【第十六話:星の徒、動く刻】

 朝靄に包まれた魔導学園ルクシアの中庭には、重たい雲が垂れ込めていた。 陽光の気配すら感じさせない空の下で、校舎全体がまるで息を潜めるかのように静まり返っている。


 魔力の流れはいつもと同じ――のはずだった。 だが、空気には妙な粘り気があり、肌にまとわりつくような重苦しさがあった。


 (何かが……起ころうとしている)


 アデル:セリオルは、そんな予感を胸に秘めながら中庭の奥に向かって歩いていた。 そこには既にリリス:ブラッドの姿があった。


 「……昨日の封印、やっぱり不自然だった」


 リリスは言葉を選ぶように呟いた。 その瞳は鋭く、昨夜の旧研究棟で感じた異様な気配を思い返している。


 「今日、その中を調べる。あの地下を……」


 「何があってもおかしくないね」


 アデルの言葉に、リリスは黙って頷く。 二人の間には、既に言葉を超えた共通認識が生まれていた。


 その時――。


 「おーい、お前ら! なんで黙って行動してんだよ!」


 のしのしとした足取りで現れたのは、タガロフ:ライクだった。 豪快な体格と無骨な性格で知られる彼は、腕を組みながら睨むように立ちはだかった。


 「昨日、なんかやってたらしいじゃねぇか。誘えよな、そういうのは」


 「……ごめん、行き当たりばったりだったから。でも、なんで知ってるんだ?」


 アデルの問いに、タガロフは鼻を鳴らした。


 「ああ? さっき教師たちが話してるのを聞いたんだよ。お前たちの名前、ばっちり出てたぜ」


 リリスが眉をひそめる。


 「……報告されたのね。シリウス……」


 「俺が聞いた話じゃ、お前らが勝手に封印を壊して研究棟を荒らしてたってさ」


 「なにそれ! あいつ、報告するって言ってたけど……そんな出鱈目な内容で?!」


 そこへ、鋭い足音が近づいてきた。 黒髪に鋭い目を持つ少年、アスラ:マダリオンが現れる。


 「昨日の騒動……確かに断片的だったが、俺も何かを感じていた」


 彼の言葉に、三人は静かに耳を傾ける。


 「魔力の流れが……旧研究棟の方にある気がする、それも日に日に流れが強くなっている。」


 アスラの視線がアデルとリリスを捉える。


 「……お前たち、今夜、再び行くのか?」


 アデルは頷いた。


 「行くよ。調べないと気が済まないし、あそこには確実に何かがある」


 「俺も同行する。危険だとしても、それを見過ごすわけにはいかない」


 その言葉には、静かな決意が込められていた。


 少し離れた渡り廊下の影では、マリア:サーペントがその会話を聞いていた。


 (アデル……なにか危険なことをしようとしているのですか?)


 彼女の胸には、言葉にできない不安が広がっていた。


 ――そして、夜が訪れる。


 静まり返った学園の裏手、旧研究棟の前には、四人の生徒が再び集まっていた。 アデル、リリス、タガロフ、アスラ。いずれも、魔力を抑え、周囲の気配に神経を尖らせている。


 「昨日は封印が張り直されていた。でも、見えない細工が残されてた。かなり上手く隠されてたけど……」


 リリスが再び封印解析の呪文を展開し、手のひらに魔法陣を浮かべる。


 「封印、解除するわよ」


 石扉が静かに開き、地下への階段が現れた。


 アデルが光球灯精光(フェア・ライト)を展開し、冷たい空気の漂う階段を先導する。


 「昨日見落とした階層……多分、あの地下が核心だ」


 降りていくたび、魔力の密度が増していく。下層にたどり着いたそのとき――。


 「……あそこに、あるな」


 アスラが示した奥の部屋には、赤黒い球体が静かに浮かんでいた。 封印されているはずだが、魔力の圧は明らかに異常だった。


 「なんだ、あれ……この空間を歪ませてる……?」


 四人が一歩前に出た、その時。


 「誰だ……!」


 アデルが叫んだ。 フードを被った人影が、闇の中から現れる。 そのフードを静かに払った男の顔――


 「シリウス、先輩……!」


 「ようこそ。やはり君たちは、来ると思っていたよ」


 シリウス:ヴェルグレインの声は穏やかだった。 だが、その瞳には、狂気と使命だけが宿っていた。


 「私は《星の徒(アストラオーダー)》の一員だ。禁じられた知識を求める者……それが、我々の名だ」


 言葉と共に、魔力が空間に満ちていく。


 「学園という存在は我らの目的には邪魔なだけだ、そして君達自身もな。自らの好奇心に殺されるがいい。」


 アデルが一歩踏み出す。


 「俺たちは、学園を壊させない」


 「ならば、その意思、力で示してみろ」


 次の瞬間、戦闘が始まった。 魔力が激突し、地下に火花が散る。


 ――決戦の幕が、静かに、だが確実に、上がろうとしていた。





 魔力が空間を裂いた瞬間、アデル:セリオルは即座に身体を低く構えた。


 黒い雷鳴のように奔ったのは、かつての上級生――否、《星の徒(アストラオーダー)》の一人であるシリウス:ヴェルグレインの放った魔弾だった。


 その魔力は常軌を逸していた。闇の濃度が空気を染め、まるで世界そのものが歪むような圧を放っている。


 「来るわよ!」


 リリス:ブラッドの鋭い声が響いた。

 彼女の手が振るわれるより早く、タガロフ:ライクが咄嗟に《鋼甲陣(ガードライン)》を展開。

 淡い輝きを放つ六角の防壁が三重に重なり、黒の魔弾がそれに叩きつけられる。


 轟音。砕ける魔力。空間がきしみ、重圧が全員を押し潰さんとする。


 「いきなり殺す気かよ、クソッタレ!」


 タガロフが怒鳴った。


 「遠慮はしない。君たちは――“真実”に近づきすぎた」


 シリウスの口調は穏やかだった。だがそこに感情はない。凪いだ湖面のような無表情。それが返って不気味だった。


 彼の両手が黒き光を編み上げ、影のような魔力が蠢き始める。


 「来るぞ!」


 アスラ:マダリオンが即座に後退、詠唱に入る。


 「《雷鎖の咆哮(サンダー・ブレイク)》!」


 彼の手から迸る紫電の鎖が、シリウスの生み出した影獣の一体に突き刺さる。

 凄まじい爆裂音。だが、影は煙のように分解され、即座に再構築される。


 「……魔法が効かない……!」


 「再生速度が異常に速い……闇の術式ね。単発では駄目、連続と多属性で対処するしかない」


 リリスの声は冷静だった。

 彼女の手から展開される魔術回路が赤く輝く。


 「《火炎障壁(ファイヤーウォール)》!」


 咆哮と共に立ち上がる炎壁が影獣を包み、続いてリリスは《風撃昇(ウインドストリーム)》を重ねる。

 轟風と火炎の合奏。それが影の体表を削り取る。


 「効いてる……二属性の連撃なら!」


 アデルが剣を抜いた。


 「リリス、サポートを頼む! 前に出る!」


 「了解!」


 《加速術式(クイック・ブースト)》がアデルの足元に発動。彼の身体が閃光のごとく走り出す。


 「――《閃撃斬(ライティング・スラッシュ)》!」


 光の斬撃が空気を裂き、影獣の胴体を切断。

 続けざまに左手で《闇閃斬(シャドウ・スラッシュ)》を発動し、もう一体を引き裂く。


 (負荷は……ある! だが、まだ戦える!)


 アデルは呼吸を整えつつ、さらなる連続詠唱へと移行。


 「《光撃破(ブライト・バースト)》!」


 空間を照らす無数の光の刃が空中に浮かび、雨のごとく降り注ぐ。


 「次は……《影穿閃(シャドウ・スティング)》!」


 足元の魔方陣から、黒き針が湧き上がり、影獣の動きを封じる。


 「させるか……!」


 シリウスが低く呟き、指を弾いた。


 「《重圧連鎖(グラビティ・リンク)》」


 空間が歪み、アデルの動きが止まる。

 重力場が彼の四肢を縫いつけるように拘束した。


 「ぐっ……!」


 「よくも……!」


 タガロフが叫び、手のひらから《強化陣式(フォート・シェル)》を展開。

 アデルの周囲に厚い魔力の盾が広がり、影の牙を阻む。


 「助かる!」


 「後方から……もう一体来るぞ!」


 アスラの叫びと同時に、背後から新たな影が現れる。


 「任せろ!」


 アスラが駆け出し、足元に紫の魔方陣を描き出す。


 「《雷迅裂波(ライジング・ブレイク)》!」


 電撃の刃を纏った突撃。稲妻の刃が真っ直ぐに影を貫き、床に焦げ跡を残す。


 影は一度崩れかけたが、またも煙のように再生しようとする。


 「させるか! 《雷爪散華(ボルト・クロー)》!」


 アスラの周囲に五本の雷の爪が現れ、断続的に連打を浴びせる。

 雷撃が影の構成を破壊し、ようやく完全な再生が阻まれた。


 「リリス!」


 「分かってる!」


 リリスが一歩踏み出し、炎と風の魔術式を重ねる。


 「《炎陣鎖(フレイムホールド)》!」


 赤熱の鎖が影の四肢を絡め取り、一時的にその動きを止める。


 だが、シリウスは動かない。

 ただ掌を翳し――視線をリリスに向けた。


 「《虚壊の眼(ヴォイド・サイト)》」


 禍々しい眼の印が空間に浮かび上がり、リリスの魔力を逆流させる。

 鎖が崩れ、彼女が膝をつきかけた。


 「ぐ……ぅっ……!」


 抑えきれぬ重圧。全身の回路が軋むような苦痛が彼女を襲う。


 戦況は、完全にシリウス側に傾き始めていた。


 その瞬間――地下通路の奥から、一陣の風が吹き抜けた。


 鋭く、切り裂くような靴音が空気を震わせ、一人の少女が影を蹴破って姿を現した。


 「やっぱり……何か起きてると思ったらこんなことになってるなんて!」


 マリア:サーペント。

 銀の髪をなびかせ、竜の力を纏いながら槍を構える。


 「マリア……!どうして!?」


 「教室であなた達の話、少しだけ聞いてしまったんです。

 ドラゴンの耳は、ちょっとだけ……いいんですよ?」


 彼女は静かに笑い、すぐさま術式を展開する。


 「《烈風召陣(テンペスト・ヴェイル)》!」


 竜の魔力が風となり、全員を包む。

 防御強化と魔力の循環を促す加護が付与され、空気が一変する。


 「これは……助かる!」


 リリスが息を整えながら立ち上がる。


 「思いがけない援軍だが……これで五人揃ったな」


 アスラが剣を握り直し、口元に僅かな笑みを浮かべた。


 「全員、ここで奴を止める!」


 アデルの声が響いた。

 全員の瞳に、決意が宿る。


 「……いいだろう」


 シリウスが一歩、前へ出た。


 「その力、見せてもらおう。“選ばれなかった者”たちの、足掻きを」


 魔力の奔流が交差する。


 学園の命運を懸けた、最初の“本当の戦い”が、今――幕を開ける。

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