第34話

顔に冷たい雫が落ちた。


闇に沈んでいた俺の意識が、それを合図に浮上する。


「シロウ!」

「シロウ先輩!」


目の前にアカネがいた。

良かった、無事だったんだ。


レンスケがいるって事は助けに来てくれたのか?


だが、敵はレンスケが敵う相手じゃない。


回復薬で直接、俺を回復させてくれたのは2人だろうけど。


俺の顔を覗き込む2人は、俺よりはマシだけど、だいぶ酷い切り傷を体に刻んでいる。

その傷をつけたのは━━。


光の鎖に拘束されたユカが、2人の背後で囚われたお姫様みたいに浮いている。

三つ子の末の妹は姉2人と同じく、小さく華奢な身体に可愛らしい容姿をしている。

今、その瞳が俺を真っ直ぐに捉えて鬼の形相で睨んでいる。


これがコイツの本性か。


昨日、俺はコイツにキスされて、つい油断してしまった。

知性のあるモンスターや、人間の身体を入れ替えるモンスター。

知ったばかりの知識が、実際に自分の周りで動いているとは思いもよらなかった。


嫌われてると思った女の子からキスされて、実は好かれてたんじゃないかって思ったってしょうがないよな!?


にしても、いつの間にユカと入れ替わっていたんだ?


「本物のユカをどこへやったんだ!」

俺は光の鎖で持ち上げられたコイツを見上げながら叫ぶ。

その時、光の鎖の拘束が解けた。


自由になったコイツは何のためらいもなく、上段から俺に切り掛かってくる。


「おいっ! 聞いてるだろ!」

ツッコミつつ、光の鎖が解けそうな事を予知していた俺は難なく避ける。


「……!」

すぐさまの反撃が俺の肩スレスレ通り過ぎた。

全くの無言で切り掛かってくる。

だが、もうさっきまでの脅威はない。


俺は止まらない追撃を難なく避けながら思う。


俺を殺す。

コイツはその一点だけを目指していた。

達成できなかった時点で、目的を失っている。


ずっと後ろでサラがドサっと膝から崩れ落ちる。

光の鎖でコイツを拘束するのは大変だったんだろう。


また、俺はサラのおかげで命を助けられた。


コイツの攻撃を避けながら、俺はサラの様子を確認する。

疲労はしているようだが、怪我はない。


サラは、地面に向いていた顔を俺に向け、俺の無事を確かめる様に俺を見つめている。

そして、俺と目が合うと、優しく微笑んだ。


その微笑みに、生きている事の実感が強く湧いてくる。


助けられてばっかりの情けない兄でも、いいのかサラ!


「ふざけんじゃねぇーっ!」

コイツが言うと、一層激しく切りつけてくる。


あ、悪い。

戦いに最中によそ見されたら、『ふざけんじゃねぇーっ!』って言いたくもなるな。


俺はユカの姿のコイツに向き直るが、正直どうしたら良いかは検討がつかなかった。


中身はモンスターとは言え、身体はユカだ。

傷つけるわけにはいかない。


「だったら、答えろ! 本物のユカは何処にやったんだ!」

攻撃を受け流しながら問う。


「私がユカです、シロウ先輩」

「っ!?」

いつもの調子のユカの声が聞こえて、一瞬たじろぐ。


しかし、止まることのないナイフの軌跡が、コイツがユカでないを証明してる。


「回復士のユカがこんな攻撃できるか!」

俺が言うと、不思議そうな顔でコイツは言う。

「ただ、やって見せなかっただけで、ずっと私はナイフが本職だったんですよ?」


その言葉の意味が脳に届くまでだいぶ間があった。


「なっ!?」

意味を理解した衝撃が俺の全身を駆け巡ると、思わず声が漏れた。

遅れて響いた声は事の重大さに見合わずに間抜けに響いた事だろう。


嘘だ!

ユカとコイツは最近入れ替わったんじゃない!

ずっとコイツがユカになりすまして、人間のふりをしていたって言うのか!?


ユカは攻撃を止めると静止して俺を見た。

よく見て、確かめてと言う様に。


「そ、そんな事が、出来るはずないだろう……?」

まさかっ!

だが、その可能性に心が重くなる。


俺は口の中が渇いている事に気づく。

回復薬で回復はしたが、まだ十分じゃない。

身体はまだ軋んでいる。


体力の心許なさと、信じていた前提が足元から崩れていく不安に、自分の存在感が不確かになる。


本当にコイツがユカなのか?

俺が信じているユカが本当のユカだったのか?


「癒しの聖域」


微かなサラの声と共に、足元に光の輪が広がって行く。

術者を中心にした巨大な円は発動時に味方を完全回復させる。


俺の身体も完全に回復した。


アカネとレンスケもすっかり回復してる。


でも、光の鎖でただでさえ消耗していたのに、大丈夫か?

体力が完全に回復した俺は、自分を取り戻していた。


とにかく、いつからユカがモンスターと入れ替わっていたのかは、重要じゃない。

今は、拘束してギルドに連れて行く!

これは俺には手に負えない問題だ!


大学の夏休みでダンジョンに戻って来てから、立て続けに、手に負えない問題が起こってるなぁ。


大学に行く前の数ヶ月と大学に行ってからの数ヶ月、溜まっていたイベントが一気に押し寄せてるみたいだ。


そんな事を考えた一瞬に、ユカが動いた。


サラに向かって一直線に走る。

まるで殺意の塊のようだ。


消耗したサラはユカに気づくが、とっさの動きが一瞬遅れた。


キーンっ!


俺の剣とユカのナイフが重なって響いた。


「くっ!」

ユカが悔しそうに顔を歪める。


これまで、ユカが俺を執拗に狙ったのは、サラを守る俺が邪魔だったからだろう。


確実にサラを殺す為に、まずは俺を倒す。

その為の不意打ちのキスだった。


気付かなかったおれは間抜けだが、次は絶対にサラを守る。


俺を殺す事に失敗したユカの殺意が、いずれサラに向かうとあたりをつけていた。


「ユカちゃん!」


ふと、上から声がした。


この場所にくる直前に、俺とユカが手をつないで降りて来た高台にミカとユミがいる。


サラに切り掛かユカを見ていただろう。


ミカとユミは、驚きと戸惑い、悲しみが混じった表情をしている。


「あ……!」

ユカが半歩下がる。

さっきまでと違い、こちらにも同様が隠しきれない表情が浮かぶ。


俺の知ってるユカが泣いている。

そんな風に思えた。


つかの間の戸惑いの後で表情を変えるユカ。


「青髪の奴に伝えろ! 闇は絶対に、お前たちを殺す!」

サラに向かってユカが言う。

「……っ! あの人を、知ってるの!? ユカ」

答えないまま、ユカは消えて行った。


捕まえなければと思ったが、ユカの身体を傷つけずに拘束する手段がない事に気づく。

ずっと中身がモンスターだったとは言え、あの身体は本物のユカの、人間のものだろう。


俺はただ見逃すしか出来なかった。


ミカとユミが高台から降りてくる。


サラは2人を無言で見つめて待っている。


「サラ先輩、どういう事なんですか?」

ミカが笑いを含んだ声で聞く。

「ユカちゃんが、どうしてサラ先輩を斬ろうと……」

ユミも、かすかに笑っている。


極限状態がミカとユミに笑いと言う現実逃避をさせている。


「ごめんなさい! 約束したのに、ユカを助けられなかった!」

サラが頭を下げる。


「なんですか? それ」

ミカの声はまだ、笑っている。

ただ、声に震えが混じっている。


ユミは今にも崩れ落ちそうに呆然とユカが消えた方向を見ている。


張り付いたような笑顔が唐突に歪む。


ユミは耐えきれずに、泣き出した。

「ユ、ユミ〜っ!」

ミカがユミの背中をさすって元気付けようとする。

けれど、気付けば、2人抱き合って声を上げて泣いていた。


俺たちは、全員が声をかけられずに、ただ見ているしかなかった。


どれくらい時間が過ぎたのか、洞穴からひょっこり人が現れた。

青髪の冒険者とその仲間たちだ。

登山家の様な装備をしている。


彼らは、俺たちの異様な様子に驚いている。


「ユカが青髪の冒険者がシロウを襲ったって嘘をついたのは、青髪のあの人を見たから?」

アカネがつぶやく。


サラに言っていたのもあの人のことなのか?

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