ある少女の独白 B

 時が経ち、少し背も伸びました。

 私は県内の盲学校に通うことになり、自分たちが『普通』と何が違うのかを理解していきました。


 テレビの映像、信号機の色、ペットボトルの中身、時計の文字版、お化粧の仕方、靴下の左右の柄、「きれい」……。



 この世界のあらゆるものは『見える』を前提で造られていて、私たちはそれを認識することは出来ません。

 私たちの『普通』は、彼らの『普通』ではなく。

 けれど、私たちは同じ世界に生きるしかない。


 とてつもなく巨大な差異であると、成長するにつれ私はその身で実感しました。

 同時に、どれだけ施設のみんなが私を想って接してくれていたのか、改めて感謝しました。





 それでは『普通』ではない私たちは、『まとも』には生きられないのでしょうか。

 一生、『普通』の手を煩わせて生きる他ないのでしょうか。

 それは違います、断じて違います。

 

 盲学校の先輩には、サラリーマンとして働いている人がいました。記憶力を活かし、会議の速記などを担当しているそうです。

 その人は『普通』の友達とも仲が良く、一緒に旅行にいくことも多いそうです。


 弱視であっても、打楽器の音楽家として活躍している先輩もいました。

 彼は結婚もしていて、奥さんお子さんと一緒にゲームをするのが趣味なのだと言います。


 マッサージ師として働く人、点字の校正をする人。ほかにも、色々な形で私たちは『普通』の世界で生きていました。

 不便がないわけではないでしょう。それでも、彼らは自分に出来ることを全力でやって、誰かの役に立って生きています。



 そしてそれは、世界の方も同じことでした。

 ボタン一つで料理してくれる自動調理器。文字が読めなくても世界中の本を読み聞かせてくれるスマホのアプリ。点字が飛び出てくる液晶ディスプレイ。


 それらは、『普通』の人たちが、私たちが快適に暮らせるよう造ってくれたものでした。

 今は昔に比べて随分過ごしやすくなったと、先輩たちは語ってくれました。



 その時、はじめてわかったのです。

 これが「きれい」という感覚なのだと。


 役割を全うする。他者を想う。

 そのために出来ることをする。そこに生じる善意、誠意。

 それこそ『普通』の人が「きれい」と評価する観念の根底にある。

 私にはそう思えたのです。


 だから私も、自分に出来ることをしよう。

 この不公平で素晴らしい世界で、精一杯生きたい。

 子供心に私は、そう願ったのです。

 




 * * * *





 そして私は盲学校で、もう一つ理解したことがありました。

 私に見えるものは、他の人には見えないということです。



 

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