第20話 招かれざるシンメ②

 すぐに、とはいうものの、撮影場所が結構離れていたようで、外村くんがやってくるには、それから一時間余りを要した。


 さすがに帰宅が遅くなりすぎるため、私は家に連絡をした。


 千里子の受験対策に付き合うために、帰るのが遅くなる、と。母は何か言いたそうだったけれど、追及される前に切った。もちろん、千里子には事前に根回し済みである。


『え? なに? 外村となんかあった?』


 鋭いツッコミには沈黙を貫いた。勝手に肯定と捉えた千里子が、追撃のスタンプを連打してくるが、ひとまずスルーだ。


 さっきのセットじゃ足りなかったのか、内野は再び席を立ち、アップルパイとドリンクを追加した。それなのに、ちょっと冷えてしなびた私のポテトまでつまんでいくんだから、アイドルのくせに食い意地張りすぎ。


 非難の目を向ける私に、悪びれもせず、見せびらかすようにポテトを食べたそのとき、


「海里!」


 店じゅうに大声が響き渡った。


 この時間だから、部活後に家まで保たない生徒たちで、店の中はいっぱいだ。当然、大多数の生徒たちは外村くんの顔を見知っている。


 さっきまでとは違う、一斉に店内の一角を見てざわついている様子を、外村くんは気にとめた様子はないし、内野海里もまた、同じくだった。


 そういえばふたりとも、見られるのが仕事だ。間に挟まれて小さくなるのは、一般人の私だけだった。


「お前、田川さんになんやひどいことしとらんやろな!?」

「するわけないやろ、こんなちんちくりん」

「ち……」


 平均身長はあるのに、ひどい。思わず絶句していると、外村くんまで私の方を見て、「……まぁ、お前の好みとはちゃうな」と、追い打ちをかける。


 アイドルのふたりには、長身美人の知り合いがたくさんいるだろう。私みたいな平均的女子高生なんて、眼中にないのもわかってるけれど、なんか悔しい。


 じとーっとした目つきに気がついた外村くんが、慌てて、「あ、いや。あくまでも海里の好みの話やから。俺はその……」と、語尾を濁しながらフォローした。


 言い訳をする外村くんがさぞ面白かったらしく、内野はケラケラと笑う。指をさしてまで馬鹿にすることはないだろう。私はぺちんと彼の手をはたき落とした。


「田川さん……」


 信じられないものを見る目で凝視され、ごほん、と取り繕う。つい、内野のことを弟みたいに扱ってしまった。


「外村くんも! 何か注文してきてください」


 ひとり一品以上のご注文をお願いします。


 壁の貼り紙を指すと、外村くんは素直に頷いて、カウンターへと向かっていった。


「あんた、もっとおとなしいタイプやと思ってたわ」


 ぼそぼそ言ってくる内野の言葉は無視する。つーん、と顔を背ける。


 こんな風に急に捕まって利用されて、さすがにおとなしく従っていられるわけがない。


 外村くんはドリンク片手にすぐに戻ってきた。


「お前それだけで足りるんか?」


 という内野のツッコミには、「この時間に食ったら、晩飯入らんくなるわ」と返す。内野は自分の前のバーガーやポテト、アップルパイの包み紙に目を落とし、さらにぐちゃぐちゃに握りつぶした。


 外村くんは、瞬間迷った末に、私の横に腰を下ろした。教室で机を並べるのよりもずっと近い距離感に、ドキリとする。もちろん、彼の方に他意はない。わかっている。


「それで、海里。田川さんまで巻き込んで、お前、いったい何がしたいんや?」


 私に向けるのとはまったく違う関西弁で、外村くんは元相棒との対話を始めた。


 私にできるのは、彼らの話を見届けるだけ。あと、エスカレートして手が出そうになったら止めなきゃ。男の子同士の喧嘩に割り込めるかどうかわかんないけど、でもやる。


 こんなところで同じ事務所のアイドル、かつてのシンメが喧嘩沙汰なんてスキャンダル、絶対にあっちゃいけない。


 固唾を飲んで見守っていると、内野海里は「はっ」と、鼻で笑った。


「何がしたいって? そんなん決まっとるやろ、大地」


 頬杖をつき、外村くんを挑発する彼の口は、歪んでいる。青みを帯びた唇は酷薄で、外村くんが彼の吐き出す言葉に傷ついてしまうのではないかと、身構える。


「お前、なんで俺らんこと、大阪の連中のこと捨てたんや」


 外村くんの表情は、変わらなかった。いいや、きっと私が瞬きをしている間に、彼は一瞬だけ、傷ついた顔をしたのだろう。何もかも諦めきった無表情は、自然に出てくるものじゃない。反射的に表層に出てきた感情を押し込めて、作り上げたものだ。


「……捨てた、つもりは」

「ない? ほんまに言ってんのか、ワレ」


 大きな舌打ちに、柄の悪い巻き舌。すっかり怯えてしまう私と違い、隣の外村くんは冷静そのもので、顔色ひとつ変えやしない。ずっと凪の状態をキープしている。


 動と静。火と氷。対照的なふたりの間に流れる空気は、まさしく一触即発だ。


「お前のこと慕っとった後輩が、何人おったと思う? 俺んことは、まぁええわ。お前とはビジネスパートナーって奴やし。でも、あいつらんことまで無視すんのは、どういうつもりや」


 早口で捲し立てる内野は、自分がどんな顔をしているか、気づいていない。


 辛そうで、泣きそうで。本当は、「自分のことはいい」なんて、一ミリも思っていない。


 私はここに至ってようやく、シンメの特別さに思い当たった。


 彼らは言葉通り、大親友ではない。たまたま同時期に同じ事務所に所属したことをきっかけに、周りの大人たちに言われてコンビを組んだことが始まりに過ぎない。


 それでも、背中を預け合った仲だ。どこか深いところで、彼らは繋がっていた。


 突然、訳もわからずに関係を断ち切られた内野の、鬱屈とした感情の行き場ははなかった。彼ももう、何年も事務所に所属している。面倒を見なければいけない後輩の方が多い。愚痴を言える環境ではない。


「俺の事情や。海里たちには関係あらへん」


 追い打ちをかける外村くんの言葉は、あまりにも冷たく響いた。


 内野が口を開くより先に、私の手と口が動いていた。


「関係ないなんて、そんなことないでしょ!」


 憤りのあまり、テーブルを叩いた。ふたりの視線が突き刺さって恥ずかしい。でも、やってしまったものはしょうがない。


 私は隣に座る外村くんのことをキッと見上げる。彼が見たことのない顔をしているに違いない。


「私は別に、この人のことを好きでも何でもないし、なんなら嫌いだけど」

「おい!」


 内野の鋭いツッコミも無視だ。


「でも、それでもやっぱり、何にも事情を話さないでこっちに来たのは、外村くんが悪いと思う」

「田川さん……」


 なんだか鼻の奥がツンとする。自分にはまったく関わりのないことなのに、感情が高ぶってしまう。


「仲間だったんでしょう、大阪で」


 同じ夢に向かう、私たちファンが到底間に入ることのできない絆で結ばれた、仲間たちだ。一方的に関係を解消されて、はいそうですか、とはいかない。 


 もしも外村くんが何も言わずにいなくなってしまったら、私だって、必死に行方を探す。


「ダメだよ。何も言わないで来たから、外村くんもこの人も、全然前に進めてないじゃない」


 彼は、学業と両立させながら、芸能の仕事をこなしている。与えられるものに飽き足らず、自分で曲を作ったり、演奏技術を磨くなどの努力をしている。


 まるで、生き急いでいるように。後ろから追い立てられているかのように。


 外村くんのアイドル人生は、寿命を縮めるかのごとく、刹那的だ。


 今のままじゃ、からまわっているだけ。外村くんは、隠し事をしている。それが彼を支えていもるのだろうが、弱さでもある。


 静かに私の言葉を聞いていたふたりが向ける視線に、ハッとする。しまった。部外者が口を挟みすぎた。


「……なんて、私の自分勝手な意見だけど、でも」


 仲違いをしたまま、喧嘩別れに終わるのはもったいないし、悲しいことだ。できればこの機会に、わだかまりを解消してほしいのは、本心からだった。


「いや……ありがとう、田川さん」


 外村くんは一度目を閉じた後、まっすぐに内野を見つめた。もう、無表情じゃない。決意をこめた眼差しは強く、そして痛みを隠さない。


「海里」


 居住まいを正した内野もまた、真正面から外村くんを受け止める。ぶつかる視線同士だけで、何もかもを理解し合うふたりが、ちょっとだけうらやましい。


「ほんま、悪かった。ちゃんと話したいから、明日、ええか?」

「もちろん。もう隠し事すんなや」


 神妙に頷く外村くんは、今度は私に向き直った。ドキッとして目を逸らしてしまいそうになる。


 内野みたいに顔が整っていれば、外村くんと対等に見つめ合っても絵になるだろうけれど、残念ながら私は平凡な女子高生だ。


「田川さんにも、ついてきてほしいんやけど」

「へ?」


 まさかのお誘いに、私はふたりの顔を見比べて、「ええ~……?」と、間抜けな声を上げた。



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