【第十五話:封じられた場所、語られぬ声】

 ギイ……と、古びた扉が軋みを上げながら開かれる。


 アデル:セリオルとリリス:ブラッドは、旧研究棟の中へと静かに足を踏み入れた。


 中は深い闇に包まれていた。

 窓の少ない構造ゆえに自然光は届かず、廊下に並ぶ燭台の火もとうに消えて久しい。

 魔力の残滓が漂う空気は、湿り気と共に肌にまとわりつくようだった。


 「……薄暗いし、魔力が変に重いわね」


 リリスが呟くように言う。

 彼女の目が細められ、その双眸はわずかな闇の揺らぎを見逃すまいとするかのように鋭さを帯びていた。


 「だな。外とは明らかに空気が違う。……まるで魔力そのものが沈んでるみたいだ」


 アデルも頷き、警戒を強めながら歩を進める。


 リリスは腰のポーチから小さな水晶球を取り出し、魔力を通して光を灯す。

 淡い紫の光が球体に宿り、ふたりの行く手をかすかに照らした。


 「この建物……内部構造が妙ね。外から見たときよりずっと広く感じる」


 「空間拡張か、古い魔導技術による構造変異だろうな」


 朽ちた床板は所々きしみ、壁にはひび割れが走っている。

 けれど、構造自体は崩れておらず、むしろ内側へ進むほど空間が“広がって”いるのをふたりは確かに感じていた。


 やがてふたりは、大きな広間にたどり着いた。

 天井は高く、かつては実験に使われたと思しき魔法陣の残滓が床にうっすらと刻まれていた。


 周囲には複数の扉が並び、それぞれが別の部屋へと繋がっている。


 「この魔法陣……何かを“封じる”用途に使われていた痕跡がある」


 リリスはしゃがみ込み、床に手をかざす。

 古びた魔力の粒子が、指先に微かに反応を返した。


 「でもこれは、ただの封印じゃない。中に閉じ込めるだけじゃなく、“外側の魔力を取り込む”ような構造……」


 「どういう意味だ?」


 「つまり、外の空間と連動させて、魔力の一部を出し入れできるような……そういう術式」


 アデルは険しい表情でその言葉を受け取った。

 それが意味するものは、封じられた“何か”が今も学園内に影響を及ぼしている可能性だった。


 ふたりはそれぞれの部屋を調べていく。

 一室には崩れた試験装置が転がり、魔導具の残骸が山のように散らばっていた。


 リリスは机の下に残されていた、焦げた手記の切れ端を拾い上げる。


 《――再現性のない反応。自我の兆候。だが記録は破棄された》


 「これ……なんなの?ここの施設ってほんとに学園の施設なの?」


 「わからない……誰が、何のために……?」


 答えのない問いが、旧研究棟の静寂の中に落ちる。


 やがて、ふたりは広間の端にある石造りの階段へとたどり着いた。

 階段は下へと続き、その先には更なる闇が口を開けている。


 「地下……さっきよりも魔力の濃度が高い」


 「そっちも調べてみましょ」


 そう言って、ふたりが階段を下りようとした、その時だった。


 「――君たち、こんなところで何をしている?」


 静かながら、澄んだ声が背後から響いた。


 振り返れば、そこに立っていたのは黒髪で銀色の瞳を持つ青年――シリウス:ヴェルグレイン。

 上級生であり、常に冷静な態度を崩さない彼の姿に、アデルとリリスは反射的に身構えた。


 「……シリウス先輩?」


 「封印が解かれていたから見回りの途中に気づいた。中に誰か入ったかもしれないと思って、調べに来た」


 彼は淡々と語る。


 「君たちが封印を解いたのか?」


 その問いに、アデルが言いかけたが、リリスがわずかに口元を引き結んだ。


 「……封印が解除されていた痕跡を見つけたから調べようとしたの。なにかあるんじゃないかって」


 「封印が…?そうか、それは大変なことだ。ただし君たちが調べることではないのは分かっているな?」


 シリウスはそう言って、階段へと向かうふたりの前に静かに立ちはだかった。


 「危険があるかもしれない。こういったことは教師や上級生が調査を行うものだ。判断を誤ってはいけない」


 その声音には感情がなかった。

 けれど、拒絶の意思は明確だった。


 アデルは息を飲み、リリスと視線を交わす。

 彼女もまた、不満を隠さなかったが、無理に押し通すのは得策でないと悟っていた。


 「……わかりました。今後は気を付けます」


 「ありがとう。封印はこちらで再び施して、先生方には私から報告しておく」


 シリウスはふたりを穏やかに見送り、再び扉の前へと立った。


 アデルとリリスは静かに背を向け、旧研究棟の外へと歩き出す。


 後ろでは、再び結界の術式が編まれ、封印が強化されていく音が響いていた。


 「……やっぱり、見つけた痕跡は“何か”の始まりだった気がする」


 「だとしても、無理に踏み込んで怪我しても意味ないからな。また次があるさ」


 「……そうね」


 リリスの声には未練と冷静さが交錯していた。


 「また、調べに来るつもりか?」


 「ええ。……諦めるのは、性に合わないのよ」


 彼女は夜風にそっと髪をなびかせ、闇の向こうに目を細めた。


 その瞳の奥に浮かぶものは――微かな怒りと、静かな誓い。


 誰も知らぬ影がまだ眠るその場所に、ふたりは確かに足跡を残した。



 ――やがて、旧研究棟の扉が再び閉じられる。


 そこにひとり残されたシリウス:ヴェルグレインは、術式の光が完全に消えるのを見届けると、静かに息を吐いた。


 「……そろそろ頃合いか」


 誰にともなく呟かれたその声は、かすかに冷たく、そして何よりも静かだった。

 封印の術式に指をかざし、ひとつ、余計な“干渉”が加えられていないかを確かめるように触れていく。


 「探る者が出始めた……となれば、“次”に備えておくべきかもしれないな」


 その声には、怒りや焦りはなかった。ただ淡々と、けれど確かな“意志”が滲んでいた。


 そして彼は踵を返し、闇の奥に視線を投げる。


 「……目覚めるには、まだ少し早いが……その時は遠くない」


 月光に照らされた横顔に、一瞬だけ影が走る。

 誰にも見せぬその表情には、冷静さの奥に潜む――謎めいた企図が色濃く浮かんでいた。


 旧研究棟の封印が再び静かに脈動を始める中、彼の足音だけが無言のまま夜の通路を遠ざかっていった。




 旧研究棟を後にしたアデル:セリオルとリリス:ブラッドは、無言のまま学園中庭へと足を運んでいた。


 日が傾きかけた中庭には、橙色の光が差し込んでいた。

 石畳の道の先には、手入れの行き届いた草花が静かに揺れ、風に乗って微かに花の香りが漂ってくる。

 中央には噴水があり、水音が心地よいリズムを刻んでいた。


 放課後の賑わいも既に薄れ、生徒の姿はほとんどない。

 学園の一角にあるとは思えないほど静かな空間で、二人の靴音だけが控えめに響いていた。


 「……変な空気だったわね」


 リリスが、ぽつりと呟いた。


 「封印……あの結界、誰かが意図的にいじった痕跡がある。それも、かなり巧妙に」


 「うん。俺もそう感じた」


 アデルはベンチに腰を下ろし、リリスもその隣に座った。

 空を見上げれば、陽はゆっくりと地平線へと沈みつつあった。


 「……それに、シリウス先輩。なんか、おかしくなかったか?」


 「ええ。あの人、冷静だったけど……あの空気の中で、妙に“馴染んでた”気がする」


 リリスは腕を組みながら、考え込むように言った。


 「それに、“あたしたちが封印を解いたのか”って聞かれた時、少し……いや、ほんの一瞬だけど、魔力に違和感を感じた。

  あれ、たぶん……知ってるわね、何かを」


 「……俺も、そんな気がした。あのとき現れたタイミングも、できすぎてる」


 アデルは噴水の方へ視線を向けた。

 水面に映る空はゆらぎながら、まるで彼らの思考の迷いを写しているようだった。


 「やっぱり……旧研究棟の地下、何かある気がする」


 「そうね。空間拡張の構造だったし、地下もかなり深く作られてる可能性がある。単なる研究棟って雰囲気じゃなかった」


 「それに……何より、あの時の気配。俺には“なにか”の存在を感じた」


 アデルは拳を握りしめた。

 それは確証のない直感に過ぎなかったが、心の奥で警鐘のように鳴り響いていた。


 「明日、もう一度調査しよう」


 「……いいの? 教師に報告しなくて」


 リリスが問い返す。


 「報告したところで、教師が動き出すまでに時間がかかる。

 書類処理、会議、確認――その間に“何か”が動いてしまったら、間に合わない。俺たちで、先に確認する必要がある」


 その言葉に、リリスは少し目を伏せたが、すぐに顔を上げた。


 「……あたしも、同じこと考えてた。ここまで来たら、最後まで付き合うわよ」


 ふたりの目が合う。


 そこには、軽口や迷いはなかった。

 ただ、目の前にある“何か”と向き合う覚悟だけがあった。


 「それなら……今夜のうちに最低限の準備はしておこう。魔力の回復剤、光源魔法の備え、それから――」


 「武器の調整も必要ね。あたしも、あの場所を調査するためにいくつか対策を考えておくわ」


 そう言ってリリスは、小さく伸びをした。

 夜の風が制服の袖を揺らし、金糸のような月光が中庭を照らし始める。


 「やっぱり、落ち着くわね……こういう静かな場所って」


 「だな。……でも、平穏っていうのは、ちゃんと守らなきゃ壊れる。簡単にな」


 「……それが、“魔導師”ってやつの役目なのかもね」


 リリスが小さく笑い、アデルも肩を竦めた。


 夜の気配が中庭に広がっていく。

 二人の心には、確かな疑念と、新たな決意が芽生えていた。


 ――明日、真実を確かめに行く。そのために、今は準備を整えよう。

 それが、静かに交わされたふたりの誓いだった。


     ◇


 夜も更け、アデルは静かに学生寮の廊下を歩いていた。

 灯火の魔導ランプが柔らかく壁を照らし、足音は絨毯に吸い込まれていく。


 扉の前に差しかかった時、後ろから声がした。


 「アデル。夜遅くにどこ行ってたんだ?」


 振り返ると、シグ:エルグランドが廊下の突き当たりから歩いてきていた。

 きちんとした制服姿のまま、手には分厚い魔導理論書を抱えている。


 「……ああ、ちょっと外の空気を吸ってただけ。勉強の合間にね」


 アデルは笑みを浮かべ、さりげなく話を逸らそうとする。


 「そっか。でもさ……顔色が少し険しかったような。何かあったのか?」


 「いや、ほんとになんでもないよ。ただ、ちょっと考え事してただけだから」


 アデルは扉のノブに手をかけながら、自然な口調で続けた。


 「それよりシグこそ、こんな時間まで勉強か? 相変わらず真面目だな」


 「まあね。課題もあるし、復習は大事だからな。君こそ、無理するなよ?」


 「……ああ。ありがとう。おやすみ、シグ」


 「ああ、おやすみ」


 軽く手を振って別れたあと、アデルは自室の扉を静かに閉めた。


 背中で扉にもたれかかり、息をつく。


 (……ごめんな、シグ。今はまだ、話せないことが多すぎる)


 部屋の窓から見える夜空は深く静かで、月が雲間から顔を覗かせていた。


 ――明日、全てを知るために。


 アデルは、心の奥で改めてその決意を固めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る