アパート調査 中
待ち合わせした喫茶店を出てから、歩いて5分程度にある川沿いのアパート。それが春日井さんのお宅だった。
見たところ、白塗りされた何の変哲もない2階建アパートである。
とはいえ喫茶店自体が駅から近いので、なかなかの好立地だ。
そのうえ、不動産の閑散期に運よく契約出来たため、家賃もかなりお安いらしい。しかも入居者は女性専用の物件である。
その好条件ゆえに怪現象が起きていても、引越しの決断が出来ないらしい。
移動中に聞いたところ、春日井さんは大学を卒業してから最初に就職した会社を、上司のパワハラが原因で退職された。
暫く静養した後、昨年の秋に現在の食品会社に中途採用されたばかりとのこと。
実家も遠くにあり貯金に余裕がないため、引越しの出費を抑えたいのだという。
「情けないですよね。そんな理由で、逃げ出すことも出来ないなんて」
「いえいえ、何もおかしな話じゃありませんよ」
顔を伏せる春日井さんに、私は首を振った。
そもそも、この手の相談をしてくる方の殆どは、理由があって今の住居から離れられない人たちである。
極論、自宅に幽霊が出ようがポルターガイストが起ころうが、その場所から引越せば解決する話なのだ。
地縛霊のような『原因が建物自体にあるタイプ』だった場合、出て行った人間にまで憑いていくケースは殆どない。
しかし、地縛霊が簡単には棲家を移動出来ないように、人間もそう簡単には住処を移せない事情がある。
そうなった場合、ウチのような職種が必要とされる訳だ。
* * * *
「どうぞ、上がってください」
「「お邪魔します」」
2階の203号室、春日井宅は素敵なお部屋だった。
リビングは10畳ほどの広さだが、隣接するキッチンがカウンター方式になっており実面積以上の開放感がある。置いてある家具は白基調で上品。
ほのかに香るジャスミンの香りも心地がいい。フレグランスや観葉植物の小鉢があえて見える位置にちらほらと置いてあり、殺風景ではなくあくまで『片付いている』といった感触を受ける。
なるほど。綺麗好きという話だったが、それは自信過剰ではなかったらしい。
実に住み心地が良さそうな、良いお部屋だ。──ある一点を除いては。
「いかがでしょうか、明里さん」
「間取りや家具の配置は事前に教えてもらった通りで、とっても綺麗なお部屋だよ。……ただ」
私は一拍置いて、部屋の状態を流河に説明した。
「部屋の奥側、例のバルコニーに続くガラス戸。
ガラス戸とカーテンの間に、ダンボールがびっしり敷き詰めてある」
さながら、ガラス戸の手前にもう一つ壁が出来ているようだった。
隙間がないよう養生テープで継ぎ接ぎされた、、上下左右にみっちりとダンボールの仕切りが出来ている。
業務用の茶色いダンボールではなく、小綺麗な白色のものが使われているのが春日井さんらしさというべきか。
春日井さんがこのバリケードを作ったのだろう。
再び『彼女』を目にしないよう、その存在を日常から意識しないよう、自分自身を欺くために。
「『彼女』は、一度しか姿を見せていないんですよね?」
「……はい、先月のあの日だけです。
その時も、私が叫び声を上げると、ふっと目の前から消えてしまいました。
それ以降雨の日に臭いが立ち込めても、あの女がベランダに現われはしません」
唇をわななかせて、春日井さんは語る。
「でも、わかるんです。
きっとこの悪臭は、アイツの所為なんだって」
ウチに相談する前に警察や管理会社にも手を回したが、何も引っ掛かる点はなかったとのことだ。
警察は不審者情報として一応みなしてはくれたようだが、そんなことは気休めにもならないだろう。
「
調べてみましたけど、この部屋が過去に瑕疵物件だったわけでもない。
私自身も、誰かに祟られるような覚えはありません。清廉潔白に生きて来たとは言い切れませんけど、まさか幽霊になんて」
未知の存在への恐怖、それは当然の感情だ
この仕事をしている私だって、いまだに奴等は怖い。怖くて仕方ない。
「きっと、雨が降るとアイツがやってきくるんです。
臭いがする以上、見えなくてもアイツはいるんです。私、どうしても怖くて」
だから、このバリケードを作ったというわけか。
根本的解決にはならなくとも、春日井さんの防衛本能がそう選択をさせたのだろう。
うつむく彼女にかける言葉を考えていると、傍らで流河が天井を見上げた。
「……雨です」
「あれ、もう?」
耳を澄ますと、確かに僅かな雨音が聞こえてきた。
この部屋は、中部屋ゆえに窓が無い。唯一外を見られるガラス戸は、この通り閉鎖されている。
そのせいで空の様子は伺えないが、どうやら雨が降り出したらしい。
天気予報の予想時刻より多少早足だったが、これは狙った通りの展開である。
『雨が止んでいる時』と『降っている時』、両方を現場で体感するために、午後から降水確率の高いこの日を拝見に選んだのだ。
喜ばしい事態ではあったが、私はすぐに顔を不快に歪ませることとなった。
「うっわ……くっさい……」
「ね、酷い臭いでしょう」
部屋に漂っていた爽やかな香り、それでも誤魔化しきれない臭いが、どこからともなく部屋に漂ってきた。
腐敗した動物?堆積したカビの塊?
なんだろう、なんとも言い様のない悪臭である。
なるほど、これが件の臭いか。
臭いはそこまで強くはないものの、こんなものが雨の降る度に漂っていては、溜まったものではない。
私より鼻が効く流河は大丈夫だろうか。
そう思って顔を向けると、彼女は目を開いて、こちらの方を見ていた。
流河の瞳は青い。
深い海の水が、その虹彩に閉じ込められているように。
端正な顔立ちと艶やかな黒髪も相まって、目を開いた彼女からはいつも超然とした印象を受ける。
人間離れしているような、人間ではないものと繋がっているような──。
少し怖くて、どうしようもなく惹きつけられる感覚。
その瞳の輝きに気押されたが、すぐに気づく。
流河が見ているのは私ではない。
その背後にある、バリケードに覆われたベランダである。
「え、あの、早峰さんって」
「はい。普段は何も見えていません。
今も、このお部屋の景色は何もわかりません」
驚いた春日井さんに、流河は静かな声で応じる。
「でも何となく、わかるんです。こういうのは。
光も色も見えなくとも、こういうモノだけは昔から視える。
『雨が降るとアイツがやってくる』と、先ほど春日井さんは仰っていましたね。ご明察の通りでした」
静かな顔と声のまま、流河は告げる。
「『彼女』、すぐそこに居ますよ。
ベランダに立っています」
「ひっ」
春日井さんが悲鳴をあげ、びくりと体を震わせた。
予想してはいたのだろうが、やはり断言されると堪えるようだ。
カーテンとダンボールに阻まれ、外の景色は見えない。
しかし流河が言ったならば、紛れもなく彼女はそこに立っているのだろう。
口に湧いてきた唾を飲み込み、私もバリケードの向こう側の気配を窺う。
その澄んだ目をじっと凝らし、流河はベランダを見据えている。
誰も何も喋らず、ただ雨音だけが流れる時間が続いた。
数秒、十数秒、数十秒。
そして──。
「………春日井さんには、お詫び申し上げなくてはなりません」
流河は沈黙を破った。
ふう、と小さな吐息がその口から零れる。
「どうやら、この現象は弊社では解決できないようです」
「ど、どうして……?
除霊できない可能性は伺っていましたが、それ以外に打つ手はないんでしょうか?」
春日井さんは縋るように呻いた。
「打つ手はないというか、打つ必要がないのです。
彼女はもう亡くなっていますから」
「素人の私だって、アレがこの世のものではないのはわかります。
ですから、あの幽霊の対処をお願いしたくて──」
「そうではありません。彼女は、幽霊としても死んでいます」
「……え?」
「アレは、いわば幽霊の死体なのです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます