【第十話:双つの意思、重なる刃】
魔導学園ルクシア、訓練林の奥地――。
古木が天を覆い隠すように枝を広げるその先に、半円形の石畳が眠っていた。
苔むした足場、崩れた結界柱の残骸。魔力の傷跡が残るその場には、過去に幾度も戦いが繰り返されてきたことを物語るような、重たい空気が漂っている。
中央の魔力分散陣は、かすかに銀光を帯びていた。まるで眠っている龍の目のように、静かに、だが確かに鼓動している。
「ここなら……誰にも、見られずに済みますね」
マリア・サーペントは、銀色の長槍を肩に預けたまま、微笑を浮かべて言った。
白の演習服に黒の魔導繊維製パンツ。凛としたその姿は、まさに静と動を併せ持つ槍使いそのもの。
「本当にいいのか? 模擬戦って言っても、これは“非公式”だ」
アデル・セリオルは剣を黒鞘ごと地に突き立て、軽く息を吐く。
空気の流れと魔力の密度を肌で感じ取りながら、まっすぐマリアを見つめた。
「構いません。……お互いに、今の力を確かめたかったのでしょう?」
「……じゃあ、遠慮はしない。今日は“光”だけで行かせてもらう」
ふたりは無言で距離を取った。
合図も、審判も、観客もいない。ただ――信頼だけが、この模擬戦を成立させていた。
マリアが動く。
一歩踏み出したその瞬間、空気が張り詰める。砂塵が巻き上がり、槍が真っすぐに閃く。
《竜牙穿(ドラグ・スラスト)》!
アデルは即座に身を沈め、地を滑るように後退。
その手に光が集まり始める。
《光刃解放(ルミナス・ブレイド)》!
白光が渦を巻いて膨らみ、剣の形を成す。
光剣を握るアデルの瞳は、射抜くようにまっすぐマリアを捉えていた。
「やはり……闇は使われないのですね?」
「……まだ同時に使いこなすほど器用じゃないんだ。暴走しても困るしな」
「……その選択を、私は尊重します」
マリアの連撃が始まった。
流麗な槍捌きが、空間を滑るようにアデルを追い詰める。
アデルは、剣で応じる――が、マリアの一撃一撃は、鋭く、的確だった。
(速い……けど、読めないわけじゃない!)
アデルはわずかに距離を取り、左手に魔力を収束。
《光粒爆砕(フォトン・ブラスト)》!
炸裂型の光弾が放たれ、マリアの足元へ弧を描いて着弾する。
爆ぜる閃光。咄嗟に槍で地を突き、跳躍してかわしたマリアが上空で旋回する。
「悪くありません、ですが――まだです!」
空中から逆手に構えた槍に、重力が乗る。
《竜墜翔撃(ドラゴンダイブ)》!
唸るような風音とともに、槍が大気を裂き落下する。
アデルは剣を胸元に構え、魔力を即座に展開。
《光障壁(ライト・シェル)》!
前方に張られた光の壁が、槍と激突。
だが防ぎきれずに壁は砕け、アデルは衝撃で一歩後退する。
「さすが、重い一撃だな……!」
「あなたが光で来るなら、私も全力で応じます!」
マリアは着地と同時に再突進。
《竜牙旋槍(ドラグ・スピンランス)》!――風を巻き込む回転突きが続く。
アデルは防ぎながら、再度距離を取った。
(ここで……決める!)
《太陽光線(ソーラーレイ)》!
空中へと掲げた剣から、収束した光線が一直線に放たれる。
熱を伴う光の奔流が、正面の空間を灼き、樹々の枝葉が焦げた香りを広げる。
マリアは槍で魔力を滑らせ、紙一重で回避――その間合いへ再び踏み込んだ。
「これで――終わり、です!」
喉元に伸びた槍と、心臓に届く寸前で止まる光剣――
互いの意志がぶつかり合った刹那。時間が、静かに止まった。
「……引き分け、だな」
アデルが息を吐き、マリアも槍を引いた。
「ええ……今の私たちには、これが“答え”でしょう」
互いの武器が消える。
緊張の糸が解け、ふたりは小さく笑みを交わした。
「光だけでここまで戦えるなら、きっと――その先にも行けます。闇をも制したあなたと、また戦える日を楽しみにしています」
「そのときは……手加減なしで、行こうぜ」
「ふふっ……望むところです」
午後の陽光が、木々の隙間から差し込む。
静かな風が、二人の髪と演習服をやさしく揺らしていた。
剣と槍――交わした刃と想いの記憶は、誰にも知られずに、森の奥へと溶けていった。
◇
模擬戦を終えた後、アデルとマリアは共に森をあとにした。
並んで歩く帰り道、待っていた二人が声をかけてきた。
「おつかれさん! で?どうだったんだ?」
陽気な声で手を振るのは、タガロフ:ライク。肩に背負った大剣が揺れ二人の模擬戦の結果を聞いてきた。
「ん?なんのことだ?」
「とぼけるなって、お前ら模擬戦したんだろ?」
「は?なんで知ってるんだよ」
「あたしが教えたのよ、前にアデルとマリアが話してるの聞いたからね」
黒髪の少女、リリスは自慢そうに近寄ってくる。
だが表情には、どこか嬉しそうに微笑むような優しさもあった。
「はあ、リリスにはバレてたのか……まあな。マリアも俺も、本気でやり合ってきた
結果はまあ想像にお任せするよ。」
「おいおい、そりゃねえだろ!そんじゃ次は俺が相手しねえとかぁ?」
「やめてくれ、今はもう勘弁だ……疲れた」
笑いながら肩をすくめたアデルに、タガロフも豪快に笑い返す。
一方、リリスはアデルの隣に歩を並べ、ふと静かに囁いた。
「魔法の制御はうまくいったの?」
「え?ああ、今回は片方の属性しか使わなかった、それでも収穫はあったさ」
「そ!まあ、ならいいけど!あんたって割と無茶しそうなタイプっぽいし」
「心配してくれてんのか?」
「ばか!魔力暴走したらマリアの方が大変だからよ!」
リリスはふんと顔を背けるとさっさと行ってしまった。
(リリスは相変わらずだな)
「おい!待ってくれよー」
言葉を交わしながら、四人は学生寮の方へと歩いていった。
夕焼けが、その背中を赤く照らしていた。
◇
模擬戦を終え、夕暮れの鐘が鳴り響く頃。
アデル・セリオルは学生寮の自室に戻っていた。
窓からは橙色の光が差し込み、木々の影が静かに部屋の中へと伸びている。
寮の一室は決して広くはない。だが、それが妙に心地よかった。
木目調の床に、小さな書棚と机、ベッドがひとつ。壁にはアデルが使う訓練用の剣と、魔法陣を描いた図面が掛けられている。
机の上には整理されたノートと、数冊の参考書が積まれていた。
「……ふう」
制服の上着を脱ぎ、椅子にかける。
ベッドに腰を下ろし、アデルは静かに空を見上げた。
「今日のマリア……強かったな。槍の扱いも、魔力の制御も、全然ぶれてなかった……」
つぶやく声に、自嘲はなかった。ただ、純粋な感嘆と少しの悔しさ。
アデルの中にある“焦り”が、静かに胸の奥で渦巻いていた。
(……闇を封じて、光だけで戦った。それで引き分け、か。なら次は……)
思考が巡る。光と闇――二つの力を持っていることは、誇りであると同時に、呪いにも似ていた。
「使いこなせないなら、持っていても意味がない。……いや、違う。意味を見出せるようにしなきゃ」
机に向かい、ノートを開く。
そこには、魔力操作に関するメモや、新しい技の構想がびっしりと記されていた。
ページをめくる指先に、力がこもる。
記憶の底から、あの時の情景が蘇る。
制御できずに、暴走した“あの日”。
――目の前の人間を傷つけかけた、恐怖と罪悪感。
自分が自分でなくなっていくような、あの感覚。
(あんな力を、もしまた制御できなくなったら……)
ベッドから立ち上がり、机に向かってノートを開く。
そこには、魔力操作に関するメモ、新しい技の構想、そして――
《光闇双極》と記された見慣れない技名が、空白のページに走り書きされていた。
「……まだ形にはなってないけど、いずれ必要になるはずだ。両方の力を……対として制御する」
それは、アデルが夢想する“次の一歩”だった。
光と闇、それぞれの特性を剣に具現化し、両手に握る二振りの刃。
相反する力を、正しく制御できたとき――初めて完成する技。
(けど、片方を具現するだけでもあれだけ負荷があるのに、両方を同時に……)
危険なのは理解している。
魔力の暴走、精神への負担、最悪の場合は意識を手放す恐れもある。
それでも。
「やらなきゃ、意味がない。――持ってる力に、意味を持たせるために」
窓際に立ち、夕焼けの空を見上げた。
空には、光と影が複雑に交差しながら、静かに一日を終えようとしている。
「少し休憩するか…詰め込みすぎても逆効果だしな。」
アデルは自身の部屋にグラスに飲み物を入れながら一息入れることにした。
今日の戦いの中で、ほんの少しだけまた前に進めた気がした。
誰かと本気でぶつかり合うことで、自分自身が前へ進めること。
「……もっと強くならなきゃな。自分の力に、自分で誇りを持てるように」
呟きながら、アデルは再びノートに視線を落とした。
魔力の回路、技の展開速度、魔法の組み合わせ――ひとつひとつが、未来へと繋がる階段のようだった。
その夜。
ルクシアの空には、光と闇が交錯するような雲がゆっくりと流れていた。
アデルの部屋の窓から見える夜空には、月が高く昇り、柔らかな銀光を世界に降り注いでいる。
窓際に立ち、月を見上げるアデルの目に、決意の色が灯っていた。
(いつか――この手で、この力が俺のものだって証明してみせる)
その決意を胸に、少年は静かに目を閉じた。
夢と現実、希望と不安の狭間で、それでも彼は、前を向き続ける。
誰かに強いられるのではなく、自分の意思で立ち上がるために。
そして、再び誰かと剣を交えるその日のために。
◇
マリアとリリスは、模擬戦を終えたあと、学食の一角で静かに夕食をとっていた。
夕食のメニューは、よく煮込まれた肉と野菜のシチューに、香ばしいパン。そして、果実をベースにしたひんやりとしたデザートが添えられている。
魔導学園ルクシアの外に広がる
「ねえ、マリア。アデルとの模擬戦、どうだったの?」
リリスがスプーンをくるくる回しながら、興味ありげに尋ねた。
「え? そうですね……アデルは光だけを使ってきましたが、今のところは――引き分け、というところでしょうか」
「ふーん……あいつ、光と闇の両方を制御しようとしてるみたいね。無理しなきゃいいけど」
「ええ。光と闇――本来は相反する属性です。彼のようにその両方を持つ者は、きっと稀有なのでしょう。……でもそれは、同時に彼にしか抱えられない苦しみや、乗り越えなければならない壁がある、ということでもあります」
そう言って、マリアは口元に笑みを浮かべながら、シチューを一匙口に運ぶ。
「まったくもう……でもアデルのことだから、どうせいつかは両方とも使いこなしちゃうんでしょ」
「ふふ。リリスは本当にアデルのことをよく見ているのですね」
「え、ええ? そ、そんなことないわよ!? ただ……ああいう特殊な属性を持ってると、やっぱり大変なんじゃないかなって思っただけ! ……ただの想像よ、想像!」
リリスは目を逸らし、ほんのりと頬を赤く染めながら慌てて弁明した。
「……そういうことにしておきますね?」
マリアが珍しく、からかうような口調で微笑む。ほんの少しだけ、頬も緩んでいた。
「なによその顔はー? ……マリアって、そんなふうに笑うこともあるのね。てっきり、竜族ってもっと堅い感じかと思ってた」
「よく言われます。……ですが、私は竜族ではありますが、両親は人間なんです。ですので、そういうところは、多少影響しているのかもしれません」
「え、えええっ!? 初耳なんだけど! それ、もっと詳しく教えてよ!」
「そうですね……では、それはまた次の機会にでも」
「えぇーっ!? そこまで言っといて気になるじゃない、お願い、教えてよ~!」
リリスは手を合わせ、子どものようにマリアへ懇願する。
「ふふ……今はまだ、内緒です」
マリアは微笑んだまま、最後のデザートを静かに口に運んだ。
そんな会話を交わしながら、ふたりは少し遅めの夕食を楽しんでいた。
卓上には、温かい食事と、静かに揺れる燭火の光――
それは、確かに少しずつ芽吹き始めた友情の灯のようにも見えた。
そして、魔導学園ルクシアの一日が、静かに幕を下ろしていく。
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