第16話『京さんの恋愛作戦』

 みやこの部屋の扉を軽くノックすると、すぐに「はーい」という優しい声が返ってきた。

 ドアが開くと、京がちょこんと顔を覗かせる。


「お邪魔します」


 促されるままに部屋へ入ると、そこはみやびの部屋とレイアウトこそ似ていたが、全体の雰囲気はまったく違っていた。

 家具は木製のブラウンで統一されていて、全体的に落ち着いた色調。ぬいぐるみやポスターなどはなく、机の上もきっちり整頓されていた。


(大人っぽい……というか、落ち着くな)


 京にベッド前の椅子を勧められて腰を下ろすと、ベッドの端に座っていた月島が話しかけてきた。


「雅ちゃん、どうだった?」


「良かったと思う。詳しくは言えないけどな」


 それを聞いて、京もそっと月島の隣に腰を下ろした。そして、少し緊張したような声で切り出した。


「……私にもアドバイスお願い〜」


「もちろん。ただ、その前に──榊くんを好きになったきっかけとか、教えてもらえると助かる」


「うん……」


 京は少しだけ目線を落としながら、静かに話し始めた。


「小学生のとき、ずっとクラスが一緒で……。一緒に帰ったり、図書室で同じ本読んだりしててね。たぶん、小五か小六くらいから、気になるようになったんだ。でも、あの子、中学受験して私立に行くって言ってて……何もできなかったの」


「そうか……」


多々良たたらの話と、重なるところが多いな)


 俺の脳裏に、先輩をずっと想っていた多々良の顔が浮かんだ。

 けれど、それを思い出したところで「負けヒロイン」という不吉な単語もついてくるので、慌てて頭を振って追い出す。


 一方、月島は「うんうん」と頷きながら、もう知っていたのかのように相槌を打っていた。


「それで、高校に入ってからは、どんな感じで関わってるの?」と俺が尋ねると、


「うーん……榊くんは八組で、クラスも部活も違うし、学校じゃあんまり会わないかな。たまにインスタで話すくらい」


「インスタ?」


「うん。たとえば、ストーリーで好きなアイスあげてたから『それ美味しいよね〜』って送ったり」


 なるほど。ストーリーというのが何かはわからないけど、現代っ子っぽいな。


「そうか。八組って理数科だっけ? 二組からだと教室も離れてるし、タイミングもないか」


「そうなの。授業も全然かぶらないし」


 距離と機会の壁。これはなかなかに難しい状況だ。


(……ただ、やっぱり引っかかるのは、今のこの感情がどのレベルなのかってとこなんだよな)


 榊くんのことを「とても好き」なのか、「なんとなく好き」なのか。

 ──それによって、取るべき戦略も全然変わってくる。


 とはいえ、「榊くんのことどれくらい好き?」なんて直球で聞けるはずもなく、言葉を選んでいると──


 それを察したのか、そうでもないのかはわからないけど、月島が代わりに尋ねた。


「ねぇ京ちゃん。やっぱり、榊くんに告白したいの?」


 京はしばらく口を噤んだあと、ぽつりと答えた。


「……うーん、告白はしたいし、付き合いたいって気持ちはあるんだけど……そのあと、どうすればいいかわかんないし」


 少し間を置いて、さらに続ける。


「そもそも、今のこの気持ちが…… 『とても好き』なのか、よくわかんなくて……」


 その言葉は、まるで霧の中を手探りで歩いているみたいだった。

 ただ「好き」なだけでは踏み出せない、そんな微妙な距離感。


「……それ、無理に答え出さなくていいと思うよ」


 京が驚いたようにこちらを見る。


「告白って、 『この人じゃなきゃダメ』って確信があるときにするものだと思ってたけど──実際は、 『もっと知りたいから一緒にいたい』って思う気持ちが出発点でもいいんじゃないかな」


「……そっか」


「だから、まずは距離を近づけるところから考えよう。急がなくていい。焦って失敗するよりは、少しずつ関係を深めていくのが大事だと思う」


 京は少しの間、ベッドのシーツの端を指先でなぞっていたが、やがて顔を上げて小さく笑った。


「ありがとう、西宮くん。なんか……少し、気が楽になったかも」


「そっか。よかった」


 ──アニメでも、現実でも、まずは距離を縮めるところから。

 例外は山ほどあるけど、王道は王道として強い。少なくとも、地に足がついてる。


 ただ、心のどこかで思ってしまう。


(……やっぱり、京は不利だよな)


 雅は、すでに「動く」モードに入っている。

 一方で、京はまだ「考えている」段階。本人の性格やテンポを踏まえると、その差はますます広がってしまう可能性がある。


 九条と話したときの印象──

「京は『幼馴染』ポジ寄りの負けヒロイン」って、あながち冗談じゃない気がしてきた。


 だけど。


 たとえ心の中でそう思っても、「不利だから諦めろ」なんて言葉を、当人に向けて言えるわけがない。


 どちらかは、必ず「失恋」する。

 しかも、関係が深まれば深まるほど、傷も比例して大きくなる。

 ──そんな残酷な未来を知っていても、できない。


 多々良のときは止めようとしたが、今それができないのは、勝率ゼロと数パーセント、その差だろうか。


 沈黙が落ちる前に、京が三日月のヘアピンをくるくるといじりながら、明るい声で問いかけてきた。


「ねぇ、榊くんとどうやって近づけばいいかな~?」


 その声は明るいけれど、ほんの少しだけ、探るような揺らぎがあった。


「そうだな……」


 俺は頭を切り替えて、今できる現実的な提案を考える。


「そろそろ文化祭だろ? そこで一緒に回る約束を、今のうちにしておくってのはどうだ?」


「文化祭か~……!」


 京の表情がパッと明るくなる。

 おそらく、文化祭のことを思い出しただけで、いろんな妄想が広がったのだろう。


「インスタのストーリーにも、これから文化祭準備の話が出てくるだろ? そこに乗っかって会話を広げてみる。『榊くんたちの出し物って何〜?』とか。自然に話が弾めば、そのうち放課後とかにも顔合わせるチャンスできるかもしれない」


「おぉ〜……すごくいいかも!」


 京は満面の笑みを浮かべた。


「うん、がんばってみるね!」


 その「がんばる」という言葉には、不安よりも希望のほうが多く含まれているように感じた。


(……ああ、やっぱり俺、この立場キツいな)


 互いの恋の行方を左右するポジションで、でもどちらかに深入りもできない、ただの相談役。


 願わくば、二人が後悔しないような結末であることを願う。

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