を隠した。
視線を外して、私は窓に近づき、外を見やる。すっかり秋の色めいた日の光が差し込んでくる。
しばらく泣きじゃくっていた内野の声が、落ち着いてきたところで、外村くんが「田川さん」と、名前を呼んだ。
振り返ると、内野はソファに座り込んで顔を隠している。外村くんは、そんな彼の隣に立って、私をまっすぐ見つめてくる。
「フツーの高校生活を送りたかったんも、姉ちゃんのためや」
運動会や遠足、修学旅行。
健康な子どもならば楽しめた学校行事を、美空さんは欠席せざるをえなかった。彼女の友達は、院内学級に通っていた入院患者たちばかり。その中には、前向きな理由ではなく、途中でいなくなる子も数多くいた。
外村くんは、小学校のときから毎日、彼女に学校での話をしていた。つたない子どもの話を、美空さんは楽しそうに聞いていたという。
高校生活は、最後の青春だった。芸能コースのある特殊な環境ではなく、普通の高校を選んだのも、当たり前の学校生活を姉に追体験させてあげたいという気持ちからだ。
「せやけど、俺のわがままが、みんなに迷惑かけてるんやなって。先生たちに言われて初めて気づくん、情けないわ」
「迷惑なんかじゃないよ!」
思わず食い気味に言う。
迷惑だなんて、思ったことはない。なんでノウハウも何もないところに来たのか、疑問に思うことはあっても、同じクラスで過ごせる幸運に、感謝することしかなかった。
「私は外村くんと学校生活が送れて嬉しいし、文化祭だって、一緒に楽しみたい! わがままなのは、私! 外村くんだってうちの学校の生徒なんだから、学校行事に出る権利はあるし、っていうか、出席するのが義務でしょ」
もっと早くに出会えていたならよかった。一日一日、彼と過ごせる日々が減っていくことに、怯えている。
タイムリミットまでに、あといくつ、思い出を作ることができるのか。
「外村くん、言ってたでしょう。最初から本気でアイドル目指したわけじゃないって。でもいつの間にか、自分の夢になってたって」
母親と揉めた私を慰めるために、彼が少しだけ自分のことを話してくれたことを思い出す。
歌って踊れる、日本一のアイドル。そしてアイドルとは矛盾する、普通の高校生としての生活。
「アイドルになりたいって夢だけじゃない。普通の高校生活だって、外村くんが本当にやりたいことでしょう? なら、頼ってよ。私や綿貫さん、金子くん、クラスのみんなを。ねぇ、友達でしょう?」
一息で言うと、呼吸が乱れて咳き込んでしまった。外村くんは慌てて、お茶のペットボトルの蓋を開けて渡してくれた。お礼を言うのもままならず、私は口を湿らせる。
外村くんは、すぐには返事をしなかった。
少し、考えさせてほしい。
そう言ったきり黙ってしまった彼に、私は不安を抱えたまま、その日一日を過ごした。
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