第19話 招かれざるシンメ①

「ちょっと、本当に大丈夫なの?」


 綿貫さんの心配に、私は小さく頷いた。


 計画の同意を得られなかった日、スマホで連絡してきた彼女は、すぐに私の異変を感じ取った。すぐにふたりと合流すると、真っ青になった私のことを励ましてくれた。


「うん。私にできるのは、外村くんの気持ちが変わったとき、すぐに実行できるよう、準備しておくことだけだから」


 外村くんの真意はわからない。自然体でありながら、常にアイドルの仮面をまとい続ける彼のことだ。きっと、何か事情があるのだと思う。


「だから綿貫さんも金子くんも、例の件進めて。出来たら、みんなにも聞いてもらって練習して……」

「田川さん……」

「私、先生のところ行ってくるね。今日はもうやることないし、先に帰ってていいから」


 投げかけられる視線にいたたまれなくなって、そそくさと教室から出て、職員室へ。生活指導の先生に、クラスの現状と外村くんのことを話すと、難しい顔になった。


「もう文化祭まで日がないからな。あんまり待ってられないぞ」

「わかってます。それでもどうか、ギリギリまでお願いします」


 計画書は先生と生徒会に提出して、OKをもらっている。あとは本当に、外村くんの説得だけなのだ。


「外村くんだって、本当は文化祭に出たいと思っているはずなんです」


 あの表情は嘘じゃない。私はそう信じたい。


 先生は困った顔を見せた。たぶん私が男子だったら、肩や頭を気軽にポンポン叩いて激励してくれたんだろうと思う。


「まあ、頑張れ」


 短く言うに留めた先生に、私は頭を下げた。


 そのまま職員室を出て行こうとした私を、担任の生田先生が引き留めた。


「田川。外村のことで一生懸命になるのもいいが、お前進路……」

「文化祭後にしてください」


 ぴしゃりと言うと、生田先生は何も言わず、すごすごと引き下がった。


 受験について考えるべきだということは、重々承知している。ただ、文化祭の問題を解決しなければいけない。ここで解決のために動かなかったら、後悔する。


 教室に戻ると、綿貫さんたちはいなかった。そういえばふたりとも、推薦入試を受けるんだったな、と思い出した。私のわがままに付き合わせているが、学校側から悪い評価をつけられて、推薦を取り消されたりしないだろうか。


 一生懸命動いている。でも自己満足の、空回り。うまくいかなかったときの責任は取るつもりでいるけれど、その果たし方については、見当がつかない。


 鞄を持って、とぼとぼと下校する。


「ん?」


 門の前に人だかりができている。女子ばっかりだ。きゃーきゃーという歓声に、顔を上げた。


 外村くんのファンが、勝手に待ち伏せしているとか?


 身構えたけど、同じ学校の女子ばかりだ。今さら、外村くんを取り囲んで黄色い声を上げるとは、考えにくい。


 集団に中心にいるのは、背の高い男だった。髪を金色に染めて、サングラスをかけている。控えめに言っても、チンピラ。高校の前にいるなんて、普通じゃない。怖い。


 取り巻きの子たちが気を引いてくれているうちに、さっさと通り過ぎてしまおう。


 なるべく男の方を見ないようにして、気配を消して門の前にさしかかる。


「あ! ちょっと、そこのあんた!」


 低く掠れた声に、びくりと肩が震えて思わず立ち止まる。そのイントネーションには、西の響きがある。外村くんで耐性はついたとはいえ、彼の優しい訛りとは違う、強烈な関西弁は、やっぱり怖い。


 いやいや、まさか私じゃないだろう……そう願っていたけれど、男はずんずんとこちらにやってくる。


 そして鞄についたネームプレート付きのキーホルダーをむんずと掴んだ。


「これやこれ!」


 と、至近距離でばかでかい声で叫ぶもんだから、耳が痛くなる。


 目を白黒させる私をよそに、男はにやりと笑った。


「見つけた。あんたやな、大地の女は」


 ようやく私は、彼がどこかで見たことのある人物だと気がついた。


「ちょーっと茶ぁしばきにいこか? なぁ? ゆりのちゃん?」


 肩にかけた鞄の紐を取られ、強く引っ張られる。


 冗談じゃない。どうしてこの人が、東京にいるの?


 大阪時代の外村くんのシンメ・内野海里は、ステージでのパフォーマンスそのままの粗暴な態度で、私に拒否権を与えなかった。



 問答無用で連れてこられたのは、駅前のファストフード店だった。


 うちの学校の生徒御用達の店だけど、部活生の帰宅時間には早く、帰宅部の生徒はすでに帰るか、もっと栄えた繁華街に繰り出している時間帯。


 空いている座席をキープするために、内野海里は私を先に座らせた。


 注文を済ませ、「ほれ」と差し出されたのはコーラだった。炭酸の気分じゃないのに。


 突如拉致されたとはいえ、善意で買ってくれたものを突っぱねるのも気が引けるし、かといって素直にお礼を言うのも癪で、受け取るだけ受け取った。そして差し出される手のひら。


 なんだろう、と思っていると、「百円」と、代金を要求してきた。


 お金を取るなら、私の好みも聞きなさいよ……。


 イケメンかもしれないが、強面の範疇に入る内野に睨みつけられて、渋々財布から百円玉を取り出して支払った。


 彼自身は、ハンバーガーとポテトのセットを頼んでいて、ドリンクしかない私の目の前でかぶりついた。夕方、ちょうど小腹の減ってくる時間である。きゅる、とお腹の虫が鳴いた。


 内野は食べるのに夢中になって、私を放置する。こちらから話しかけるのは怖くて、コーラをストローで少しずつ啜る。炭酸が喉に痛い。


 彼は私のことを、「大地の女」と言った。


 おそらくあのSNSの投稿写真を見て勘違いしたのだろう。そこはきちんと訂正をするとして、問題は、なぜ大阪で活動しているはずの彼が、この場に現れたのかということだ。


 綿貫さんから聞いた、外村くんへの手ひどい意見を思い出す。


『外村大地は、大阪を、それまでの仲間たちを捨てた』


 もしも彼が本当に、「捨てた」と思われても仕方ないような移籍の仕方をしたのだとしたら、憤るのはわかる。でも、こうやって初対面の私を自分勝手に振り回すのは、やりすぎだ。


 食べ終わったハンバーガーの包み紙をぐちゃぐちゃに丸め、指先についたソースを舐める。ちらっと見えた舌ピアスにおののく。


 耳ならわかるけど、舌!?


 驚き固まる私に向かって、紙ナプキンで拭いた後の手を、男は差し出してきた。


 今度はなに?


 身構えた私に短く、「スマホ」と要求する。


「な、なんであなたに渡す必要があるんですか?」


 平静を装っても、残念ながら声が震えた。真正面から目を見ることはできない。

「あ?」という低い唸り声とともに、鋭い眼光に射抜かれる。


 うう、怖い。でもここで屈するわけにはいかない。少しだけ顔を上げて、反抗の意志を瞳に載せる。唇を引き結んで、気が強そうなフリをする。


 内野は頬杖をついて、「あんたが大地の女なら、連絡取れるやろ?」と、言う。


「なんや知らんけどあいつ、俺んこと既読スルーすんねん」


 不機嫌そうに唇を尖らせるその様は、完全に拗ねている。背が高く、がっしりしているが、ひょっとすると年下なんじゃないだろうか。


「せやから、あんたに呼び出してもらおう思て」


 そして再度、スマホの要求。私は盛大に溜息をつく。


「あの! 私は別に、外村くんの、か、彼女とかじゃないんで。ただのクラスメイトですし、彼の連絡先は知りません。私だけじゃなくて、女子は誰も」


 疑いの目で見てくる内野に、さすがに私の怒りも頂点に達して自棄になり、スマホの連絡先一覧を見せる。


 そもそも大事な連絡はグループトークで済むものだから、個別に連絡先を知っている男子は、金子くんくらいのものだ。少ない連絡先を確認して、内野はすぐに私にスマホを投げ返した。


「ちょっと!」


 声を荒げると、今度は自分のスマホを私に押しつけてくる。端末と内野の顔を交互に見ると、「俺のスマホ使って、大地のこと呼び出せ」と命令をされる。


「……喧嘩腰でしかお願いできない人の頼みなんか、聞きたくありません。それに、外村くんを呼び出してどうするつもりなんですか?」


 顔は怖いけれど、中身はお子様。かんしゃくを起こしているだけだと自分に言い聞かせ、勇気を奮い立たせる。今、外村くんを守れるのは私だけだ。


「外村くんにひどいことをする気なら、絶対に協力しません」


 内野はぽかん、と口を開けた。間抜けな顔をすると、より幼くなる。そんな風に思っていると、彼は深く溜息をつき、「悪かった」と、謝罪した。


 存外素直な反応に驚いていると、


「ほんまにあいつと、一回きちんと話つけたいだけなんや」


 と続ける。


 関西支部での二人は、圧倒的な人気を誇っていた。

狂犬ともいえる内野を、外村くんが御する形で成り立っていたシンメだ。外村くんがいなくなった今、内野海里は関西クルーの中でも浮いているとは、綿貫さんの分析である。


 彼らの事務所は、基本的にグループでのデビューを推奨している。個人でデビューした人は、過去に何人かいたみたいだけど、残念ながら大成することなく、事務所を辞めてしまっている。


 ワンマンな性格で周囲と馴染めない内野は、いくらセンスと人気があっても、デビューは難しい状況なのだ。


「それで、外村くんを恨んでいる、と?」

「ちゃう! ……や、最初はずっとあいつの愚痴ばっか言うとったけど、でも今は、ちゃうねん」


 急に神妙な顔をして、膝に手を置いた内野は、去年の秋に外村くんがいなくなってから、今までのことを振り返って反省めいたことを言う。


「あいつ、他の連中にも何も言わんといなくなってん。俺だけ仲間はずれなら、俺んこと嫌いになったんやな、そんならどうでもええわ、って思えたけど、冷静んなって考えてみたら、全員ってのがどうも気になってな……」

「何か大きな理由があるかもしれない、って?」

「せや」


 ふむ。


 ちょっとだけ思案する。内野は嘘をついているようには見えない。


 それに、私には外村くんが、目の前の相棒を自分勝手な理由で捨てるとは、とても信じられなかった。私だったら、こんな我が儘な人、付き合ってられないと投げ出すけれど、彼はそういうタイプじゃない。


 どうすべきか迷った結果、私は内野の手からスマートフォンを取り上げた。好奇心には勝てなかった。


 私も知りたい。彼が東京に、私たちの高校に転入してきた理由。ずっと疑問に思っていたこと。もしかしたら、外村くんが文化祭への参加を頑なに拒むのも、根っこは同じところにあるのかもしれない。


 手早く簡潔に、メッセージを打つ。


『このスマホの持ち主に拉致されました。学校最寄り駅のマックに来てください。田川』


 ちょっとした悪意が混入したのは、粗暴な内野への意趣返しである。返されたスマホの文面を見て、彼は苦笑いした。


「拉致って……人聞き悪ぅ」

「本当のことじゃないですか」

「それにマックて。気取んなや」

「気取っていません。東京ではみんなマックなんですよ」


 しれっと言う私をよそに、内野は「おっ。既読ついたわ」と嬉しそうである。


「既読になったところで、外村くんが反応するとは限りませんよ。私はただのクラスメイトですから」


 それに今は、文化祭の件でちょっとぎくしゃくしているし。


 そう零して、ストローでちびちびとコーラを啜る私を、内野はまじまじと見た。


「んなわけあるかいな……」

「何か?」


 溜息交じりに小さい声での呟きだったため、何を言っているのかよくわからないから聞き返したのに、彼は首を横に振った。


「賭けてもええけど、すーぐ返信くると思うで」

「まさか」


 外村くんにとって、私はそんなに価値はない。ただのいちファンで、クラスメイ

ト。それ以上でも以下でもない。


 私の反論と同時に、内野のスマホがけたたましく音を立てた。通知された名前を見て、彼は笑って画面を見せてくる。


「ほらな?」


 外村大地、と表示された画面をタッチして、通話ボタンを押す。私に向けられているということも気づかず、外村くんは「海里!?」と、焦った声を出す。


『今撮影終わって、すぐ向かうから、絶対そこ動くんやないぞ!? あと、田川さんになんかしたら、一生許さへんからな!?』


 一方的な通話は、すぐに切れた。


「すーぐ助けに来てくれるとさ。よかったな、お姫様?」


 からかい声に、私は両手で頬を覆った。顔が熱くて、とてもじゃないけれど、見せられない表情をしている。


「……私も、なんか買ってくる!」


 宣言とともに立ち上がる私に、内野はひらひらと手を振った。

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