第5話 雨夜との会合

 机の衝撃が脳を無理やり覚醒させた。反射で飛び上がった俺の視界に入ってきたのは、俺と真冬まふゆの机にそれぞれ手をついて通路を塞いでいるニヤケ面の雨夜あまやの顔だった。さらに左へと首を動かすと真冬が何とも言えない表情ではにかんでいた。

「シノ、帰りのホームルーム終わったよ。よく寝ていたみたいだね」

 残酷な時間の経過を目が合った真冬が教えてくれる。状況を把握するまでの間、俺は数秒時が止まったかのように固まっていた。俺としては五分か十分程度仮眠をしていたつもりだったのに、黒板の上にある時計は真冬の言葉を裏付けるには事足りていた。

「えー。真冬ちゃん、コイツのこと『シノ』って呼んでるんだ。じゃあ、オレもそう呼ぼうかな。いいよな、シノ」

「別に、いいけど……」

 俺を見下ろしたまま一方的に話を押し進める雨夜に気圧されてそのまま肯定の意を示す。

 まあ、俺の呼び方はどうだっていい。それよりも真冬のことだ。いつの間に真冬をちゃん付けで呼ぶようになったんだ。雨夜はどこかで時間潰しでもしていただろうから健康診断から帰りのホームルームまで時間的猶予はほとんどなかったはずなのに。何か少し、腹が立つ。

「あ。オレのことは現月あつきでいいからな。あ・つ・き、な」

「雨夜の方が言いやすいから、このままで行くわ」

「シノが言うなら、わたしも……」

 口の中で名前を唱えてみようとしたが、やめた。それに真冬もそう言ってくれたから、腹の虫は落ち着きを取り戻してくれたようだった。

「なんだよ、つれねえなあ。まあいいや。ねえ、真冬ちゃん」

「どうしたの、雨夜くん」

 口を尖らせる雨夜に、真冬が首を傾げて見上げる。

「いやあ、もうオレお腹ペコペコでさ。この後時間があれば一緒に昼飯行かね? シノもいるぜ」

 勝手に俺も雨夜と昼食をともにすることになっているが、きっとこれは放課後に話をする機会の場のことを言っているのだと察知する。

 今日も半日で学校は終了していた。そうはいっても、時計の針は午後一時を回っている。雨夜に限らず俺も腹と背中がくっつきそうだ。

 本来であれば真冬は大歓迎だ。むしろ、雨夜にはご遠慮願いたいくらいだ。でも、今回ばかりは雨夜と二人で話がしたい。そう思っていたし、雨夜にも何となく気づいてもらえていたと思っていたから、勘違いしていた俺が馬鹿だったよ。

「雨夜、お前……」

「ごめんなさい。今日も、この後すぐに帰らないといけなくて……」

 雨夜を咎めようとするも、真冬の放った言葉の方が強烈だった。初日にお誘いを振られていい気味だ。

 それにしても、真冬は昨日も今日もそそくさと帰っている。そこで思い浮かぶのは石原のウワサ。真冬の家が神社だということだ。もしかしたら家業の手伝いがあるのかもしれないと思い至る。中学校までの友人との付き合いが立て込んでいるか、予備校にでも通っているだけかもしれないのに。

「そっか。じゃ、また今度な」

「うん。それでは、失礼します」

「……あ、また……」

 堅苦しくペコリとお辞儀をする真冬に、俺と雨夜は手を降って見送る。他のクラスメイトもボチボチ帰宅し始めているようだった。

「それじゃあ、オレたちも行くか」

 雨夜は真冬の姿が完全に見えなくなるまで見送った後、自席に無造作に置かれたリュックサックを背負い教室を出る。俺もその後に続いた。

「なあ。行くあてはあるのかよ」

 校内の駐輪場で自転車の鍵をガチャつかせている雨夜に問う。真冬との会話で昼飯というワードが飛び出していたから、察知したとおり飯を食いながら俺の話を聞いてくれるのだと思うけれど。見事真冬に振られて路線変更でもしていなければの話だが。

「ない。オレ、チャリ通だからあんまわかんねえんだわ。……駅前行けば何かあんだろ」

 無責任にも程がある。だが、話をふっかけたのは俺の方だからここは喉元から出かけたものをグッと飲み込む。

 チャラチャラとチェーンの音を鳴らしながら自転車を引く雨夜は、駅に向かう俺に黙って着いてくる。どうせなら雨夜の自転車の後部座席に座って行きたいところだが、初っ端から高校を停学になるわけにもいかない。いや、最悪退学の可能性もある。そんなギャンブルをするくらいならと、仕方なく十分程度の無言な時を過ごさざるを得なかった。

「いいじゃん。ここ入ろうぜ」

 雨夜が自転車を止めた先は、駅前にあるカフェのチェーン店。駅に着いてキョロキョロと食事処を探していた俺はいつの間にか雨夜に置いていかれていたようだった。お昼時のせいか客は他の飲食店に流れているらしく、ガラス扉の向こう側に混雑の様子は伺えなかった。

「何食おうかなあ。シノは決まった?」

 入店し、会計の上にあるメニューを眺めて雨夜が聞いてくる。ここでは先に注文と会計を済ませてから席に着くスタイルのようだ。

「あー。俺はパスタにしようかな。あと、コーヒー」

 デカデカと貼り出された宣材写真にカタカナを目いっぱい使用した、要するに野菜多めのトマトパスタを見上げながら俺は答える。ドリンクをブラックコーヒーにしたのは、得意ではないが高校生なりに取るに足りない見栄を張った結果だった。本当ならカフェラテの気分だが、財布の中身との兼ね合いもあるしな。

「うーん。じゃあオレもコーヒーと……サンドイッチにしようかな」

 会計横の冷蔵ゾーンで冷えている葉物ではち切れそうなサンドイッチを雨夜は見つめていた。俺はというと、ブラックコーヒーを気軽に頼める雨夜の無駄に整った横顔を視界の端に捉えることしかできなかった。

「ゴメンな。本当ならハンバーガーとか定食屋とか、ガッツリ系の方がよかったかもしれないけど」

「いや、俺はどこでもよかったから気にしてない」

 会計を済ませ注文の品が出てくるのを待つ間、雨夜は店内を見回してから俺と目を合わせる。雨夜こそサンドイッチだけで足りるのかと疑問だが、雨夜自体身体の線が細めだからそこまで大食らいでもないのかもしれない。いや、よく見るとガリガリでもなく筋肉はありそうだから、意外と俺の予想は外れるかもしれない。

「オレさ、喫茶店でバイト始めたんだ。だから他の店が最近気になって仕方なくって」

 先に注文した品が配膳された雨夜は、セルフサービスのおしぼりやストロー、水などを二人分持ってきてくれた。手持ち無沙汰になった雨夜は、厨房で手際よく作業をしている店員に熱心に視線を注いでいた。

「バイト始めんの早くないか? まだ中学卒業して、高校入学したばっかじゃないか」

「ギリギリの生活してっからさ」

 さらりと返答する雨夜は俺に背を向けているからどんな面持ちで発言したのかまではわからなかった。第一印象からしてまったくそんなことを思わせないような雨夜に思わず聞き返したくなったのだが。

「トマトパスタとアイスコーヒー、お待たせしましたー」

 俺を呼ぶ店員の声によって、それはなかったことになった。

「よっしゃ、これで揃ったな。人が少なそうな三階まで上がろうぜ」

 パスタが漂わせる湯気越しに雨夜の背中を捉えながら、俺も狭い階段を登って最上階へと向かった。

 階層が上がるにつれ人はまばらになっていった。目的地とした三階は階段の近くにサラリーマンが一人コーヒーを啜りながらパソコンを広げて仕事をしているだけで、あとはがらんとしている。俺たちは奥の窓際のカウンター席に並んで座ることにした。

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