第5話ところてん

 私は、幼少時から中学校に上がる頃まで、夏休みになると夏バテが酷(ひど)くなり、ご飯やパンをたった一口食べるのもとても辛(つら)く、大変難儀(なんぎ)であった。その為、夏の間だけ体重がめっきりと減ってしまい、酷く痩(や)せて虚弱体質(きょじゃくたいしつ)になっていた。その間、私の命をつないでいたものは、朝食べるたった一杯のカップスープと、一日一本の栄養ドリンク、自家製梅シロップから作った祖母の特製の梅シャーベットのみであった。


 そんな私が、三、四歳の頃、夏バテに苦しんでいる時の話。


 その日の昼間は、特に暑い盛りで、雲一つない快晴の、蝉(せみ)の声が辺りの風景に染み入る、夏真っ盛りの天気だった。


 小さい私は、縁側(えんがわ)の柱にもたれかかり、母から持たされていたメロンパンの四分の一に切ってあるものを食べる気力もなく手の平でもて遊び、元気のない状態でぐったりとしていた。辺りに響き渡る、蝉(せみ)のやかましい鳴き声だけが、意識が朦朧(もうろう)として、動くことのできないでいる私を幾らか正気にさせてくれた。ただ、そのおかげで元気が出てくるわけではなかったのだが……。


 そんな私を見守ってくれていた祖父が、何を思ったか、自転車をこいでふらっとどこかに出かけていった。


 しかし、祖父は、思ったよりも早く、すぐ帰ってきた。


 私の意識が暑さとだるさで飛んでいってしまっている間、彼は近所の『豆腐屋(とうふや)』に出かけていたのだ。右手に持った、白いビニール袋の表面からは、何やら冷たいものが入っているのだろうか、無数の水滴が袋の表面から吹き出しており、且つ、その雫(しずく)が、袋の表面から庭の白い砂の上へ、ポタリ、ポタリと滴り落ちている。祖父は、その袋を少し上に持ち上げて、私の目線の高さまで持ってくると、


「ところてん、食べるか?」


 私は一瞬だけ目を輝かせて少し元気が出た。ようやっと、小さく頷(うなず)く。



 キンキンに冷えた『ところてん』を目の前で硝子細工(がらすざいく)の器(うつわ)に盛る。そしてそこに茶色くて透明な『たれ』と、『海苔(のり)』・『胡麻(ごま)』が混ざった『ふりかけ』をかけて、子供用のお箸(はし)を付ける。辛子(からし)は小さい子供にとって辛すぎるので敢(あ)えてつけない。


 祖父はそれを

「食べなさい。」

とすすめてくれた。


 まだ箸(はし)が上手く持てない、慣れない手つきで、自分の口にとっては一本一本が長すぎる『ところてん』を初めて口に流し込む。私が想像していた甘ったるい子供向きの味とは違い、醤油(しょうゆ)と酢(す)の混じった大人の味……。


 海苔(のり)と胡麻(ごま)のふりかけがなんだかご飯みたい。だけれども、冷たくて酸っぱい。何故かお箸(はし)が進んでしまう。


 祖父は、夢中で『ところてん』を口の中にかきこむ私を見て満足げな表情を顔に浮かべ、自分も同じ物を食べる。


 最後の一本、ひとすじを食べて、つゆを飲んでしまうと私は名残惜しそうにふりかけの青海苔(あおのり)や胡麻(ごま)が器(うつわ)にへばり付いたのを箸(はし)の先で捕まえて口に運ぼうとする。


 祖父はニコリと笑って、

「お腹いっぱいになったか?」

と、尋ねてくれた。私はもう、満面の笑みを浮かべて、

「もっと、食べたい!」

と、駄々(だだ)を捏(こ)ねて少々祖父を困らせた。


 私が自宅に帰った後、外出していた祖母が家に帰ってきた。硝子細工(がらすざいく)の皿が二つ、台所のシンクに下げてあるのを見て、詳しい話を祖父から聞くと、

「なほに『ところてん』なんてあげたんですか?お腹を壊していないかしら??私が居てあげられたら、長いのをハサミで切ってあげたのに。」

と言って、後で私がお腹を下していないか、心配して、母に何度も尋ねていたらしい。母は、母で、祖父に重ね重ねお礼を申し上げていた。




 私は、つくづく、周りの方々から愛情をたっぷりもらって生きてきたのだなぁと、今になってこの身に染(し)みる今日この頃です。





        『ところてん』(おしまい)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る