廃遊園地 中

 松嶋まつしま邸のキッチンは立派だった。

 電気コンロは3口もあるし、作業スペースも洗い場も広い。

 そもそもこの家自体、新築の2階建て一軒家(ガレージ付き)である。なかなか裕福なご家庭なのが見て取れる。


「そろそろですかね」

「そうですね、鬼無里さん。十分煮えたかと」


 そんな立派なキッチンには大きめの鍋が二つ置かれ、ぐつぐつ煮えている。

 鍋の中身は、両方ともお粥である。

 ご主人に近所のスーパーでお米を買い足して貰って拵えた、実に6号分のお粥。冷房が効いた室内とはいえ、熱気で息がむせる。

 炊飯器でお粥を炊く方法もあったが、これだけの量を作るには鍋の方が手っ取り早かった。


 

 ご夫人と2人でリビングのテーブルに鍋を運ぶと、手持ち無沙汰そうな流河が申し訳なさそうに頭を下げる。

 彼女は家の慣れたキッチンでは1人で料理も出来るのだが、さすがに初見のお宅では少々危険なので待機してもらったのだ。


「恐れ入ります、全部準備をお任せして」

「2人いれば十分だったよ。それに、キミの出番はこっからでしょ」


 鍋の準備が出来たところで、ご主人が自室に戻っていた優衣ちゃんを連れて来てくれた。

 優衣ちゃんは食べ物の匂いを嗅いで、ただでさえ不健康そうな顔を更にしかめた。実に美味しそうなお米の匂いだが、今の彼女にはさぞ不快だろう。


 全員テーブルに揃ったので、私はそれぞれの席に粥を盛ったお椀を置く。

 優衣ちゃん以外の4人には別に必要ないのだが、場の雰囲気のため食べることにした。

 なんたって彼女にはこれから、山ほどお粥を食べてもらわなければならないのだから。周りも一緒に食べて、楽しいお粥パーティにした方がいい。


 テーブルには塩、醤油、ラー油、炒りごま、梅干し、香辛料など、キッチンのあらゆる箇所から引っ張り出してきた多様な調味料が並んでいる。

 これらは全て、お粥の味変用に準備したものだ。



「……あのさぁ、マジで食べさせる気?

 そもそもアタシ、食欲ないんだけど」

「それは承知しています。

 ですが、それでも召し上がっていただかなくてはなりません」


 嫌がる優衣ちゃんに、流河はこの『満腹大作戦』の意図を話す。


「いま、貴方の体にはが混ざり込んでいます。

 いわゆる霊の類ではなく、穢れとも呼ぶべき存在です。それが貴方の体からかてを奪っている」

「……アタシがあそこで見たのは、子供だったけど?」

「その時は過去に起きた事故から貴方が子供を連想した結果、『そう見えた』のでしょうね。

 私が感じている気配からして、それは特定の成り形を持たないモノなのです。例えるなら菌類のように」


 菌類というと、例のレストランは悪性菌の吹き溜まりのような場所だったのだろうか。

 優衣ちゃんは防護服も着ないまま、裸足でそこに近付いてしまったわけだ。


「これから、貴方の体からその穢れを追い払います。

 そのためには、まず穢れが求めている糧……つまりは生命いのちを大量に与えてやります。それが第一段階です」

「…………………………」


 説明を聞いても、優衣ちゃんは目の前の皿を睨みつけたまま動かない。その両脇では、ご両親が心配そうに彼女を眺めている。

 優衣ちゃんだけではない、我々を信用し切っていないのはご両親も同じだろう。

 暫くの間、リビングに沈黙と、鍋から溢れる湯気だけが流れた。

 そして──。


「……はあ、もういいよ。さっさと終わらせよ」


 なんと、優衣ちゃんは億劫そうにスプーンを手に取った。

 ご両親がその両脇で驚愕し、私は破顔した。なんだよ、話せばわかるじゃんかよ不良娘!


「なにアホ面してんの?

 別に、アンタらの話に乗ったワケじゃないし」


 と、そこで不良娘はすっげー腹たつ顔で私たちを嘲笑した。

 というか、主に私を。


「どっちにせよ、少しはメシ食べなきゃいけないんだし。1皿くらい食べてやるってだけよ。それ以上はどうせ入んないもん。

 アンタらもそれ食べたらさっさと帰りなさいよ、詐欺師共。

 わざわざ米炊きにやってきて、ご苦労様」


 ……クソガキが。病人じゃなかったらぶん殴ってるぞ。

 青筋立てる私をよそに、流河は嬉しそうに応じた。


「貴方が召し上がってくれるなら、それで十分です。

 せっかくお母様と明里さんが作ってくれたんですし、私たちもいただきましょう」


 彼女は丁寧に手を合わせ、悪戯っ子のように微笑む。


「みんなで一緒にご飯を食べれば、案外お腹に入るものですよ」





 普通に炊いただけのシンプルなお粥だったが、我ながら美味しく出来ていた。

 米袋には備蓄米とか何とか書いてあったが、コメはコメだ。いつ食っても美味し。

 ちょうどお昼時だったのもあり、夏の暑さにバテ気味だった体でもスルスルと飲めてしまう。

 私は大鍋からおかわりを自分のお椀によそいつつ、優衣ちゃんにニタニタ笑いかける


「うーん、やっぱお米は正義だねえ。まだまだ食べれちゃう。

 どうかな優衣ちゃん。4度目のおかわりはいけそう?」

「もご……っ、うざいんだよ、アンタ!」


 ビキリと眉を釣り上げながら、優衣ちゃんはスプーンを掻き込む手を止めない。

 ハムスターさながら頬を膨らませるその姿は、クソガキでも歳相応に可愛らしく見える。クソガキだけど。

 食前の態度とは裏腹に、優衣ちゃんは最初の1皿を食べ終わると、すぐにおかわりを重ね始めた。

 2週間にも渡る半絶食で体が飢えていたのだろう、凄まじいペースだ。


「……っ、なんで…!?全然、食べられなかったのに……!」


 本人も自分の異変に驚きつつ、ガツガツと飯をかき混んでいく。

 その両脇で、ご両親は喜色満面で娘を見つめている。

 拒食症だった娘が突如快復したことに、困惑よりも安堵と喜びが勝っているのだろう。ご夫人なんか目に涙まで浮かべてる。 



 ただ、安心するのまだ早い。

 異変が生じたのは、食事開始から1時間ほど経ってからだ。


「優衣、その辺にしておきなさい。

 いくらお粥だって、急にそんなに食べたら体がびっくりするぞ」

「うるさい……わかってる……わかってるけど……。うぶ」


 ご主人の心配をよそに、優衣ちゃんはまだスプーンを苦しそうに口に運んでいる。

 2つの大鍋は殆ど空になっていた。

 最初は娘の食べっぷりを嬉しそうにしていたご両親も、異常な食欲に心配が湧いてきている。

 彼女は脂汗を顔中に浮かべながらも、それでも食事を止めようとはしない。


 それはもはや食べているのではない。

 無理やり食べさせられているかのようで。


「……あ、んた……ら。んぐっ。

 なに、したのよっ。これ……」

「何かしているのは、貴方の中にいる存在です。

 そして我々が何かするのは、これからです」


 テーブルを挟み、こちらを睨みつける優衣ちゃん。声が震えているのは怒りのせいだけではない、怯えているのだ。

 流河は平坦な声色で答えると、警戒するご両親に尋ねた。


「すいません、お手洗い場をお借りできないでしょうか」





 立派なお宅に相応しく、松嶋邸はトイレも広い。

 膨れたお腹を抑える優衣ちゃんを私と流河でなんとか連れ込んでも、3人入れるだけのスペースがある。

 開いたドアの向こう側の廊下では、ご両親が不安げに様子を伺っていた。

 自動開閉した便器の前に優衣ちゃんを膝立ちにさせ、2人で両側から背中を優しくさする。


「さあ優衣ちゃん。

 全力でドバーッて吐いちゃって。ドバーッて」

「うっ、ちょっ……ガチでなんなのよ。……っ」


 優衣ちゃんは顔を青ざめさせ、息を荒げている。


「わかるよー。吐く寸前まで食べるの、めちゃ苦しいよね。

 私もバスケ部やってた頃に、合宿で似たような経験あってさ。そういう時は、思いっきり吐いた方が楽になれるよ」

「知るかっ……。はあっ、本当無理なんだって……」


 息も絶え絶えになりつつ、彼女はギュッと目を瞑る。

 吐きそうで吐けない、そんなところか。


「──申し訳ありません、優衣さん。

 少し、失礼しますね」


 流河は右手で優衣ちゃんの背中をさすりながら、左手で手探りで彼女の顔に触れた。

 そして、思いっきり左手の人差し指と中指を、彼女の口の中に突っ込んだ。


「────っ!」


 ビクン、と反射的に体を痙攣させる優衣ちゃんを、私は反対側から押さえつける。

 流河はそのままグリグリと指を喉奥に捩じ込みつつ、両目を薄く開いた。


「よし、捕まえた」


 流河は突っ込んでいた指を勢いよく引き抜く。

 と同時に、優衣ちゃんが嘔吐した。

 呻き声を上げて、胃液と大量の米粒を勢いよく便器にぶち撒ける。


「お゛、えええええああ!」


 げえげえと彼女は吐きつづける。

 口と鼻から吐瀉物を溢し、目からは涙が溢れた。

 吐いて、少し息をついて、また吐いて。

 私はその間ずっと、優衣ちゃんの背を摩っていた。


 何分かして嘔吐の波がやっと落ち着き、胃の中身を全て吐き出した優衣ちゃんは、放心したようにぺたんと座り込んだ。

 お疲れ様、よく頑張ったね。

 流石に居ても立っても居られなくなったのか、ご両親が廊下から上半身を突き出して大きな声を出した」。


「ちょっと、優衣!大丈夫な──」


 ご夫人は最後の言葉を飲み込んだ。

 流河が左手に摘まんだ、を見てしまったから。




 ソレは、ドス黒い色のミミズにのように見えた。




 胃液に塗れぬらついたソレは、びちびちと体を跳ねさせ、流河の指の間でもがいている。

 よく見ると、その体はミミズのような綺麗な曲線ではない。細長い紐状の体は土くれの如くデコボコとしている。


「はや、みねさん。ソレは、一体……?」


 呆然としたご夫人の声を背に受けながら、彼女は青い目でミミズ擬きを一瞥する。


「……うん、これなら大丈夫」


 ぽちゃん。

 彼女は安心した声で呟くと、ミミズ擬きを便器の中に落とした。

 ミミズ擬きは吐瀉物の海の中で、まだもがいている。


「明里さん、お願いします」

「あいよー」


 所長に代わって、私は壁面に取り付けられたタッチパネルの『流す』を押した。

 便器に水が流され、汚れた水流とともに吐瀉物を渦巻かせる。

 ミミズ擬きは吐き出された米粒と共に一度だけ浮き上がると、凄まじい勢いで排水溝へと押し流されていく。



 そして、水に流されて姿を消した。



 

 











 










 







 



 





 




 











 







 





 


 


 



 

 








 


 2階建ての立派な一軒家である。

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