第4話 雨夜登場
翌朝。
得体の知れない高揚感に睡眠を阻害されるのかと布団に潜り込んだ俺はドギマギとしていたが、圧倒的な疲労感には敵うはずもなく気がつけば朝になっていた。慣れない緊張感がいまだに拭えないせいか設定したアラームのスヌーズ機能の出番はなかった。正直なところ、眠りについた実感がまったくもって湧いてこない。家を出るまでに大きな欠伸をいくつしたことやら。
昨日と同じ通学路を辿り、二日目の高校生活を迎えるべく登校する。ただ一つ違うのは、高校生活において初めての友達とも言える
「おはよう」
「あ。おはよう」
教室に入り、目が合った真冬と朝の挨拶を交わす。無事迷わず通学できることを昨日確認したため、今日からはゆっくり登校することにした。計算どおり始業五分前に着席できたし、面倒くさい石原の絡みもなく教室に辿り着けたことが何よりも大きい。真冬のことについてまだ知り合って初日にもかかわらず石原に根掘り葉掘り聞かれることは目に見えているから、それだけは勘弁してほしかったのだ。
変わらず挨拶以上の会話もなく、俺は宙に浮いた視線をさらに左側へと逸らす。教室に入った時に薄々気づいてはいたけれど、今日も俺の後ろに座る予定の人物は不在のようだ。何と言うか、いいご身分だな。
「おう、みんな揃っているようだな。おはよう」
一日の始まりを告げるチャイムは、勢いよく開かれた教室の扉の音にかき消された。
担任がその音に合わせて入室してくると、まだ緊張の抜けないクラスの生徒たちはざわめきをぴたとやめ、みんなの目線は真っ直ぐ教卓へと注がれる。
「朝のホームルームを始める前に、昨日残念ながら欠席となった生徒から自己紹介をしてもらう。……入れ」
昨日欠席したクラスメイトは一人しかいない。クラス全体が浮足立ち、その視線が一瞬俺の後ろに集中した。そうかと思うと、そのまま教室の前扉にスライドされる。俺も例外なく開かれたままの扉を注視していた。
担任の呼びかけに間を置いて、男子生徒が廊下と教室の境界線を跨ぐ。クラス全体が固唾を呑んで見守る中、栗毛色のふわっとした髪を漂わせたその男子生徒はゆったりとした足取りで教壇へと上がる。担任と同じ目線に立つとクラス全体を見渡し、口を開いた。
「オレの名前は、
ニコッと笑顔を振りまき、これでいいだろと言わんばかりに隣の担任を見遣る。担任は特に異論がないようで、その右手人差し指を俺の方へ向けてきた。
「雨夜の席は
担任から解放された雨夜と名乗る男子生徒は、ふわと欠伸を一つして気怠げに教壇を降りる。その姿に周囲の女子たちがソワソワとしているように思えるのは俺の気のせいだろうか。しかも、今までに体験したことのない女子からの視線までひしひしと感じる。もちろん、その視線は俺に向いているものではなくて、雨夜という男に集中しているものだった。そりゃあ、よく見てみればそれなりに顔立ちは整っているようだが、流石に反応が露骨すぎやしないか。
くだらないことを考えている間に俺の元へと向かってくるその男は、なぜかその存在が大きく思えて、自然と姿を目で追ってしまっていた。
「これからよろしくな。……朝倉
すれ違いざま、風に乗って微かに聞こえた言葉。俺は思わず目を見開き後ろを振り返ったけれど。当の本人は何食わぬ顔で席に着き、頬杖をついてうつらうつらと狸寝入りをかましていた。
高校入学二日目のスケジュールは、春休み中に課された課題回収に始まり、校内案内の流れで健康診断を行うといったものだった。さながら、授業が始まる前までに終わらせておきたいことの欲張り詰め合わせセットといったところだろうか。
席順の都合上春休みの課題をいの一番に提出してからというもの、俺は雨夜から発せられた言葉の真意に考えを巡らせないわけにはいかなかった。
入学初日に休んでいたくせに、初めて顔を合わせたはずなのに。なぜ俺のフルネームを知っているんだ。そして、この違和感。なぜか俺はアイツが気になって仕方がない。クラスメイトの女子たちが魅了されているそれとはまったくもって異なるものだということはハッキリと断言しておくとしよう。
正確に言うと、俺はアイツのことを知っている。顔を見ても全然ピンとはこなかったが、雨夜の発していた言葉を脳内で反芻する度に、引っかかりは大きく膨れ上がっていく。
俺は。雨夜現月のことを知っている。
初対面のはずなのにそうではないと確信できる。だが、肝心の以前出会った記憶は思い出せないときた。遠い昔か、それとも近い過去にか。対面して会話でもしたのか、それとも街中ですれ違った程度なのか。それすらもあやふやなのに、断言できてしまう。
膨れ上がった疑問が弾け確信に辿り着いた俺は、それを確かめるべく渦中の人物に声をかけようと意を決する。不幸なことに間が悪い俺は後ろを振り向こうとするも課題回収が終了したらしく、強制的に起立させられトボトボと校内案内の流れに紛れるしか術がなかった。
校内案内はクラスごとに時間をずらして実施しているようで、A組は一番乗りだった。担任が他学年の教室の配置や特別教室の場所を案内するべくぞろぞろとクラスを引き連れていく。入学式に参列した時のように規則正しく列をなしていればよかったのだが、みな思い思いに担任の後をついていくのみで僅かな混沌を来していた。ドサクサに紛れて雨夜への接触を試みようとも考えたが、肝心の雨夜はクラスの群れからは少し離れたところにおりこれまたタイミングが掴めずにいた。
校内案内はサクッと終了を迎える。最終目的地に選ばれたのは保健室だった。とはいっても、女子生徒が健康診断を保健室で受けるため辿り着いただけで、男子生徒はそのまま歩みを止めることを許されず健康診断受診先である体育館に連行された。
式典ムード一色だった体育館は一夜のうちに健康診断会場へと姿を変えていた。検査機器が整然と並び、白衣を纏ったお姉様方が俺たちを待ち受けていた。体育館へとやってきた男子生徒一同は、出席番号順に整列させられると一通りの説明を受ける。先頭の俺から身長体重に始まり、血圧や視力、聴力検査などを流れ作業でこなしていく。
名誉のためここでは白衣の天使とでも称しておくが、その手練の腕捌きにより、順番待ちがないことも相まって最終項目である内診のカーテンを開くまでにそれほど時間はかからなかった。俺は同じく隣で内診を受けているであろう雨夜と合流すべく、検査項目すべてが終了しても内診ブースを視界に入れながらわざとらしく体育館の出口へと向かう足取りを重くしていた。雨夜との最短での接触は今しかないと踏んだためだ。それに、校内案内での雨夜の様子からして、ふらふらとどこかへ消えてしまいそうな雰囲気があったからというのもある。
「よう。健康診断、ダルかったな」
心配には及ばず、薄緑色のカーテンは間もなく開かれた。俺は来た道を戻りつつ、現れた雨夜にこれまたわざとらしく声をかける。雨夜はこれといって驚く様子もなく俺に近づいてきた。
「そうだなあ。オレ、こういうの面倒くさくてパスしたいんだけどさ。パスしたらしたでやるまでしつこいからとっとと終わらせるに限るよな。健康診断が入学初日じゃなくてよかったわ」
ぐぐっと大きく伸びをして、雨夜は大きくため息を吐く。俺の読みどおり、やっぱり雨夜はうっかりトンズラしかねないようだ。これは勝機と見て、俺は雨夜の足取りに合わせ二人並んで体育館を出た。
「なあ、雨夜。お前、俺のこと……」
教室棟に入り階段を登り始めるまでの間、俺と雨夜に会話は生まれなかった。雨夜から話題を振られることもなく、対する俺は疑問をぶつける勇気もなく。うかうかしているとこのまま教室に辿り着きかねないと俺は意を決して、雨夜に事の真相を聞き出そうと声をかける。
「話があるなら、放課後にしようぜ」
階段の中段で足を止めた俺に、雨夜は声を被せるようにして振り返ってきた。
「それじゃ」
右手をひらひらと振ると、雨夜はすらりと伸びた長い脚を見せびらかすように一段飛ばしで階段を上がっていき、あっという間にその姿は視界から消え去っていた。ようやく捕まえたと思ったら、するりと抜けていってしまったような感覚に似ていた。
何か、隠しているのだろうか。
ここでは、話せない内容なのだろうか。
あまりにも壮大で壮絶な、とんでもなく長い物語がそこにはあるのだろうか。
いや、ただの高校生だ。もったいぶっているだけに違いない。
あてもない考えをああでもないこうでもないと頭の中でぐるぐるとかき混ぜる。思考に区切りをつけるように教室の扉を開けると、二、三人が既に席に戻っていた。その中に雨夜の姿はない。
俺は席に着くと机に突っ伏して、思考の海へと再びダイブする。
クラス全員の健康診断が終われば今日はもう下校できるというのに。そんな短い時間は、雨夜の残した一言によって果てしなく続くかのように錯覚させていたのだった。
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