第5話 VS悪役令嬢? ヒロイン?②
裏庭には、
うちの学校には裏門がないので、ここに人が来るのは、秘密の話をするときだけ。それこそ、告白が一番多いはず。最近はスマホのやりとりで完結することも多いけれど、直接言いたい派も多い。
綿貫さんが来るまでの間、立ちっぱなしで待っていた。
時計を見れば、帰りのホームルームが終わってから、すでに二十分が経過している。お腹の虫がぎゅるると鳴く。
うう、早く帰りたい。彼女と向き合っているときに、お腹が鳴ったらどうしよう。かなり間抜けだ。その用件が明るいものでないことだけはわかるから、より一層憂鬱。
綿貫さんがやってきたのは、それからさらに十分経ってからだった。
私よりもかなり背の高い彼女が、ロングヘアをなびかせてつかつかとやってくる姿には、圧倒される。
現実逃避に、最近読んだライトノベルを思い出す。ネットで人気を博して、書籍化したものだった。
あたくしの婚約者である王子殿下に、なれなれしくってよ。場をわきまえなさい、庶民……!
扇をぴしゃりと突きつける、ヒロインをいじめる悪役令嬢と綿貫さんが重なった。恋のライバルとなる女性は、金髪に縦ロールのゴージャス美女がセオリーだ。
相対する私には、ヒロインの素質はないが……。
「あのさ、田川さん、だっけ?」
「はい」
無意識のうちに背中が丸くなる。なけなしの自尊心を守らなければと身構える。
「あんた、大地のなに?」
何者でもない。強いて言うならば、
「友達……?」
としか、言いようがない。外村くん自身にも言われたし。
むしろ綿貫さんの方が、外村くんのなんなんだろう。彼は特別な女の子を作らないのだから、彼女もまた、友達でしかないはずなのだ。恋人なら、相手に近づく人間を牽制する理由も十分だが、綿貫さんはちがう。
とはいえ、下手な口ごたえはするべきではない。しずしずと従う素振りを見せるが吉。
おどおどしているわりに図太い私が、余計に気に入らなかったのだろう。綿貫さんは、さらにヒートアップする。
「春休み前までは無関係だったでしょ。どうやって取り入ったの」
「取り入ったって……」
ケガをした彼を手助けしただけなのに、ひどい言われようだ。さすがの私も引っかかり、ムッとして顔を上げた。
「何よ」
「あのっ。綿貫さんは、外村くんが、そういう下心のある人間にだまされるような人だと思ってるってことですか?」
付き合っていなくとも、綿貫さんには外村くんへの恋愛感情があるのでは?
そうとしか思えない。
「外村くんを、信じてないんですか?」
「なっ」
自分より明らかに上位の人間に逆らうのは、勇気がいる。普段なら、教室にいるときと同じく、どんなに腹が立っても、綿貫さんに食ってかかったりはしなかった。
「それはあまりにも、彼のことを馬鹿にしているんじゃ、ないでしょうかっ」
住む世界が違うと思っていた。勉強が特別できたり、学校行事で目立ったり、容姿がよかったりしないと、彼と近づくことはできないのだ、と。
手の届かない星みたいな存在だった外村くんは、あの日、私の隣にいた。目を焼き尽くす太陽ではない。かといって、反射光で淡く白く輝く月でもない。
たとえるなら、いついかなるときも夜空にあり続け、自ら輝く星のように、優しく傍にいてくれた。
私を友達だと言ってくれたその信頼に応えたい。
「わ、私は確かに、地味だし何にもできないけど、でも、外村くんの友達でいたいと、思っています」
言い切った!
心臓がドコドコと脈打っている。これで理解してくれればいいのだが、綿貫さんは頭に血が上っていて、私の言葉に耳を貸さない。
「なによ! あんたみたいな奴が、大地のアイドル人生をダメにするのよ!」
何を言いたいのか、半分も聞き取ることができなかった。とにかく彼女は、私が外村くんに近づくことが気に入らないのだ。
「私は、外村くんを応援したいだけです! 友人として!」
結構なボリュームで怒鳴り合っているのだが、誰も様子を見に来やしない。フィクション世界の悪役令嬢だと、一対一を避けて、大勢の取り巻きたちとヒロインを取り囲んでお説教するが、綿貫さんは正々堂々潔く、ひとりでやってきたようだ。
「っ、この!」
大きく振り上げられた手。あれこれ嫌味を言われる覚悟はしてきたが、叩かれる心の準備はしていない。
嘘でしょ。新学期早々、こんなトラブルに巻き込まれるなんて。
こんなことになるなら……と、一瞬考えた。けれど、何度あの日に戻ったとしても、私は外村くんを、地学準備室に招き入れただろう。
ぎゅっと目をつむって、来たる痛みに備える。
けれど、いつまで待っても、頬を張られることはなかった。
恐る恐る目を開く。薄目だったのを、すぐに驚きにみはった。
「そ、外村くん?」
すでに帰宅したはずの彼が、綿貫さんの手首を掴み、制止していた。
「綿貫。何しとるんや」
サッと青ざめた彼女から力が抜けたのを確認して、外村くんは手を離した。重力に従い、腕がだらりと身体の横に下がる。
「どうして」
振り絞った声は、私の口から出たものか、それとも綿貫さんから出たものかわからない。
外村くんは、柔らかい笑みを私に向けて浮かべた。
「先生と今学期のスケジュールなんかについて話しとったら、遅くなってん」
表には出ていないが、彼の仕事は、ある程度先の予定まで決まっている。各教科担任に事前に話を通しておくことで、補習日程をスムーズに調整するため、面談していたとのこと。
何人もの先生と話をしていたから、彼はこの時間まで居残っていた。
「んで、教室残っとった女子たちがな。笑ってたんや。やーな顔でな」
眉根を寄せた厳しい顔で綿貫さんに振り返る。彼女のグループの女子のことだろう。
外村くんは、教室に残っていた子たちがどんな話をしていたのか、何も言わなかった。たぶん、私の陰口だと思う。
綿貫さんに目をつけられて可哀想、くらいならまぁマシか。どんな尾ひれをつけられているか、わかったものじゃない。
外村くんは、私を背中にかばうように立ちはだかった。ヒロインを助けに来たヒーローさながらである。惜しむらくはやっぱり、私がヒロインとは程遠いということだけ。
意外と大きくて、逞しい背中を見つめる。
「だ、だって、私の知らないうちにそんな子と仲良くなってるなんて、聞いてない!」
「いや、お前は俺のオカンかい」
常にまっすぐな彼の背が、少しだけ丸まった。それから大げさに、一度肩を上げ下げしてから、柔らかい関西弁の響きを載せて、「なぁ」と、綿貫さんに語りかけた。
「綿貫が、俺んこと心配してくれてんのはわかってるし、ありがたいと思っとるよ」
「大地……」
「でもなぁ、何度も言うとるように、俺は誰とも付き合う気はあらへん。好きな子ができたって、俺はアイドルやねん。それがたとえ、田川さんであろうが、綿貫であろうが、俺は恋人にはならへんよ」
プリーツが皺になってしまうのに、思わずスカートを握りしめていた。
外村くんの顔は見えない。早口でもなく、過度にゆっくりでもない。ハキハキと抑揚のある言葉、そして背中から伝わってくる空気感は、彼が真剣であること、本気で綿貫さんに理解を求めているということを表している。
芸能界には彼女と同じくらい、それ以上にきれいな女の子がたくさんいるはずだ。
その誰とも、外村くんは付き合ったりしないのだ。
自分のファンの夢を守るために。
「……わかったわよ」
見つめ合い、いや、睨み合いに近かった。綿貫さんの方が根負けして、ふっと視線を逸らした。彼女は肩を怒らせたまま、私の存在など、最初からなかったかのように、早足で去っていく。
「一言謝らんかい、アホ」
小さく毒づく外村くんの制服の袖を引いた。そのまま追いかけて謝罪を強要しそうだったから。
「いい。いいから、もう」
「……田川さんがええんなら」
ホッと肩の力を抜き、私は彼から手を離した。
「ありがとう、助かりました」
「また敬語やん」
「癖なんだ。ごめんね」
綿貫さんもいなくなったことだし、裏庭にいる必要はない。私は外村くんの隣に並び、校門へと向かう。
見ている人に勘違いされない距離を保つのって、難しい。外村くんの声が大きくなければ、話をするのも大変だった。
外村くんも電車通学しているようで、駅まで辿り着く。同じ方向だろうか。ドキドキしながら聞くと、逆方向だったので、少し残念。
彼は、「今日はこれから用事があんねん」と言って、改札をくぐらなかった。詳しくは聞かなかった。
控えめに手を振る私と正反対に、手を大きく旋回させた彼の、人懐こい笑顔。自分のどういう表情が人を惹きつけるのか、よくわかっている。
電車に乗っても思い出すのは、今日の外村くんの言動だった。
『俺はアイドルやから』
まだ受験生ムードとは程遠い高校生活。男子も女子も、ほとんどの人が興味あるのは、恋愛や、その先に到達する行為だったりする。
私だって、ほんのりとした憧れはある。大学生になったら、彼氏がひとりでもできたらいいな、とか。デートはどんなところがいい、だとか。
けれど外村くんは、そのすべてを諦めている。
人生は、選択の連続だという。
私の前にも彼の前にも、道は無数に枝分かれしている。今の私は何も選んでいない。どころか、道すら見えずに立ち止まっているだけだが、外村くんは違う。
選択肢がいくつあろうとも、彼は「アイドル」を取る。
どうして迷いなく、自分の道を切り開いて進むことができるんだろう。その行く末が、果たしてどうなっているのか、まるでわからないのに。
何が彼を、突き動かすんだろう。
電車の揺れと呼応して、心臓のリズムが速まる。
もっと知りたい、外村くんのこと。
彼が目指す、アイドルのこと。
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