No.85 廃遊園地

 月明かりの中に鎮座するメリーゴーランドは、世界の終わった後の光景のように静かだった。

 かつて大勢の子供たちの笑顔を運んでいたであろう白馬は、泥と錆で汚れきっており見る影もない。

 経年劣化のせいか、何頭かの馬は手足のみならず頭部すら欠けていた。

 そのグロテクスさを見ていると、胃がワイヤーでキリキリ締め付けられるような、もどかしい不安感に襲われる。


──悪くないぞ、この感覚。やっぱりこの遊園地に来て正解だった。


 冷や汗が滲む手で懐中電灯を握り締め、ユイはほくそ笑んだ。



 コズモ遊園地は、平成初頭に静岡県浜松市はままつしの山間部に開業された、小規模な遊園地だった。

 「雄大な自然の中、家族と最高の思い出を」などというナンセンスなキャッチコピーのもと開発された遊園地は、オープン当初は中々の賑わいを見せていたらしい。

 近隣のキャンプ場と提携したのが功を奏したか、県外からもお客が訪れるほどだった。


 ところが、オープンから数年もしないうちに、園内の飲食店で食中毒による子供の死亡事故が発生。

 それを機に客足は一気に遠のき、元々の交通の不便さも相まって、経営は悪化の一途を辿る。


 経営陣の努力も虚しく、開業から10数年もしないうちに遊園地は閉業。

 跡地を買い取るものもおらず、現在では廃墟と化したアトラクションが、ただ風化を待つのみとなっている。



──大人って、本当に馬鹿ばっかり。

 わざわざ山を切り開いて川を埋めて、何十億円もかけたのに、結局は巨大な鉄クズを残しただけ。

 死亡事故があってもなくても、ちょっと頭を使えば、こんな山奥に遊園地を開いたって長続きしないことはわかるだろうに。


 ユイは大人が嫌いだった。

 ああしろこうしろと口煩い両親も、生徒をいい大学に送り込むことしか考えてない学校の教師も、どいつもこいつも頭が悪い。

 古臭い考えしか出来ない大人たちと話していると、カビの生えた価値観が自分の脳味噌にも染み込んでくるようで、無性に苛々する。


 そんな馬鹿な大人に頼らなくては生きていけない、自分が子供であると言う事実。

 何よりもその現実が、堪らなく不愉快だった。考えるだけで、頭を抱えて叫び出したくなるほど。





 ユイが廃墟探索を始めたのは、1年前の高校一年生の夏からだった。

 日々の生活にギリギリとしたストレスを感じ、何でもいいから憂さ晴らしを探していた。

 そんな時、動画サイトで配信者が古びた廃村を探索する動画がたまたま流れてきた。

 配信者のトークはつまらなかったが、人間のために造られたにも関わらず、誰の管理もされていないその空間は、ユイの大嫌いな『日常』から縁遠いものを感じた。


 何かスリルのあることがしたい。

 でも恋愛は面倒くさそうだし、ドラッグなんかに手を出すほどの勇気はない。

 そんなユイにとって、廃墟探索はちょうど良い遊びだった。

 住居への不法侵入が犯罪なのはわかっていたが、それくらいでなければ面白くない。


 ユイの火遊びを察した両親は「危険だからやめなさい」と血相を変えて喚いたが、それが返ってユイの反骨心を滾らせた。

 動画を配信しているわけでもないし、他人を誘ってもいない。

 誰にも迷惑をかけてないじゃないか。もう放っておいてくれ、私の楽しみを奪わないでくれ。


 いつしか、週末の夜に廃墟を1人で訪れるのが、ユイのルーティンになっていた。

 監視カメラやセンサーに注意しつつ敷地に忍び込み、朽ちていく廃ビルや廃工場を歩きまわるのは、病みつきになる興奮だった。

 ドキドキと心臓を騒がす幼稚な冒険心と恐怖心、仄暗い背徳感にちょっぴりの罪悪感。

 退屈な日常からは決して得られないスパイスが、ユイの心を虜にした。





 そして今夜。

 ユイはかねてから目をつけていた、コズモ遊園地に侵入していた。


 藪蚊は虫除けスプレーで対策できるが、8月の熱帯夜の空気は如何ともし難い。

 最寄り駅から輪行した自転車を必死で漕ぎ、目的地にたどり着いた時には滝のような汗が流れていた。


──でも、苦労した甲斐はあった。この場所はアタリだ。


 ゾワゾワと全身に鳥肌が立ち、指先の震えを感じる。波長の合う廃墟を見つけた時の感覚だ。

 ユイは逸る足取りを必死に抑え、満遍なく遊園地を散策する。

 月光に照らされた夜の遊園地は、狂気的な雰囲気に満ちていた。

 

 インクが剥げて能面になったマスコットキャラクターの像。

 ボロボロに朽ち果てたチケット売り場。

 凍りついたコーヒーカップたち。

 雑草に飲まれつつあるコースター。

 何頭か倒れているパンダやクマを模した乗り物の群れ。


──良い。実に良い。こういうのが見たかったんだ。


 散乱するゴミや、自分と同じ不法侵入者の下品な落書きすら愛おしく見える。

 ユイは陶酔しながら、目の前の廃墟の在りし日に思いを馳せる。

 かつてはここにどのような光景が広がっていたのか。それがどのように失われていったのか。

 そんなインモラルな妄想を現地で味わうのが、廃墟探索の格別の楽しみだった。





 廃墟を堪能していると、「コズモレストラン」という赤錆た看板の建物が目に留まった。

 広場の片隅にその平屋の建物は、遊園地によくある割高の料理を提供する飲食店のようだ。


──そうか、これが噂の死亡事故が起きた店ね。


 ガラス戸の外から、建物の中を懐中電灯でそっと伺う。

 薄暗い店内には、家族用の机や椅子が雑多に並んでいる。不届きものに荒らされたのか、備品のいくつかはひっくり返っていた。


 ガラス戸は自動ドアだが当然通電はしていないので、中には入れそうにはない。店内を荒らした先達は力づくでドアをこじ開けたのだろうか。

 あるいは、窓ガラスや裏口を探せば入れるかもしれないが、ユイはそこまでする気はなかった。


 廃墟探索と言えど、ユイは基本的に小さな建物には入らないようにしている。

 崩落の危険もあるし、何かあったときにユイ1人では対処できないからだ。こんな危険な遊びをしていても、その程度の分別は彼女にもあった。


──外から見る限りフツーの廃屋って感じ。見どころは他にもあるし、次にいこっか。


 店に興味を無くしたユイは、他のアトラクションに向かおうと踵を返す。





 その瞬間。

 ぺたん、と背後で小さな物音がした。




 

「……え」


 反射的にユイはレストランを振り返る。店内は以前暗闇のままだ。

 聞き間違いではない。

 では何の音だ。

 たまたま何かが崩れでもしたか、あるいは野生動物でも住み着いているのか。


 ドッドッドッと、途端に心拍が耳奥で鳴り響く。

 先ほどまでの心地良い興奮の汗とは違う、嫌な脂汗が額に滲む。

 神経を張り巡らせ、店内の様子を伺う。

 すると、


 ぺたん。

 ぺたん、ぺたん。

 ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん。


 先ほどの足音にも似た物音が、幾度も聞こえてきた。

 音は少しずつ大きく、近くに聞こえてくる。

──誰かが店の奥から、こっちに向かって来てる?

 ユイの脳裏に、そんなイメージが浮かんだ。





──やばい、やばい。ヤバイヤバイ!


 ユイは弾かれたように走り出した。懐中電灯を消し、一目散にレストランから遠ざかっていく。

 ユイが真っ先に恐れたのは、自分と同じ廃墟侵入者の存在だ。

 これまでの探索では出くわしたことはなかったが、同じタイミングで同じ廃墟に誰かが忍び込むことも、可能性としてはありえる。


 そうなった場合、ユイは女1人だ。

 相手が危険な輩だった場合、対抗する術はない。警察に通報しても、ここまで来るのに時間はかかるだろう。

 どこか、どこかに隠れなくては。

 懸命に足を動かしながら、身を潜められそうな場所を探す。しかし──。


 ぺたん、ぺたん、ぺたん、

 ぺた、ぺた、ぺた、ぺた、ぺた、ぺた、ぺた、

 ぺたぺたぺたたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた──。


「っ!?」


 足音は逃げ出したユイを追って、背後から絶えず聞こえてくる。

 まずい、こちらの存在はやはりバレていたのか。どうにかして撒かないと。

 ユイは必死に建造物を縫うように、ジグザクに園内を走り抜ける。

 全力で駆けるも、相手を振り切ることはできない。ぺたぺたと足音は、絶えずユイの後方から追い続けてくる。


 次第に息が切れ始めてきた。

 喉奥に、鉄の味が混じった痰が沸いてくる。酸欠で目がチカチカする。足の筋肉に乳酸が溜まってきたのがわかる。


──お願い、もう少し頑張って私の体。もう少しだけ。


 悲鳴をあげる体に鞭打って走る最中、脳裏に疑問が浮かぶ。


──いや、待って。おかしくない?

 コイツ、レストランの中から出てきたよね。どうやって、閉じた自動ドアを抜けてきたの?


 背後からは力づくでドアをこじ開けるような音はしなかった。

 裏口や窓ガラスから飛び出してきた?

 仮にそうだとしても、逃げ出した自分にすぐさまピッタリ追いつくことができるだろうか。

 

 それに、この足音もそうだ。

 全力で走る女子高生に追いついているのだ。どう考えても相手は同年代以上の人間だろう。

 だというのに、この足音から感じる体重は軽すぎる。

 そう、まるで子供のような。


 遊園地。レストラン。死亡事故。子供。

 脳内に、幾つかの単語が浮かんでは消える。


──あり得ない、そんな、そんなことある訳がない!


 ユイは目尻に涙を浮かべながら、必死に走る。

 走って、走って、走って、走って、そして。





 気がつくと、後ろから足音は聞こえなくなっていた、

 はあはあと荒い息をつきながら、恐る恐る背後を振り返るも、誰もいない遊園地が、月光に照らされて静かに鎮座している。


──助かった……?


 ガクガクと震える足を止め、近くの壁に背を預けて暫し呼吸を整える。

 どうやら相手を撒くことは出来たようだ。

 だが、まだ油断はできない。相手は自分を探しているかもしれない。

 少し休んだら、急いでこの遊園地を離れなくては。


 今は園内のどこだ?

 来た時に自転車は正門に停めている、とにかく正門を目指して移動しよう。

 ユイは大きく息を吸い込み、再び走り出そうとした。

 

 



 すると、ぎゅっと右手を掴まれた。





 「ほえ」


 自分でも驚くほど間抜けな声が喉から漏れる。

 右手に感じるその手の大きさは、小さかった。

 マシュマロのように柔らかく、ほのかに温かい、子供の手だ。

 両手でしっかりと、ユイの手のひらを包んでいる。


 それを理解したとき、時間の流れが止まった。

 自分の呼吸も、心拍も、風の音も、何も聞こえない。

 指先も視線も、動かすことができない。思考すらも凍てついた。


 右手を握る誰かが、彫像と化したユイに話しかける。

 親にご馳走をねだる、甘えた子供のような声で。





 「おなかすいたあ」






 



 




 

 


 

 

 

 

 







 




 

 

 







 



 




 

 

 



 


 

 



 


  



 

 


 





 



 




 




 











 

 

 



 


 


 

 


 

 

 

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