アパート調査 下
流河は、自分がその目で感じ取ったものを語ってくれた。
曰く、『彼女』はアパートの横を流れる川で亡くなった女性の霊らしい。
といっても、目の前の川辺で亡くなったとは限らない。
上流の何処かで亡くなった霊が、この近辺まで流れて着いてきたのかもしれないのだ。
そのため、亡くなった場所も理由も定かではない。水難事故などの犠牲者かもしれないが、生前の個人を特定するのは難しそうである。
「唯一わかるのは、ここ最近で亡くなった霊ではないということです。
霊魂が随分くたびれて、ボロボロになっていますから。
──魂が腐りきって、悪臭を放つほどに」
それがこの悪臭の原因。
とどのつまり、この
「腐敗臭って……。た、魂って腐るものなんですか」
「ここまで酷い臭いの霊障は、私も初めて体験します。
でも魂も骨身と同じで、時が経てば朽ち果てるものですよ。でないと、世の中は死者の念でどんどん溢れかえってしまいます。
まあ亡くなったとしても、『幽霊』になれる人は殆どいませんが」
「そ、そういうものなんです?」
恐怖より驚きが勝ったのだろう、春日井さんは目を丸くした。
「はい。普通の人は亡くなったらそれっきりです。
何か残ったとしても、かすかな残像しかありません。それこそ、四十九日も経てば消えてしまうほどの。
春日井さんもこれまで、他に霊の類をご覧になったことはないのでは?」
「それはそうですけど。……じゃあ、あの女は?」
「明確に人の形を保っているのは、かなり希少ですね。
霊障を起こせていますし素質があったのか、あるいは強い執念があったのかはわかりませんが……。
しかし、それももう終わりです。」
そこまで喋って、流河は開いていた瞳を閉じた。
青色の輝きが瞼に隠れるとともに、張り詰めていた彼女の雰囲気が弛緩したのを肌で感じる。
「今の彼女を見ても、殆ど意思や力を感じません。
このまま放置しても、あと
そうすればこの悪臭も発生しなくなりますよ」
「で、でも雨が降るとアイツは何処かから来てるじゃないですか。
まだ動けるんじゃ……」
「それは違います。
彼女は、雨が降る前からずっと、ベランダに立っていたんです。
雨の日も晴れの日も、最初に姿を春日井さんが見た日から、ずっと」
「えっ」
春日井さんは目だけじゃなく、口も大きく丸くした。
でも、その言葉に私には心当たりがある。
というか、怪異によくあるヤツだ。
「あー。雨っていうか、水のせいなのか」
「水?」
「水って、霊的な意味が強いんですよ。
ほら、三途の河とか
消えかけの幽霊でも、雨が降ると少しだけハリが戻ったのかな」
「はい、恐らく。悪臭が漂ってくるのも、そのせいでしょう。
もう、それも長くは続きません。今の彼女は私の目でも、雨が降ってようやく認識出来るほど虚ろな存在です」
最初の遭遇以来、彼女の姿を春日井さんは認識できていない。
それは、姿を見せられるだけの中身がなかったのだ。
「先ほど『当社では解決できない』と申しあげたのは、そういう理由です。
……あそこにいるのは、人間だったモノの残骸が、さらに滅びゆく姿。
これは、最初からもう終わっていたお話でした」
流河は、そう締めくくった。
こうして当社が何の働きもしないまま、怪現象は解決したのだった。
晴れて一件落着、なのだが。
「そ、そうですか。よかった、です……?」
依頼人は、こめかみに手をあてて七面相をしていた。
我が家に悪霊が湧いてくるわ、今度は勝手に消えるわで、困惑や安心で感情がまとまらないのだろう。その気持ちはわかる。
「暫く雨の日は臭いに困らされると存じますが、次第に落ち着くと思います。
経験から言えばこういうケースは、他の同業者を呼んで無理に引きはがすよりは、時間が解決するのを待った方が安全ですよ」
「その方が、お金もかかんないですしね」
「ええと……。そう、ですね……」
春日井さんは思考がフリーズしている。細かい話はあとの方が良さそうだ。
なので、私は気になっていたことを流河に聞くことにした。
「──んとさ、流河。解決したのは良いんだけど。
そもそも、なんでこのヒトはこのお部屋にやって来たの?」
そこが気になっていた。
もともと川の中を密かに漂っていた幽霊が、なぜ消え際になって他人様の家に押し掛けたのか。
聞いた話では、この部屋が曰く付きな訳ではなさそうだけれど……。
「それは、ハッキリしませんね……。
その理由がわからないと、きれいに解決したとは言えないんですが」
相棒は困り眉で首をかしげる。
「さっき見た感じだと、春日井さんと彼女の間に因縁のような繋がりはありませんでした」
「うーん、そっか」
私たちも腕を組んでうんうん唸るが、特にきっかけは思いつかない。
アイツ等が理由もなく動き回るのも、よくある話だ。そもそも、考えても仕方ない話ではあるのだが。
放っておいても彼女は消える。今更動機がわかっても意味はないのだ。
「だって、この部屋は良い匂いがしたから」
私は、無言でベランダの方に顔を向けた。
流河も、閉じていた青い目を見開く。
「えっと、ありがとうございます。自分で調合したんですけど、気に入ったなら──、あれ。
あ、すいません早峰さん鬼無里さん。ちょっと、考えがこんがらがっちゃって」
そこで、春日井さんははっと我に返った。慌てて私たちに頭を下げる。
「先ほど、なんて仰っていましたか?」
「………………」
私は答えない。
か細い声はバリケードの向こう側から聞こえたからである。
数秒、再び無言の時間が流れる。
それから、流河はポツリとつぶやいた。
「………………あ、消えた」
* * * *
後日、春日井さんからお礼の電話が届いた。
あの日以降、悪臭が部屋に漂うことはなくなったそうで、喜ばしいことだ。
「本当に謝礼は大丈夫なんですか、せめて相談料だけでも……」
「お気になさらず、今回ウチ何もしてないんで。所長に怒られちゃう」
春日井さんは申し訳なさそうだったが、お断りさせていただいた。
事務員としてはきっちり稼いでおくべきとも思うのだが、ウチの所長はそういう所にうるさいのだ。
「見栄っ張りなんですよね~、ほんと」
「呪いますよ、明里さん」
隣でスピーカー通話を聞いていた彼女が、横目で睨んできた。キミのジト目は洒落にならないからやめてほしい。
「まあ、今後も怪現象が起こりましたら、どうぞ当社をご贔屓に。
除霊以外ならいつでも歓迎いたします」
「……ありがとうございます。せめて、何かお礼が出来ればいいんですが」
そんな畏まっていただかなくとも、真面目な人だなあ。
うーん、お礼かあ。
じゃあ、せっかくなら……。
「そこまで言っていただけるなら、遠慮せずにお願いさせていただきます。
春日井さんがお部屋で使われていたお手製のフレグランスを、1本譲っていただけないでしょうか?」
「え、それは勿論良いんですが。
でも、そんなもので良いんですか?所詮は素人の趣味ですよ」
「そんな事ありません、とっても素敵な香りでしたよ。
ぜひウチのリビングでも使わせていただきたいです」
私の言葉は本心だった。
本当に、爽やかで素敵なジャスミンの香りだったのだ。
それこそ、幽霊ですら気に入るほどに。
* * * *
後日。
春日井さんからお礼のメールが届いた。
彼女が献花と合掌を始めてから、早2週間ほどで悪臭は薄まり、ひと月も経つと完全に収まったそうだ。
念のためもう一度雨の日にお部屋を訪れたが、部屋にも川辺にも、『彼女』の姿は見つけられないと流河は言った。
こうしてあっさりと、霊は消えてしまったのである。
「ダメ元でやってみたんです。『早く消えてくれ~』って手を合わせて。
」
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