【第十四話:月下に潜む気配】
午後の講義中――教室内には、言葉では表現しきれない“重さ”が漂っていた。
どこか湿った空気が喉に張りつき、光すらも鈍く揺らいで見える。
そして、また一人……生徒が倒れた。
今度はミーナ:リュミエールだ。
椅子から崩れ落ちた金髪の少女に、生徒たちが一斉にざわめき始めた。
騒然となる教室。教師が慌てて駆け寄り、ミーナを抱き起こすが、返事はない。
「おい! ミーナ! しっかりしな! 何があったんだい!」
駆け寄ったグレイス:バーンレッドが声をかける。
だが先ほどの生徒と同様に、彼女の体からは魔力がほとんど感じられなかった。
「なんでミーナまで……さっきまで元気だったじゃねえかよ!」
タガロフがそばで怒鳴り、拳を握り締める。
グレイスは唇を噛みしめながら、ミーナの手を優しく握り続けていた。
マリア:サーペントは、手を胸に当てたまま窓の外を見つめていた。
自分の体内を流れる魔力が、どこかで軋んでいるような感覚――だが、それをどう言葉にするべきかが分からない。
(ミーナ……なにが起こってるんだ、さっきまでミーナは魔力が枯渇するような状況じゃなかったはずだ)
――――
教室の一番後ろの席。アスラ:マダリオンは椅子に座ったまま、静かに目を閉じていた。
耳を澄まし、呼吸を調整し、体内の魔力の流れに意識を向ける。
(やはり……魔力が濁ってる)
彼は“感覚のずれ”に敏感だった。
周囲の騒ぎや声の調子ではなく、“空気”そのものが音を立てて軋むような、この異質な流れに気づいていた。
(こんな状態が続けば、魔力の制御が乱れて暴走を引き起こす者も出る)
生徒の誰もがまだ、それに気づけていない。気配は微細で、だが確実に“そこにある”。
(これは……単なる偶然ではない)
その確信と同時に、彼の背筋に一筋の冷たい感触が走る。
“気配”は、明らかに広がっていた。重さも、速さも、少しずつ増している。
アスラはゆっくりと目を開けた。
その瞳には、冷たい決意が宿っていた。
―――――
アデルは、目の前で倒れている友人を見つめ、己の無力さを思い知らされていた。
(考えろ……空気が淀んでる。明らかに普通じゃない……)
魔力の流れがねじれるような違和感。アデル:セリオルは知らず知らずのうちに、手のひらに汗を浮かべていた。
喉が乾くのに、飲み込むのが妙に重たい。心臓の鼓動が妙に遅く、でもどこか不規則に感じる。
前の席では、額に手を当てた生徒が苦しげに目を閉じていた。
その隣の席の少女はペンを握ったまま固まり、まるで何かを“感じ取る”ように宙を見つめている。
「なんか、頭……痛くなってきた……」
「うそ、また誰か……倒れてる?」
ざわめきが、静かに、しかし確実に広がっていく。
教師の声すらも、どこか遠く、歪んで聞こえる。
まるで教室全体が“深い水底”に沈んでいるかのような錯覚。
音が遠のき、視界が少しずつ曇っていく感覚――それは幻ではなかった。
(明らかに何かおかしい……午前にも生徒が倒れた。どちらも魔力が枯渇していた……)
魔力枯渇――それ自体は珍しくない。
戦闘中の過剰使用や、回復の遅れ、あるいは心身の疲労などで起こりうる。だが、こうも連続して、同様の症状が続くのは異常だ。
(こんなに続けざまに? しかもこの違和感……教室の中だけじゃない)
アデルは指先に魔力を流し、自分の感覚を研ぎ澄ませる。
微かに感じる、“どこかから伸びる気配”。
それは、教室という枠を越えて、学園全体に滲んでいるようだった。
――ふと、教室内にリリス:ブラッドがいないことに、アデルは気づく。
(……リリスがいない。そういえば昼食の時から姿を見ていない)
黒髪の少女の姿が、教室のどこにも見当たらない。
今朝まで、確かに近くにいたはずの彼女が、いつの間にか消えている。
(どこへ……?)
アデルは立ち上がり、教師の目を盗んで静かに教室を出る。
内心でざらつく不安が、じわじわと心を侵していた。
◇
学園中央棟の一角にある保健棟では、倒れたミーナ:リュミエールが静かに寝かされていた。
白いベッドの上、蒼白な顔。呼吸はかすかに続いていたが、魔力の波長は驚くほど弱っていた。
「……これは、魔力を“使い果たした”というより、“吸い取られた”状態に近い」
魔導治癒師のひとりが低く呟いた。
周囲にいた助手たちは顔を見合わせ、騒がぬよう慎重に術式を展開する。
だが、ミーナの体からは魔力の再生が僅かにあるのみ。
「魔力が吸収されのに魔力の再生が追いついていない……?」
床に設置された診断結界が、ほんのわずかに揺れた。
「これが……他の生徒にも発生するとしたら……」
誰ともなく呟いたその言葉が、部屋の中に不安の種を落とした。
◇
その頃、学園の敷地の外れ――《旧研究棟》。
リリス:ブラッドは、その朽ちた建物の前で、黒いフードを深く被り、静かに佇んでいた。
封じられた外壁に漂う、魔力の痕跡。
結界自体に破損は見られなかったが、どこか“揺らぎ”のようなものを彼女は感じ取っていた。
(封印自体は健在。でも……誰かが通った痕がある)
リリスはしゃがみ込み、石畳の隙間に手を添えた。
触れた指先から、わずかに流れる魔力の痕跡。彼女の特異な感覚は、それを“残滓”として確かに感じ取っていた。
(足跡も痕跡もない。ただ魔力だけが、静かに残されてる……)
瞼を閉じ、息を深く吐く。
意識を集中し、地面に染み込んだ気配を探る。
「……痕跡を辿るには不十分。でも、ここが中心地なのは確か」
彼女は立ち上がり、封印の縁にそっと手をかざす。
淡い青白い光が走り、術式の輪郭が浮かび上がる。
しかしその一角に、ごく僅かな“ノイズ”――魔力のねじれが存在していた。
「ここ……部分的に脆くなってる」
リリスは指先でその箇所をなぞる。
封印の歪みは、外部の誰かが意図的に作り出したものだった。
内側から、あるいは……内部に潜む存在によって。
(もしこの中に何かが潜んでいるなら……このまま放ってはおけない)
背後から、足音。
「足音、隠す気なかったみたいね……」
「隠しても無駄だと思ってな。お前の感覚は鋭い」
アデルだった。彼はリリスの隣に立ち、門を見上げる。
夜の月光に照らされて、彼の顔にも緊張が浮かんでいた。
「こんな場所で……何をしていたんだ?」
「学園……今日一日、空気が妙だった。魔力の流れも、感覚も、すべてが歪んでた。私は、その痕を追ってここまで来た」
「やっぱり……感じてたのか」
アデルが短く頷き、唇を引き結ぶ。
「……ミーナが倒れた。午前と同じく、魔力の枯渇だそうだ」
「えっ……ミーナが? 大丈夫なの!?」
「とりあえず、保健棟で治療中だ。今のところは命に別状はないけど……安心はできない」
リリスの目が僅かに揺れる。
「……だったら、急いだ方がいいわね」
「お前って、こういうときは本当に迷いがないな」
「考えるより、感じた方が早いの。……本能ってやつよ」
「怖くはないのか?」
その問いに、リリスはわずかに間を置いて答える。
「……怖いわよ。でもね、“見過ごせない”。そう思っただけ」
アデルは、少しだけ目を細めた。
彼女の言葉に、自分の中にあった不安が、少しだけ軽くなるのを感じた。
「……二人で入ろう。俺も気になってたんだ。今日は、何かがおかしい」
リリスが静かに呪文を唱え始める。
術式の鍵をひとつずつ解き、封印の結界を裂く。
ゴウン……と鈍い音を立てて、扉がゆっくりと開かれる。
内部から吹き出した空気は冷たく、まるで何かが“目を覚ました”ようだった。
「リリス……何かあったら、すぐに引け。無理はするなよ」
「そっちこそ。あたしは……“予感”がある。ここに何かがいる。気をつけて」
ふたりは無言のまま、旧研究棟の闇の中へと足を踏み入れた。
石造りの廊下、崩れかけた柱、埃の積もった階段。すべてが長い時を経て、今なお“何か”を閉じ込めているかのようだった。
その奥底で、確かに何かが――目覚めようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます