第4話 VS悪役令嬢? ヒロイン?①
四月六日。今年は開花が早かった桜の見ごろは終わりかけている、そんな春の日。高校三年生の学校生活がスタートした。
入学式は明日。今日は二学年しか登校していないが、生徒玄関前は大混雑である。
「こりゃ、直接教室に行って座席表見た方が早いんじゃね?」
文理別に二クラスずつ。私も千里子も文系だから、A組かB組。千里子の性格ならば、堂々と振る舞うこともできるだろうが、私は無理。二択をミスして、すごすごと教室を出て行くなんてことになったら……想像しただけで、首の裏が寒い。
千里子の提案を却下して、どうにか見えないものかと背伸びをする。
うんうん唸っている私をよそに、千里子はもはや諦めている。背が小さいから、仕方がない。私が代わりにちゃんと見て、AなのかBなのか教えてあげなければ、という使命感に駆られる。
「あ、千里子。うちら別のクラス。あんたB」
「マジで?」
漫研所属の千里子は、私よりも断然、交友範囲が広い。
「
「あ、ありがとう」
千里子だけじゃなく、私のことも気にかけてくれるとは、いい人だ。
恐縮して頭を下げるが、彼女は漫研の新歓についての相談を千里子に持ちかけながら、颯爽とその場を離れてしまっていた。
(私のお礼、聞こえたかな)
自分の行くべき教室がわかったのだから、後ろにいる人たちのためにも、さっさと立ち去るべき。わかってはいるけれど、もうひとり、クラスを知りたい人がいた。
春休み中、たまたま出会った、彼。
たった一週間前のこと。帰り際に名前を呼んでくれたけれど、忘れられていないだろうか。
外村くんのことを、私はあの日まで誤解していた。
私とは全然別の世界の人。同じ日本語を話していても、共通の話題がない。自分がクラスの、世界の中心みたいな顔をして、周辺部に入る私の存在なんて、気にも留めない。
地学準備室で少しだけ喋った彼は、そんな私の想像を覆した。気さくに話しかけてくれた。何よりも、関西弁が怖いと言った私のことを気遣ってくれた。
(もう少しちゃんと、話してみたかったな)
同じクラスになれたなら、挨拶くらいはできるはず……そう、たとえきらきらした人たちに取り囲まれていても。
転校初日に見た光景を思い出す。あの輪を正面突破する勇気はないが、横から「おはよう」と言うくらいは許されるだろう。
そんな軽い気持ちを引きずりつつ、結局彼の名前は確認できず、その場を離れた。
「おっ。はよー、
聞いてない。淡い期待はしていたけれど、ここまでは願ってもいない。
軽快な関西弁は、私の真横から聞こえる。幻聴ではない。金ちゃん、と呼ばれた
「おはよう、大地。お前、寝癖ついてんぞ」
爽やかな笑い声とともにもたらされた情報に、なるべく彼を視界に入れないようにとまっすぐ前を向いて固まっていた私、つい横目で追ってしまう。寝癖、気になる。
唇の怪我はすっかりよくなっていて、アイドルの顔に傷が残らなかったことに、ホッとした。
「ほんま!? どこ? どこ?」
頭のてっぺんから飛び出した触角を、金子くんは直してあげる気はないらしく、手のひらでぴょこぴょこ、いじっている。
「やめぇ~」
両手で金子くんのいたずらを振り払おうとする仕草は、子どもっぽい。可愛い、などという感情が浮かんでしまったのを、ハッとして打ち払う。
同い年の男の子に、何を考えているんだ私は!
「ちょっと大地。寝癖なんてかっこ悪すぎ!」
外村くんたちがじゃれ合っているだけでも目立つのに、より一層華やかな人物がやってきた。ロングヘアに指を通して、サラサラなのを見せつける。あまりの眩しさに、私はそっと視線をそらす。
学校一の美少女と名高く、入学後一週間で十人に告白されたとかいう噂が、まことしやかに流れていた。その中には、当時の生徒会長もいたとか。
彼女と仲良くしている友人たち曰く、「かれんと渋谷や原宿行くと、めちゃくちゃスカウト寄ってくるよね」「いっそのこと、山道グループのオーディションとか、受けちゃえば?」とのこと。
綿貫さん自身は、美貌を過度に誇ることはない。賛辞を微笑みひとつで当たり前のことだと受け止めて、芸能界に入るべきだという声には、「あんまり興味がないのよね」と応じる。
楽しそうに喋っているふたりは、非常に絵になった。敬語抜き、普通の友達として彼と接することができるのは、突出した部分がある人だけなのだと、改めて思い知らされる。
胸の奥がもやもやする。自分が嫌な人間になっていく。
隣の席のやりとりをシャットアウトすべく、鞄の中から文庫本を取り出した。感じ悪いと思われようと、かまわなかった。
「そんなん言うなら綿貫、寝癖直しみたいなん、持っとらんの?」
「持ってくるわけないじゃない。私は家からパーフェクトなの!」
まだ寝癖について盛り上がっている。髪の毛が爆発していたとしても、気にも留めない男子もいる。頭頂部の毛がわずかに跳ねているだけだから、気にするほどじゃないんだけど、こういうのは本人にしかわからないこだわりがあるのだろう。
「あ、せや」
気配が動くのを感じた。
「なぁなぁ、ゆりのちゃん。寝癖直しみたいなん、持ってへん?」
「ふぁ!?」
変な声が出る。思わず、持っていた本を落とした。ひっくり返って、ページが折れてしまった。あああ……。
クラスの空気が一変したことに、外村くんはどうして気づかないのか。特に、一番近くにいる綿貫さんのオーラが恐ろしい。バチバチした敵意が刺さる。
――いったいあの子、外村くんの何?
――あの綿貫さんですら、苗字でしか呼ばないのに、「ゆりのちゃん」だって。
ひそひそ話は時として、当人に聞かせたいからこそ行われる。直接あれこれ言われるよりも、ダメージが大きい。拾い上げた本をぎゅっと抱きしめても、楯になんてなりはしない。
空気をあえて読まなかったのか、それとも読めないのか。金子くんは怪訝そうな顔で、皆を代表して外村くんに問う。
「何、大地。お前、田川と知り合いだっけ? つーか下の名前で呼ぶって、もしかしてさぁ」
両手で古いタイプのハートマークを作る彼の顔は、にやにやしている。
これは読めない方だ。隣に立つ綿貫さんの表情が、のっぺりしたものに変わっていることにも、おそらく気づいていない。
そういうんじゃないです、と、私から言うべきだ。外村くんが、私のせいで誤解されてしまうのは、よくない。
けれど、言葉がなかなか出てこない。はっきりと線引きされたクラスのカースト上位者に、もの申すことなんて、できない。
どうしたらいいのかわからずにいる私を浮上させたのは、外村くんだった。
「金ちゃん。俺、そういう冗談嫌いやって何回言うた?」
顔を上げれば、外村くんの背中が見える。ピンと伸びた背筋に、春休みのことを思い出す。
「ゆりのちゃん呼んだんは、上の名前知らんかっただけや。俺だけならええよ。彼女に迷惑かけんなや」
私は一瞬だけ、怒りに震える言葉の強さに硬直したけれど、すぐに息を吐きだした。
大丈夫。外村くんは、むやみに怒鳴ったりする人じゃない。効果的に怒りを表現することができる人で、金子くんもそれ以上茶化すことなく、「ごめん」とすぐさま頭を下げた。
「俺やなくて、彼女に謝らんかい」
顎で指示された彼は、私にも謝ってくれた。一年生のときに同じクラスだったので、私は彼のキャラクターを、多少は知っている。本当に、悪気はなかったのだ。
「ううん。いいよ」
外村くんには敬語が抜けないけれど、金子くん相手なら、対等な言葉遣いで返事ができる。
「あ~、あのさあ、田川さん、でええの?」
金子くんへの怒りを解いた外村くんは、今知ったばかりの私の苗字を口にした。
ゆりのちゃん、と呼ばれることは二度とないのだろうな。
ちょっとだけ寂しいかも。
「なんでしょうか」
彼はがっくりとうなだれる。頭をこちらに向けるものだから、話題の寝癖がぴょこん、と私を指した。新芽みたいで可愛い。
「それ、それや!」
「ええと」
「なして? なして俺には敬語なん? 同い年よ、俺たち。ク・ラ・ス・メ・イ・ト!」
わざわざ一音ずつ区切って言う。勢いに圧倒されて黙っていると、威圧してしまったか、とハッとした彼が眉尻を下げて困っている。
「いやほんまにさ、なんか他人行儀で悲しいんよ。俺は田川さんとも、友達やと思っとるし」
友達。
私が? ちょっと話しただけなのに?
聞き返すのもはばかられ、私は無言で鞄の中を漁る。ポーチの中から、アホ毛を抑えるスティックを取り出して差し出す。
「寝癖直し、探してたんです……でしょ?」
最大限の勇気を振り絞った。噛み噛みだけれども、彼の「友人」という言葉に応えたつもりだ。手は微かに震えていたかもしれない。
「ほんま、おおきに! さすが田川さんやな。まさしくドラえもんのポケット」
「お前らほんと、いつの間にそんなに仲良くなったんだよ」
金子くんの疑問は、クラス全員を代表している。当たり障りのない会話を仲間内でしながら、こちらに聞き耳を立てているのを感じる。
深く突っ込まれると、春休みに彼がケガをしたことだったり、開かずの地学準備室を根城にしている生徒がいるということが、露見してしまうかもしれない。
なんて説明したらいいのか困惑していると、外村くんが立ち上がった。金子くんの背中をバシバシと叩き、そのまま肩を抱いて歩き出す。
「大地?」
「まあ、そんなんどうでもええやん? 俺が一方的に世話になっただけや。それよりトイレ行こ。鏡ないと直せん」
言いながら彼は、教室の外へと出て行った。興味津々で見守っていた人たちは、残された私には、関心がない。「どうでもええ」のセリフは、私に対してかかっていると判断、「なぁんだ」と、友人同士のやりとりに移行する。
話題の半分くらいは、やっぱり外村くんのことだ。
いつも笑っている彼しか見たことがないから、先ほど金子くんに見せた剣幕さは、賛否両論のよう。
誤解されるのをよしとせず、きっぱりと否定するのが男らしくて見直したとか、他愛のない冗談にあんなにマジで切れるなんて、だとか。
なんとも居心地が悪い。私は地味で目立たない人間だ。
もしも、金子くんがからかった相手が絶世の美少女だったのなら、少女漫画のプロローグそのものだっただろう。からかわれた女の子をかばうヒーロー。よくある展開だ。
例えば、私が綿貫さんみたいな美少女だったら――……。
ありもしない妄想に耽りつつ、本を鞄にしまおうとした瞬間、邪魔が入った。
「!」
バン、と強く机の天板を叩かれて、再び教室中の注目を浴びる羽目になる。おどおどしながら見上げると、頭に思い浮かべていた美少女が、微笑んでいる。
「ねえ、あなた」
「は、はい」
声が上擦り、ひっくり返る。笑顔が怖いって、初めての経験かもしれない。
「放課後、裏庭に来てくれる?」
お誘い、なんて優しい物言いではない。有無を言わさぬ口調に、私は頷くことしかできない。
ど、どうしよう。進級初日から、えらいことになってしまった……!
「ただいま~。田川さん、ほんまありがとな」
高飛車に頷いて、自分の席に帰っていった綿貫さんと入れ替わりで、外村くんたちが戻ってきた。寝癖はすっかり収まって、ご機嫌だ。彼が来たことで、張り詰めた空気はきれいに霧散していった。
「うん」
寝癖直しを受け取り、私は相づちをうつことしかできない。
チャイムが鳴って、担任の先生が来るまでの間、私はひたすら、下を向いていた。
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