第32話

ドサッ!


自分の倒れる音が聞こえた。

俺の腹から出て空中を舞う血が放物線を描いて落ちる。


な、なんで?

……ユカが?


わけがわらない。


俺の腹から引き抜かれたナイフが頭上に光る。

ユカがナイフを構えて俺を見ている。


いや、俺ではなく、ただ的を狙ってナイフを振り下ろす。


無感情に俺の首に落ちて来るナイフを、俺は横に転がって避ける。


一瞬、ユカの顔に驚きが浮かぶ。


「なんで、動けるんだよっ!」

ガッと、俺を蹴り上げると、背中にナイフを刺す。

なんのためらいもない。


油断して緩慢だった二撃目と違い、回復士と思えない見事な動きで三撃目、四撃目で俺を突き刺さす、


「なん、で……」

俺の声が外に漏れたのかはわからない。


何度も何度も刺されて、もう身体が動かない。

神経が切れたのだろう。


後、一度でも刺されたら、このまま死ぬ。


しかし、次はなかった。


ユカは動かない俺を抱きしめた。

「シロウ……先輩……っ!」

涙さえ流している。


悲しそうな声でつぶやく。


な……んで……?


「シロウっ!」

遠くで声が聞こえた。


窪地から出て洞穴の側に来たアカネだ。

俺の様子に慌てて近寄って来る。


ダメ……だ、アカネ……!

こ、れ……は、演技……だ。


俺は声を出そうと心の中でもがく。

しかし、声は出ない。


薄れて行く意識の中で必死に考える。


……コイツは、ユカじゃない!

ユカにこんな動きは出来ない。

俺がユカと思って油断していなくても、コイツには勝てたかどうか分からない。

だから、逃げろアカネ。


それを伝えるすべは俺にはなかった。


「シロウ! 嘘……どうしてっ!」

アカネが俺を見てショックを受けている事が声で分かった。

俺に感覚はなくなっているが、きっと血まみれだろう


「ア、アカネ先輩……、急に青髪の冒険者が現れて、私たちに襲い掛かって来たんです! 先輩は私を庇って……!」

ユカが泣いている。

いや、ユカではないソイツが泣いている。


「そんな事より回復は!?」

「た、戦ってる間に魔力を使い切ってしまったんですっ!」

白々しい嘘をつく。


アカネが息を呑む音がする。


一瞬後で、

「私も落ちた時に怪我して回復薬は使っちゃって……」

アカネが考え込んだ。

重苦しい空気が動かない俺の身体にものしかかる。


「あ、シロウも道具は持ってるはず。ユカ、一旦シロウ地面に寝かせて」

「……はい」


俺の身体はユカの手を離れ、再び地面に転がった。

「……っ!酷い……」

アカネは俺の身体を見て息を呑む。

「ごめんね、シロウ。すぐ回復するから……」

小さく言って俺の腰の道具袋に手を伸ばす。


ダメ……だ、アカネ。

ソイツに……、背を向けるな……!


いくら声を上げても届かない。

もう俺は、いい━━。


俺の道具袋から伸びるアリアドネの糸の光の筋を踏んで、ユカがアカネの背後に立っている。


けど、お前だけは━━。


ユカの手に握られたナイフがアカネを貫く。


その時━━。


「何、やってんだっ、ユカ!」


アリアドネの糸を辿る者がもう一人。


「レンスケ?」

アカネが叫ぶ。


……逃げ……ろ!


俺の意識はそこで途切れた


◆◇◆


私、アカネはシロウの道具袋に手を伸ばした。


少しはぐれていただけなのに、どうしてこんな事に!?


血まみれのシロウは微かに呼吸しているだけで、もう今にも死んでしまいそうだった。


お腹が真っ赤に染まっている。

他にも無数の傷から血が溢れ出してる。


「……っ!」


悪いイメージが頭の中に溢れて、手が震える。


シロウが……っ、シロウがっ!


ふと背後に気配がした。

ユカだろう。

今は気にしていられない。


シロウの回復が最優先だ……!


「何、やってんだっ、ユカ!」

鋭い声が響く。


聞き覚えのある声に振り向くと、レンスケが立っていた。


ユカの首筋に剣を突き立てたレンスケは、ユカを攻撃している。


疑問より先に、レンスケの背後の仲間が気になった。

回復士のカエデだ。


「……カ、カエデ! お願い、シロウを助けて!」

私はシロウを助けられる回復士の存在に緊張が解けて、涙を流していた。


でも、そんな事は気にならない。


良かった……!

シロウっ、シロウ……!!


カエデが動くのを涙で霞んだ視界に捉える。

けれど、すぐに別の影がカエデを覆っていた。


影が振り下ろした何かにカエデの身体は崩れ落ちる。


何が起こったのか唖然と見つめる。

ただ、すぐそばにいたユカが消えて、レンスケが数メートル先に伸びていた。


「やっとシロウ先輩を倒したんだ。余計な事をしてもらっちゃ困りますよ、先輩方」

カエデを倒した影が言う。

言葉使いは少し砕けているが、丁寧で、声はあの真面目なユカのものだった。


言ったそばから、影が、ユカが、レンスケの仲間たちに襲いかかる。


応戦する間もなく、みんな倒れていく。

レンスケの仲間は同級生だろうから、ユカより一歳上だ。

職業だって、実践向きの戦闘職がほとんどで、回復士の年下にこうもあっさり倒される程に弱くない。


目の前で起きている事が信じられない。


「シロウ先輩がユカに刺された!」

「え?」


意味が飲み込めないまま、立ち上がったレンスケの方を見た。


「だから駆けつけたんだ! 正確にはアカネさんが崖から落ちたのを見て来たんだけど、来る途中で、ユカがシロウ先輩を刺した」


頭が状況を飲み込もうとしない。

ユカが? シロウを?

目の前の状況が、言葉をこれ以上ないくらい現しているのに、私の頭が理解を拒否してる。


「アイツはユカじゃない! モンスターと身体が入れ替わってるんだ!」


レンスケの言葉に私はハッとした。


数日前に同行した依頼主のポールさんが言っていた。

人間の身体を入れ替えるレアモンスターがいると。


『じゃあ、シロウ、レアモンスター見つけて入れ替わって見ようね』

そんな事を無邪気に言っていた自分が今は遠くにいる。


人間と人間の身体を入れ替えるんだとばかり思っていたけど。

人間とモンスターの身体も入れ替えられるんだ!


ユカの豹変ぶりにやっと納得が行く。


いつからだったんだろう?

今日?

もっと前から?


シロウにキスするなんて、普段のユカからは考えられない、あまりに唐突な行動だ。

あの時には入れ替わっていたのか?


モンスターが人間になりすましているなんて考えもしなかった。

知性のないただの怪物で、倒すためだけの物。


その常識を一匹ワーウルフが覆した。

私もその現場にいたのに!


コイツがモンスターだと、気付く為のピースは揃っていた。


青髪の冒険者に襲われたって言うのも、魔力がなくて回復出来ないって言うのも嘘だった。

咄嗟にナイフを隠す時間なんてなかったから、よく観察していれば気づけたのに。


血まみれのシロウから目が離せなくて。


血まみれのシロウを、弱々しく、それでも必死に守ろうと抱きしめていたユカが羨ましかった。

絶望的な状況にしっかりしなきゃって思いながら、倒れたシロウを抱きしめるのは私だったんじゃないかって。


でも、ユカのあれは演技だったんだ。

自分で刺しておいて、シロウを!


怒りに全身の血が沸騰して、目が見えなくなるような感覚があった。

真っ暗な怒りの闇の中で、シロウの命を感じる。


「さあ次はあなた達の番です」

ユカが、いや、モンスターが私とレンスケに向かって言う。

「大丈夫です。私の目的はシロウ先輩だけ。アイツが確実に死ぬまで、邪魔な奴には眠って貰うだけだ!」

モンスターが人間離れした跳躍で襲ってくる。


レンスケがなんとか剣でモンスターの動きを止める。

が、一瞬んだけで、モンスターの攻撃で後退する。

ギリギリ避けられただけでも、すごい。

それくらい、モンスターと私たちの実力に差があった。


「……っ!」

シロウだったら負けないのに!


瀕死のシロウにこんな時でも私たちは頼ってしまう。

サラちゃんがいれば、シロウを回復してくれるのに!


私はハッとサラちゃんと分けた『恋人の鈴』を思い出す。

二つの鈴が共鳴していて、壊せば持つ者同士は互いの危険を察知できる。


もう少し早く壊していれば!

後悔が押し寄せる。


今から伝えて間に合うかわからないけど、とにかく壊さないと!


自分の腰の道具袋を探り、心臓が止まった。


『恋人の鈴』はすでに割れていた。


記憶を辿る。

崖から窪地に落ちた時に腰を思いっきり地面に打ちつけた。

パリンッと何かが割れる音がした。


「ユカ……?」


高台から私たちを見下ろす聖なる少女がいた。


「サラちゃんっ!!」

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